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本質にフォーカスし、ガイドする|アドバイザーの独り言

世界は大きな変化の時代を迎え、生活様式や価値観も大きく変化する中、
自分自身を生ききることがより大事になってきています。
その為に人類に残されたBG5®の情報について、BG5®研修生の視点で、
他者の潜在能力を認識するアドバイザーとして、感じたことを綴ります。

昨日の昼間、脚の悪い母を

行きつけの美容室まで

送ったのですが

 

ひさしぶりにパーマをかけてきた

とのこと。

 

 

御年86の母は

長いことカットのみのショートに

しているのですが、

 

薄くなった頭頂部が悩みの種で

 

もうどうにもならないえーん

と、投げやりな気持ちになったのか

 

 

「今日はどうしますか?」

と、担当美容師さんに聞かれた時

 

「手入れしなくて済むし

いっそのこと短~くしてしまおうかと」

と答えたのだそうです。

 

 

そ、それだけはやめてくれ〜

きっと後悔するからやめてくれ〜

(以上、私の心の声あせる

 

 

そんな母の気持ちを察したのか、

 

美容師さんが

「部分パーマをかければ

少しはふんわりしますよ」

と、勧めてくれたのだそうで、

 

さらに、

「そんな寂しいこと言わずに

女性なんだから

ずっとおしゃれしましょう〜」

と言ってくださったのだとか。

 

 

素敵な美容師さんだ〜

 

 

なので、私からも

「死ぬまで女なんだから

おしゃれしなきゃね〜

おしゃれしなくなったら

終わりだよ〜!」(←ヒドイッえー!!

と、追い討ちかけたら

 

「そうだね!おばあちゃん

と、即答した母でございました。

 

 

 

そんな母を見ながら

どれだけ年齢を重ねようと

女性は死ぬまで女性なんだなと。

 

 

私自身、

日々感じる自分の心身の変化に

心が揺れることがない

と言ったら真っ赤な嘘になるけれど、

 

 

でも、生きているってことは

決して当たり前じゃないし

 

どんな意識で過ごそうと

日々同じように過ぎていくなら

 

年齢を重ねることで得られるものを

自分の大事な肥やしにしたいなと。

 

 

そして、

女性として年齢を重ねることを

貪欲に楽しんでやれと。

 

 

そんな心意気をいつまでも

持ち続けたいものだと思います。

 

人間、生きてると

いろんなことがありますね。

 

私もここ3ヶ月ばかり

どうにも違和感を感じて

モヤモヤを拭えなかったことが

ありました。

 

 

あぁでもない、こうでもないと

頭で考え過ぎると

下手するとドツボにハマりかねないで

 

考えても答えが出ないことは

それ以上考えないようにと

心がけてはいるのですが

それができない時だってある。

 

 

そんな時、

ブログのプロフィールを

一部マイナーチェンジしながら

ふと思い出したことがありました。

 

 

為無為

 

無為を為す

=「何もしない」ことをする

 

 

老子の言葉とのことですが、

 

私がこの言葉を知ったのは

ヒューマンデザインで

誰もが最初に学ぶ講座

Living Your Designででした。

 

 

「何もしない」とは

何もしないのではなく

 

作為的なことをしない

という意味なのだそうで、

 

 

ヒューマンデザイン的に言うなら

マインド(頭)ではなく

自分のデザインに沿って生きる

と言えると思いますが、

 

 

実際、私が

ヒューマンデザインと出会った時も

確かに同じ状況(為無為)

だったなぁと思い出しました。

 

 

 

それまでの2年半ほど、

 

興味が湧いたこと

やりたい!と思ったこと

自分に必要だと感じたこと

すべきと判断したこと、などなど…

 

反応したのが

心だろうが頭だろうが

そんなことはお構いなしに

 

おっ!と思ったことには

即決即断して飛び込んでました。

 

 

それまでの私は

石橋を叩いて叩いて

叩き壊すタイプだったので

 

意識して即決即断することを

自分に課していたんですよね。

 

それ、自分のデザインじゃ

ないんですけどね〜あせる

 

 

でも、昨年の春頃

いろいろが重なったこともあり

結局煮詰まって

ニッチもサッチも行かなくなった。

 

 

あんなにやりたい!と思ったのに

まるで甘いモノ食べた後に

血糖値が急激に下がるように

(例が何ですかね、笑)

気持ちが急降下するって、謎すぎる???

