羊の群れにまぎれてジャパン -2ページ目

繋がってるぜ人生

この若さにして自伝、的な。笑


結局今の自分が始まったのって、小学校時代のマレーシア生活。

それまでのことって実は殆ど記憶ないし、本当に大人しくて決して笑いを取るなんて考えてなかったんだと思う。


それでもマレーシアに行く前に、道に落ちてる犬の糞を拾って知らない人の家に投げ入れていた、なんて逸話を友人から聞くと、大して変わってないのかもとも思うけど。



マレーシアに行って異文化の魅力に惚れ込んだのかな~、中二の頃から東京外国語大学に行きたい、って書いてたのをはっきり覚えてる。(You TubeのRasa Sayang

その時は何語をやりたいなんて全然考えて無くって、ただ単純に、

ヴェルディのホームスタジアムである味の素スタジアム(当時は東京スタジアム)の近くにある大学なんて魅力的過ぎる、

家から近いのも熱い、

外国語やれば外国人と友達になれる(歴史をいくら勉強しても足利尊氏とは喋れないし)、

くらいの理由だったのかな。


だから高校も、都立西と都立国際って選択肢では迷わず国際を選んだ。


親は西に行った方が良い大学に行ける可能性が高い、安全、的なことを言っていた。

だけど俺は当時から、大学のための高校、とか、就職のための大学、っていう考えが嫌だったのを覚えている。


高校は高校のために、大学は大学のために。

そのひと時ひと時を全力で生きれる場所に居たい。


結果的に高校は全力で楽しかったし、

あれ以上楽しい高校3年は考えられない。


大学だって最初こそ人見知りし過ぎてしくじったけど、

世界に目を広げたい仲間が沢山出来て本当に良い時間が過ごせてる。

学食は本当に小さすぎるけど。




大学受験も私大の選択肢があったけど、憧れの東京外大に入れた。


倍率が2倍以上、ということは、半分以上の人が落ちる、ってことで、

っていうことは普通に頑張る人は落ちる。

じゃあ俺は他の人と違う勉強法をしなくちゃいけないんだな、って考えてたことが自分の中で印象的です。


夏の渋谷を歩きながら教科書読んだりね。笑


覚えていることがあるので話を少しズラす。

外大の合格発表を観に行って、高校に戻ってそのままフェアウェルパーティーみたいなイベントに参加した。


俺が合格したことを知ってたクラスメートとか結構大勢が、おめでとう、的なことを叫んでくれた。

人を非難するほど自分が腐った人間だ、というのを自覚する覚悟で、あれは今でも間違いだったと思ってる。


同じ高校から外大に行きたくっても同じ日に落ちた人がその場には居た。

あのおめでとう、だけは受け止められなかった。

あともう一つ覚えてるのは、そのフェアウェルパーティーでやった漫才は人生最高の出来だった、ということ。



さて、外大の言葉を選ぶときに、スペイン語を選んだのは高3の夏とか。

ラテンアメリカの人は貧乏でも明るい、なんで?その考え方を少しだけ日本に取り入れられたら、日本最強じゃね?

って理由でスペイン語。


一年、二年とも、スペイン語の授業は結構しんどかった気がする。

それでも出来るだけ食らいついてって、決して成績は良くなかったけど、メキシコでわりと通用して、

その大学でしんどいことやらされたおかげで英語留学までする時間が出来て。



つまりは全て、マレーシアから繋がってきた。


社会に出る時になって、今までの選択のおかげで厳しい思いをすることになるかもしれない。


それでも絶対に後悔しない、と今もう分かっているのは、全て自分でした決断だったから。

マレーシアを、異文化を、ヴェルディを愛してたどり着いたここ。


今後何があろうと

これまでのことに満足はしないけれど

絶対に後悔はしない!




さて、色々あって帰国は1週間後となりました。

31日にオークランド出て、原点、マレーシアのKLに3時間だけ居て何か感じて(笑)、日本には1日に着きます。


最近の遊びっぷりのせいで鼻水とか喉痛とかあって、

あとそもそも太りすぎで普通に豚疑惑で成田で止められる可能性大ですが、

どっちにしろあと1週間。


今まで毎日読んできてくれた方、

たまに読んできてくれた方、

今日初めて読んでくれた方、

お願いがあります。


火曜日に書く記事を絶対に読んで下さい。


そこで僕は、Splendid Isolation時代から今まで書いてきた全ての記事を背負って、皆さんに問いたいと思います。


当たり前のように大人は夢を職業と結びつけるけど、



夢、って職業じゃないよ。



夢は自分自身。



自分自身は自分と自分の環境。



夢は、どんな世界に住みたいか、ってことなんじゃないのかな。




僕の夢を叶えるには、一人でも多くの人が同じ夢を持ってくれることが不可欠だし、

夢って何個持ったって良いんだから、

みんなが同じ夢を少しでも共有してくれるかどうか、火曜日に問いたいと思います。


だから読んでねラブラブ

久々にゆる~く

留学中最後になるかもしれない発見がこんなんで良いのか、と自分でも思ったんだけど、気づいちゃいました!


