比較してしまう。
本当はしたくない。
気にしたくない。
それなのに、
気づけば比べている。
収入。
仕事。
容姿。
才能。
人間関係。
フォロワー。
生活。
人生。
終わらない。
ここに一つの違和感がある。
私は昔、
比較は自信がない人がするものだと思っていた。
しかし違った。
自信がある人も比較する。
成功した人も比較する。
有名な人も比較する。
終わらない。
なぜだろう。
私は長い間、
この違和感を観察していた。
そして気づいた。
人は他人を見ているようで、
自分の位置を確認している。
ここが重要だ。
例えばSNS。
誰かの投稿を見る。
旅行している。
楽しそうだ。
成功している。
その瞬間、
脳は無意識に計算する。
自分はどうだろう。
自分は足りているだろうか。
自分は遅れていないだろうか。
比較は、
他人への関心ではない。
自分の確認作業でもある。
私は団地を歩きながら考える。
昔は比較対象が少なかった。
学校。
職場。
近所。
限られた世界だった。
しかし今は違う。
世界中と比較できる。
世界中の成功者が見える。
世界中の才能が見える。
世界中の理想的な人生が見える。
すると脳は混乱する。
なぜなら、
比較相手が無限だからだ。
面白いことに、
比較には終わりがない。
年収100万円の人は、
300万円の人を見る。
300万円の人は、
1000万円の人を見る。
1000万円の人は、
1億円の人を見る。
1億円の人は、
もっと上を見る。
つまり、
比較は達成で終わらない。
比較は構造だからだ。
市場から見ると合理的だ。
比較する人は動く。
学ぶ。
買う。
挑戦する。
努力する。
不足感は行動を生む。
だから社会は常に、
もっと上を見せる。
もっと成功した人。
もっと豊かな人。
もっと自由な人。
すると人はまた比較する。
私は最近、
比較を完全にやめることは難しいと思っている。
人間だからだ。
しかし、
一つだけ変えられることがある。
比較していることに気づくことだ。
今、
誰と比べているのだろう。
なぜ苦しいのだろう。
その問いを持つだけで、
少し距離が取れる。
なぜ比較は止まらないのか。
それは意志が弱いからではない。
性格が悪いからでもない。
私たちは今、
比較が自動的に発生する環境で生きている。
問題は、
あなた自身ではない。
問題は、
比較が終わらない構造なのかもしれない。
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▼ 静かな生存インフラ通信
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SNS。
承認。
成功。
労働。
AI。
なぜか全部おかしい。
そんな違和感を感じたことはありませんか。
なぜSNSを見るだけで疲れるのか。
なぜ成功しても満たされないのか。
なぜ真面目な人ほど消耗するのか。
私はその違和感を観測し続けています。
ブログでは書けない観測記録は、
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観測者K
なぜか全部おかしい。
その違和感を静かに観測しています。