 

ヒューマンデザインを学んだ今なら

何故なのかよ〜くわかりますが。

 

 

もうどうしたらいいかわからん!笑い泣き

 

 

そんな時にふと頭に浮かんだのが

しばらく何もしないでみよう…

そんな思いでした。

 

 

と言うより、

正直何もやりたくなくなった!笑

 

 

今思うと

それこそが自分の本音

潜在意識の声だったんだろうと

思いますが、

 

プツンと切れた私は(笑)

数ヶ月「何もしない」ことを

意識してみました。

 

 

その先に何が待ってるか?

自分はどうなるのか?

 

そんなことすら思い浮かばないほど

とにかく何もやりたくなかった。

 

 

もちろん、

どっかに籠ってたわけじゃなく

日常生活はそれまで通り

してましたけど。

 

 

そんな日々を数ヶ月過ごした頃、

 

ヒューマンデザインを

学ぶきっかけとなった

ある出来事に出会ったんですね。

 

 

為無為

「何もしない」ことをする。

 

 

それはまた、

自分の持って生まれたデザインを

信じて委ねること

でもあるのだと思います。

 

 

 

そういえば本棚にあったな…と、

 

詩人、翻訳家、随筆家であり、

タオイストでもあった

加島祥造さんの著書「LIFE」を

パラパラめくってみました。

 

 

気持ちがズーンと落ちた時とか

心がヒリヒリ痛む時とか

気持ちがシクシク悲しい時とか

 

折に触れて

手に取ることの多い本ですが

 

その中から一部ご紹介を。

 

 

無為とは

万象の内なるリズムに従って

為すことなのだ

 

 

人は自然のリズムを

体に備えて生まれてくる。

しかし成長するにつれて、

社会のリズムに合わせて

動くようになる。

 

しまいに社会の忙しいリズムに

巻き込まれた生き方になり、

自分に元から備わったリズムを

忘れてしまう。

 

そう気づいたら、

ちょっと社会のリズムから

はずれてみることだ。

自分の本来の生命のリズムが

甦るのを感じるよ。

 

老子の言う「無為」とは

「何もしないこと」ではなくて、

自分の内なるリズムに従って

ゆったりと過ごすことなのだ。

 

加島祥造「LIFE」PARCO出版

2007、pp.35-36

 

↑見やすいように改行しました。

 

 

 

 

ドツボにハマった時は

無理にどうにかしようと考えたり

考えても答えの出ないことは考えず

 

為無為を意識してみると

自分の内なる小さな声に

気づけるかもしれませんよね。

 

↑自分に言ってマス。笑

 

 

ーーーーーーーー

 

ふと思い出したことや

目にした言葉や何かに

気づきや答えをもらうことは

よくありますが、

 

読ませてもらいに行った先の

ブログから答えをいただくことも

しばしば。

 

あぁ有難いなと思います。

 

マイペースに更新しています

ヒューマンデザイン超入門編ですが

 

次に書く予定の

プロジェクターの3回目が

延び延びになってますあせる

 

 

自分で言うのも何ですが、

プロジェクターはやっぱり

ゆっくりペースなんだなぁと。

 

 

こんな時、

マニフェスターや

マニフェスティングジェネレーター

だったら、

 

さっさと始めて

あっという間に終わらせると

思うんですけどね。

 

 

ちなみに、

ジェネレーターには2種類あって

ピュアジェネレーターはコツコツ型。

 

始めたら最後まで一直線の

マニフェスティングジェネレーター

とは違い、ひとつひとつ

コツコツと積み重ねてゆくタイプ。

 

アリとキリギリスのアリ、ですね。

 

マニフェスティングジェネレーターは

キリギリス。

 

 

となると、プロジェクターは

…カメ、かカメ音譜←楽しそうだからOK!