用を足しにトイレに行ったら、たいてい男性より女性の方が時間が掛かる。

それは男性は立ったまんま(体が、ね)チャック開けてパッと終わるけど女性は基本的に座らなきゃいけないから。


それは前から分かってたんです。


じゃあシャワーは何で女性の方が長いの?


今日やっと分かった気がする。



毛があると泡って立ちやすいじゃん?


女性は脚とか腕とかの毛を処理されてる場合が多いから、泡立ちにくいんだね。



これ合ってるかな?そもそももしかして常識?


メキシコシティの日本食レストラン「TOKYO」のオーナーが北海道出身ってくらい常識?





体毛の濃い男性は、どちらかというと汚いって思われる。


だけど彼らの方が、よっぽど泡を立てて体を洗ってる。




体毛こそ清潔の証。



さぁ、隣の体毛を拝もう!

出会い

このあいだ書いた落ち込んだとき のコメント欄でひそかに盛り上がってた「生まれてきてありがとう」なんかから出発して、今日は人と出会うってどういうことなんだろう、ってみんなで考えてみましょう。



最初メキシコに行った時、知り合いは同じ大学から2週間先に渡ってた日本人の女の子だけだったことを考えると、その後の写真に見える全友人とは、一人一人出会った場があった、ということになる。


ちなみにその同じ大学の女の子っていうのは、マレーシアのペナン小学校で同じクラスに半年くらい?一緒にいた子で(確か当時1学年15人くらいだった)、大学に入ってたまたま同じスペイン語科で10年ぶりくらいの奇跡の再会、そして更に同じメキシコ留学希望、っていう、俺の人生最重要3カ国で会った唯一の人…


こんなに素敵なストーリーなのにお互いタイプじゃないってのが残念です。爆



NZでは知り合いゼロの状態で始まり、つまり今携帯に入ってるメモリ全員がこっちに来てから出会った人、ってこと。


当たり前のことなんだけれど、毎日出会いは訪れているようだ。



留学なんて、1年間合コンみたいなもんです。(いや、これは冗談)




みんなも沢山の出会い・別れをしてきたと思うけど、どんなに多く人と出会ったって、地球上全員と知り合えることは出来ない。

東京だって、一つの区だって、全員と知り合うことは不可能。


でも地球上全員が違う音楽が好きで、違うもの食べて、違うこと考えてるんだから、全員知り合う価値はある人。



同じ人とずっと一緒にいることも出来ない。


それは帰国であったり、死であったり、「じゃあまたね」だったり。




2本の全く関係ない糸があって、たまったまの偶然でその糸が交差して、

その後はまた全然違うほうに進んでく。



だけど交差した時に、もしも結び目を作れれば、その糸はずっとその結び目からは離れずに伸びていけるわけだし、相手側の糸にも自分の存在が根付くことになる。




考え方に影響を与えられなくったって、今あの人なにしてるのかな、という想像力を働かせることで、

2個の目でしか見れない世界だけれど、もっと多くのものを夢見れる気がする。


「国に帰って地元の友達と遊んでまた酔いつぶれてるのかな」

「ちゃんと家に帰れたかな」

「天国から見守ってくれてるのかな」


どれもが自分の人生における視点を広げてくれてる想像。



誰かと知り合って、世界が広がることで、どれだけ自分の人生が豊かになっていることか。



もちろん、新しい人と知り合うことは、自分自身を新しい視点で見れることにもなるから、自分を知るにも良い機会。

出会った友人は、「今まで出逢った21歳で一番21歳に見えないです」といかに自分がおっさんみたいな顔してるかを教えてくれたり、「出会えて良かった」とこっちが生きてて良かったと思える言葉をくれたりする。



昨日、サッカーでインドネシア人に出会った。

ニュージーランドではマレーシア・インドネシア人に一人も出会っていなかったのだけれど、インドネシアから来たと言われたら無意識に物凄い嬉しくなって、ひたすら知ってるインドネシア語並べてマレーシア・インドネシアへの愛を語った。

