便利になった。
これは間違いない。
スマホ一つで買い物ができる。
地図も見られる。
銀行にも行かなくていい。
世界中の情報へ一瞬でアクセスできる。
AIに質問もできる。
昔の人から見れば、
まるで未来だ。
それなのに、
なぜか疲れている。
ここに一つの違和感がある。
本来、
便利になるとは楽になることだった。
時間が増える。
手間が減る。
余裕が生まれる。
そうなるはずだった。
しかし現実は違う。
便利になったのに忙しい。
便利になったのに焦る。
便利になったのに疲れる。
なぜなのだろう。
私は長い間、
この違和感を観察していた。
そして一つの仮説に辿り着いた。
便利さは、
負担を消したのではなく、
別の負担へ置き換えた。
ここが重要だ。
例えばメール。
昔は手紙だった。
返事に数日かかった。
しかし今は違う。
数秒で届く。
便利だ。
その代わり、
すぐ返事を求められる。
便利になった。
しかし休まらない。
例えばSNS。
昔は近所の人しか知らなかった。
今は世界中と繋がれる。
便利だ。
その代わり、
世界中と比較するようになった。
便利になった。
しかし疲れる。
例えばAI。
調べる時間が減る。
文章も作れる。
便利だ。
その代わり、
もっと早く。
もっと効率的に。
もっと生産的に。
そんな期待も増える。
便利になるたびに、
新しい基準が生まれる。
私は団地を歩きながら思う。
現代人は、
肉体より神経を使っている。
昔は体が疲れた。
今は神経が疲れる。
通知。
連絡。
情報。
比較。
判断。
選択。
脳は休む暇がない。
面白いことに、
便利さそのものが悪いわけではない。
問題は、
便利になった分だけ、
社会の速度も上がったことだ。
昨日より早く。
去年より早く。
昔よりもっと早く。
便利さは、
私たちを楽にした。
しかし同時に、
常時接続の世界も作った。
だから疲れる。
私は最近、
便利さと余裕は別物だと思っている。
便利だから余裕があるとは限らない。
便利だから安心できるとも限らない。
便利だから幸せとも限らない。
むしろ、
便利になったからこそ、
失われたものもある。
待つ時間。
考える時間。
何もしない時間。
ぼんやりする時間。
そういうものだ。
便利になったのに疲弊する。
それは異常ではない。
むしろ自然なのかもしれない。
私たちは今、
便利さと引き換えに、
大量の刺激を受け続ける社会で生きているからだ。
問題は、
あなたの能力不足ではない。
問題は、
便利さと疲弊が同時に増えていく構造なのかもしれない。
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▼ 静かな生存インフラ通信
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SNS。
承認。
成功。
労働。
AI。
なぜか全部おかしい。
そんな違和感を感じたことはありませんか。
なぜSNSを見るだけで疲れるのか。
なぜ成功しても満たされないのか。
なぜ真面目な人ほど消耗するのか。
私はその違和感を観測し続けています。
ブログでは書けない観測記録は、
「静かな生存インフラ通信」
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観測者K
なぜか全部おかしい。
その違和感を静かに観測しています。