 

 

※ジェネレーター

(ピュアジェネレーター、

マニフェスティングジェネレーター)

については過去記事で書いてます。

 

 

 

前置きが長くなりましたがあせる

 

 

 

今日は昼間、NHK BSPで

アナザーストーリーズ 運命の分岐点

「ビートルズ旋風 初来日 熱狂の103時間」

を放映してたので、

 

TVにカブリついて観てました。笑

 

 

3年前の本放送も観たけれど

ところどころ忘れてた箇所があったり

ちょうどポール来日のタイミングで

再放送してくれて、

 

私はリアルタイムではないけど

(ファンになってみたら

数年前に解散していたと言う…笑い泣き

 

ビートルズ来日から半世紀経つのかと

ファンとして感慨深かったです。

 

 

私にとって

洋楽への入り口だったビートルズ。

 

当時はまだ

ビートルズ聴いたら不良になると

わけわからんこと言われてましたが。

 

不良って何ですかね?

 

 

いつの間にか

教科書にも載るようになって(笑)

 

人間の価値観なんて

どうにでも変わるもんだワと

思ったことを記憶しています。

 

 

 

それにしても、

ビートルズに出会い

ファンになっていなかったら

確実に自分の人生は変わっていたなと。

 

 

中1で初めて聴いた時、

 

今思うと、彼らの曲に

それまで感じたことのなかった

精神の自由や開放を感じて

 

自分の内側が

エネルギーに満たされるような

目の前が開けるような

そんな気持ちになって、

 

言葉では言い表せない

たまらない魅力を感じたものでした。

 

 

 

詳細は端折りますが

幼稚園の年中組の頃から

次第に子どもらしさを無くし

 

小学生の頃には

なぜだかわからない違和感や

罪悪感のようなものを抱え

 

 

それが

「自分が自分だからダメなんだ」

という自己否定、

肯定感の欠如なのだと

何となく気づいたのは、

 

既に強迫性障害を抱えていた

高校生の頃だったと記憶しています。

 

 

当時はまだ

自己否定だとか自己肯定感だとか

そんな言葉すら

知りませんでしたけど。

 

 

 

でもそんな、

子どもらしくない子どもだった

私にとって、

 

ビートルズの音楽が

 

心の深いところにしまい込んでいた

人間が生まれながらに持つ

原始的なエネルギーをダイレクトに

呼び覚ましてくれたんだなと

 

あれから45年経って

確信しています。

 

 

 

たかが音楽。

されど音楽。

 

 

 

というわけで

ソロで一番好きなMaybe I'm Amazedを。

 

 

 

 

年齢は単なる記号とは言え

80近くになっても

瑞々しい感性で曲を作り続け新譜を発表し

精力的にツアーをするポール。

 

 

いつまでも元気で

何度でも日本に戻って来てほしいと

切に切に願います。

(って、今回のライヴ行ってませんけどイヒ

 

 

 

秋も深まってきました。

どなたも暖かくしてお過ごしください♪

 

先日、アーツ前橋にて開催中の

岡本太郎と「今日の芸術」

絵はすべての人の創るもの 展

を観てきました。

 

 

と言っても、展示内容に関しては

ほぼ書いてませんが、悪しからず。

 

 

画像はコチラからお借りしました。

 

 

出かけようとしたら

「岡本太郎の絵はよくわからないから…」

と母に言われたので、

 

「わかるわからないかじゃなくて

何を感じるかじゃない?」

と返したものの、

 

正直なところ、子どもの頃は

自由に描くのがとても苦手でした。

 

 

図画工作の時間に

好きなもの描いて…と言われた時、

 

何を描いたらいいかわからず困り果て

絵筆を持つ手が止まったのを

今でも覚えてます。

 

 

絵を描くのは好きだったけど、

 

指示されないと安心して描けない

違うもの描いたらいけない…

 

そんなことを考える子どもでした。

 

 

相手が期待しているものは何だろう?

何を描いたら正解なんだろう?