彼も日本に興味があって、「アリガトウ」くらい言えて、いつか日本に行きたいと言っていた。


結局彼とは2時間サッカーをしただけで、

正直、これから先の人生で会うことは無いだろう。


それでも、こんなにマレーシアやインドネシアに特別な思いを抱いている日本人がいるのだっていうことがもし彼に伝わっていたら、

遊びのサッカーでも全力で悔しがる日本人を見て、さすが発展国、何でも真面目にやり過ぎなんだよ、とバカにしていたら、

俺の糸はしっかりと彼の人生に結び目を付けられたかもしれない。



そんなことを思うと、一つ一つの出会いで引き出せることを引き出した意志、伝えられることを伝えていきたい。そして何より、その結び目を忘れないようにしたい。




忙しい、忙しいという人は、今まで出逢った人たちの今に想像を膨らませているだろうか。

心を亡くす、と書いて忙しいである。




沢山の別れを経験してきた。


人生最初の大きな別れは、マレーシア時代の日本人の友達。

だけど今も、彼らと連絡を取る事が出来るし、何年かに一回集まって、またしょうもない話をすることが出来る。

死んでしまった人たちとは、残念ながら連絡こそ取れないが、

彼らは僕に影響を与えた、という意味で、彼らは確実に俺の中に生きている。

俺が彼らを踏んで生きているのか、背負って生きているのか、よく分からないが、

とにかく今まで出会った人の多くが今も俺の中で生きている。



だったら、俺も出来るだけ多くの人の中で生きていたいし、

たとえ俺が死んだって、俺の夢、つまり世界が本当に平和になりますように、は死なないで欲しい。


自分の死は防げないかもしれないけど、自分の夢をどんどん人に伝えていくことは出来る。


死くらいじゃ夢は妨げられない。


今日も生きている、というよりは、今日も生きられている、と考えていきたいね。



ここまでたった20年ちょいの人生だけれど、

本当に沢山の人に自分を形成してもらえたし、

沢山の人に自分を教えてもらえた。


そしてこれからも沢山の人と出会い、別れるだろう

一人一人に結び目をつけてもらって、こっちからも何か結び目を付けられればな、と思う。

語学

語学、に入る前に一昨日の記事について…

コメント以外にも、メールとかわりといただきました。


ってことはさ、みんな同じようなちっぽけなことで悩んでんだぜ!所詮みんなどっこいどっこいさ♪



て、語学。


日本で通う大学は、語学大学としてはアジアで最大だ、って話を聞いてたんだけど、まぁそれはそれは学食の狭い大学です。


ちなみに俺は、スペイン語・英語をやってきたけど、今は有効な語学の資格一切なし。

(ついでに言えば運転免許も実際は運転すんの怖いから無いようなもんだし)


なのでこんなタイトルで書いてしまうからには、帰国後にちゃんと資格取ってドタバタとこの記事を誤魔化します。



結構、ゼロの状態から語学学校入りました、って人いんのね。スペイン語でも英語でも。

それはそれは、「こんにちは。僕は○○です。日本から来ました。」以外は一切知らない、くらいのレベル。


最初は誰でもそこから始まります。

ニュージーランドでたまたま同じ日に入学した、31歳のお兄さん。正にゼロでした。

中学も高校もろくに勉強なんてしちゃいけない、セックスだらけの日々。

だけど何か変えたい、と必死に働いてニュージーランドに飛び込んできた。

彼の必死な姿勢や、色々な人のアドバイスに耳を傾ける姿は、刺激になったし今も尊敬している。


メキシコで出会った、メキシコの母と呼ばれる大阪出身のお姉さん(?)。(本人がブログを読んでいるというので「おばさん」という表現は控えさせていただきました。笑)

関西に多くいるという、スペイン語圏出身で日本語があまり出来ないけど日本の小学校とかに通ってる子をサポートしたい、という夢を抱いてメキシコで必死にスペイン語と格闘中。

彼女の姿勢には尊敬、の一言。



そりゃ~若い時の方が伸びるし簡単に覚えられる、と言うし、正直、彼らが人より早く伸びてるとは思わないけれど、いつからだって遅くないし、やる気があれば速度は知らんが進むことは確か。



なんでこんな二人の例を出したかっていうと、こんなカッコいい二人を少しでも伝えたかったっていうのと、人生どこで何があるかわかんねぇ、ってこと。お二方、勝手に使ってすいません。




さて、語学。


日本に居た時にやったり、塾の生徒にオススメしてたのは、

「妄想留学」。


なんかピンクの看板で歌舞伎町にありそうだけど、真面目な話。いつでもどこでも、勝手に頭の中でその言葉で考えてみたり、もしここで外人さんがいきなり出てきて水をくれって言ってきたらどう対応するかとか具体的な妄想をしたり、…


知ってる言葉の中でいかに説明出来るか、っていうのは語学力の一つだと思います。



本を読むのは、ボキャブラリーにはかなり良いと思う。

だけどたまに、古い表現だったり硬い表現だったりするみたい。

個人的にはクラプトンの自伝で出てきたような表現を多く使ってると、「それは今は使わない」と言われたりしたけど、読解に役立つことは確かです。


だったら、映画。

口語だし、いちいち止めて、そのフレーズごと、文ごとパクッちゃう。

汚い言葉が多いけれど、かなり使えます。街中で聞いたフレーズって、その場でメモれないから忘れることが多いけど、家で映画つけていちいち止めて、ってやれば最高の勉強になる。

(残念ながら映画自体を鑑賞するにはかなりの障害になる)



外国語って、実は発音や語彙や文法より、イントネーションが大事だって思ったりする。

どこで強調するのか、どういう言葉が繋がって言われるのか。

NHK これはかなり話が堅いけれど、聞いて、真似して、覚えて、ってやってれば、かなりイントネーション身につきます。日本にいても出来ます。

言い訳ですが、NZではインターネットの回線が遅くて、英語は殆どこれ出来てません…

が、スペイン語はずっとこれやってて、

俺は未だに巻き舌が出来ないにも関わらず(発音は悪いということ)、目閉じてたら外国人が喋ってるとは思えない、ってチリ人に言われたのは間違いなくこのイントネーションのおかげなのです。

英語ではDRIPPYとか熱狂的なファンを持つ教材が使い方次第では本当に最高になるね。



まぁどんな媒体で勉強するにしろ、単語→単語で覚えてるだけだと、多分喋れないし、

どう使ったらいいかって分かんないし、絶対例文で覚える必要はあると思います。


そして覚えた言葉をすぐに使う。

町に飛び出したり友達にメールしたりして、とにかくすぐに使うこと。

頭で覚えてる時点では、まだそれは誰かの言葉、辞書の表現を頭に持ってるだけだけど、

それを一度自分で使ってしまえば、それは自分の言葉になると思うんです。


もちろん一回使った表現だってすぐ忘れてしまうのが常ですが、

使えば使うほどスラッと出るようになる。

そんなの使う状況がない、というなら自分でその状況を作り出してでも使う!くらいの泥臭さはさすがに行きすぎですか?






と、何だか本当に英語もスペイン語も中途半端なくせに偉そうに書いてしまいましたが、

本当はこんなのどうでも良いと思ってます。



あなたの日本語のレベルはどんなもんでしょうか?


俺の日本語のレベルは・・・?


別に漢字を多く知ってるとか、慣用句知ってるとか、そういうことじゃなくて。

もちろんそれも大事で貴重な知識なんだけれど。



ニュージーランドでは、英語を喋れるアジア人が当たり前だから、

例えば最初に書いたような31歳の英語まだ始めたばっかの彼が街中で拙い英語で質問しても、

ネイティブ間なスピードでバーッと返してくる人って結構いる。


俺はその人がたとえ英語が喋れていても、英語をちゃんと使えている、とは思わない。



自分も気をつけなければ。



本当に大事なのは、

英語が喋れるかどうかじゃなくて、

英語で何を伝えられるか、なんじゃないかな。


本当に大事なのは、

速すぎるスペイン語も聞き取れるかどうかもそうだけど、

スペイン語始めたばっかの人が今何を伝えたいのかを感じ取れるかどうか、なんじゃないか。



日本語って当たり前のように使ってるけど、

日本語でちゃんと何か伝えられてるかを考えることって、まずない。



語学と離れてしまったようだけど、

もしかして自分はこんなところを忘れていたかもしれない、と思ったので、自分への警告として書いておきました。



街中で困っている外国人がいたら、助けてあげてみたら?

英語が喋れなくたって良い、「トレイン、グリーン、ストレート、マクドナルド、ターンライト」くらいで、

あなたの優しさは伝えられる♪





ってことで、個人的には、もう日本語でブログ書くの最後ってこのあいだ書いたのは、

日本に帰ったら、英語とスペイン語で日本の見所を紹介するブログを立ち上げます。


間違ってても良いし変な言葉使ってでも良いから、

こんな素晴らしいところや、こんな問題があるんだ、っていうのを、

メキシコやニュージーランドで出会った友達と共有できたら、

それはたとえ俺の外国語力が乏しくても、

何かを伝えられる、ってことになると思うから。



もちろん語学自体の勉強としても利用させていただきますよ。



ブログのタイトルは…


タコスの群れにまぎれて羊?


あっ日本語じゃダメじゃん。

落ち込んだとき

さすが女系なだけあってか、貧弱な体のせいなのか、日々の腹痛の蓄積なのか、

原因は分かりませんが、俺は物凄く弱い人間です。肉体的にも精神的にも。


俺の周りに居る人にはそれが分かると思うし、だけどそれでも、俺は自分の感情を殺すことが得意だと思っているから、本当はもっと弱いんだと思う。



ペットボトルのキャップ落として、口に付ける方が下になって地面に付いただけで

わっ、俺もう終わってるわ…

って思う。笑



いや、でも多分誰もそんなに強くないと思うし、誰でも考えることがあると思う。


自分は能力が無い。

自分は優しくない。

自分にはマスクがない。

自分はスタイルがよくない。

自分はダラけてる。


よく思う人も多いと思います。俺はよく思います。

マジ超女々しいな。笑



留学してても結局俺の言葉はこんなもんか、とか、

魅力的な人に会ってもこの人は俺なんかと一緒に居て良いのか、とか。


一回そんな風になると、学校では元気に振舞えても、家に帰ると何もやる気が出なかったり、

またそのわざわざ留学させてもらっておいてやる気が出てない自分が嫌になったりする。



そんなとき、支えになるのはいくつかの言葉だったり、考え方だったりします。


人間、ジャンプする前には小さくなる。



これは将来の自分の夢である、松井秀喜の『不動心』からの言葉。

雨が降ったあとは雨が上がるし、ケツが切れたらボラギノールだし。


くさい言葉になってしまうかもだけれど、雨の後にしか虹が掛からない、って最近オークランドの空を見てて良く思います。
羊の群れにまぎれてジャパン
(写真はオークランドじゃないんだけど)

小さくなるだけ小さくなって、その後でっかいジャンプしてやりゃ良いじゃねぇか!って。



自分に自信がなくなったときは、確かスペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットの言葉で、その人のこともよく知らないし本も全然読んでないんだけど、

「自分とは、自分と自分の環境のことである。」

っていう言葉。


自分自身はもちろん自分自身だけど、自分の周りにあるものは自分のものだし、

自分の家族は自分の一部を形成しているし、自分の友人は自分に影響を与えるし、

つまり出会って来た人全てが自分の一部、ってこと。



それを思うと、俺は物凄く自分自身に自信が沸いて来る。

こんな誇れる人たちと出会って来ただなんて、誰の人生にも負けない。

と心から言える。



あとは、ハクナマタタ。なんとかなる。

ライオンキングからだけど、本当心の底にそれがあるだけで、落ち込んでも、正になんとかなる。いずれは。



そしてこれは良いことか分からないけど、生まれてきてもどうにもならない、マレーシアやメキシコで見た路上の子供たちを思い出すと、コイツラのためにも俺はこんなとこでくよくよしてらんねぇ、って思える。



何か他にも多分自分が普段思い返してる言葉とか、考え方ってあったと思うんだけど、

まぁ今ぶっちゃけあんま思いつきません。




だけど他の人が悩んでたりして、相談されたりすると、

その人は悩んでるだけこれから伸びるんだな~、って素直に思えるんです。


向上心が無ければ、悩まないと思うから。

少し膝曲げただけじゃそんな飛べないっしょ。

今そんなに泣きながら悩んでるあなたは絶対に輝く、と思ってしまうのです。


だから悩んでる人の話を聞くのは、聞くこっちも良い刺激をもらえるし、

もちろんそんな話されるだけで、信用されてるんだな、って思えるかもしれないし、

もう溜め込むのは止めにしよう、

楽しいことを自分に分けてくれる友達なんだから、

辛いことも少しくらいしょってもらおう、

いや、

あなたをそれだけ信用してるんだと伝えてみよう、

くだらないことだって笑ってくれるかもしれない、

それは友からのハクナマタタのプレゼント、

一緒に悩んでくれるかもしれない、

それは同じチームに居るんだというメッセージ、

重いものなら一緒に持ったら良い、

高く飛びたいなら後ろから押してもらえば良い、

頼まれた方だって、その分楽になるかもしれないから。




何だか訳わかんなくなった…?


要するに、こんなに人が多い日本の中で、友達なんて本当に限られた人。

1億2千万人のうち半分以上も知ってるって人は多分居ないと思います。

友達なんて、半分以下。本当に貴重な存在だね。


留学には全く関係ないようで、留学前や留学中に色んな人に支えてもらったことでもあるから関係はあります。

この記事が誰かを落ち込ませないことを願います。笑 ん~なんか「ぶってる」感じ?笑




ってかトップ画像どうよ??