間違ったものを描いたら

怒られるかもしれない…うるうる。

 

 

今だったら

何でも良い…と言われりゃ

喜んで好きなもの描きますけど。

(と言っても下手くそですが。笑)

 

 

でも、子どもの頃は

したいようにしてよい…と言われると

何をするのが正しいか考えてしまい

それだけで緊張する子どもでした。

 

 

何でもいいから指示してよ。

その通りに描くから…みたいなおーっ!あせる

 

 

自分の気持ちを無視して

何が正しいのかを考える癖

今だにあります。

 

 

そうか、今だにそう考えてるのか…

と、正解不正解で考えがちなことに

気づけるようにはなれたけど、

(それも大進歩と思います)

 

長年の癖は

なかなかしぶといなと思います。

 

 

そうなんですよね。

 

それだけ、正解不正解で考える癖が

子どもの頃から染みついている

ってことなんですよね。

 

 

絵だろうが音楽だろうが本だろうが

何かを観たり聴いたり読んだりして

感じることは人それぞれで

そこに正しいも間違いもない。

 

 

自分が感じることが

自分にとっての真実であり

ただ感じることを味わえばいい。

 

もしも何も感じなくてもそれでいい。

(感じることを許してない可能性は

あるかもしれませんが)

 

 

自分が感じることを

他の誰かに強要する必要もないし、

 

でも、それぞれ違う人間同士が

感動を分かち合えたり

共感し合えるなら

それはとても素晴らしいと思うし。

 

 

正解を出すことを

日頃から求められ続けていると

 

自分が好きなことや欲すること

表現したいことを無視して、

何が正解かを追い求めて

しまいがちになるけれど。

 

 

でも、あなたの人生は

他の誰のモノでもない

あなたのモノなんだよ、と。

 

 

正解不正解とか

ありきたりの一般論じゃなく

自分は何をどう感じ

どう表現するんだ?と。

 

 

今回の展示会で

そのことをあらためて

痛感させられたのでした。

 

 

 

美術館内部の壁に

岡本太郎さんの著書

「今日の芸術」(1954年)

からの言葉がテープに印刷されて

グルリと貼られていたのだけど、

(面白い試みでした)

 

言葉の持つエネルギーが

心にグイグイと沁み込んできて

 

帰りにミュージアムショップで

一冊買って帰りました。

 

 

その中からごく一部ですが

ちょうど書いたこととリンクする

箇所があったので、ご紹介しますね。

 

本当の自分の力だけで創造する。

 

つまり、

出来合いのものにたよるのではなく、

引き出してこなければならないものは、

実は、

自分自身の精神そのものなのです。

 

そこが芸術の基本なのですが、

そういうもっとも

本質的なことになると、

とたんにハタと行きづまってしまって、

絵が描けなくなるというのは

どういうことなのでしょう。

 

「自由に描いてごらん」

「かってに描いてみろ」と言われて、

しかもそのほうが、

はるかにむずかしくて、描けなくなる。

 

これは、いかに「自由」にたいして

自信がないかを示すものです。

 

(中略)

 

描けないというのは、

描けないと思っているからに

すぎないのです。

 

うまく描かなければいけないとか、

あるいは、きれいでなければ、

などという先入観が、たとえ、

でたらめを描くときにでも

心のすみを垢のようにおおって

不自由にしているからです。

 

岡本太郎「今日の芸術」光文社

1999、pp.163-164

(初版本は光文社より1954年刊)

 

 

 

 

「芸術は、爆発だっ!!!」

 

 

このCMから、もう37年も経つのか…

 

頭のてっぺんから

マグマが噴き出すんじゃないか

ってくらいに

ぶっ飛んでたよなぁ…噴火

 

 

今回の展示では

そんな岡本太郎さんの

本気のエネルギーの凄まじさを

まざまざと感じさせられたのだった。

 

 

てか、65年前の言葉が今、

これだけ刺さりまくってるんだからなぁ…

 

 

 

2019年1月14日(月、祝日)まで。

 

時間:11:00〜19:00(入場は18:30まで)

休館日:水曜日、年末年始(12/28〜1/4)

 

 

 

画像はコチラからお借りしました。

 

 

展示を観た後は

併設のカフェ、ロブソンコーヒー

美味しい時間をどうぞ♪コーヒー

(別に回し者じゃありません、笑)

 

今回は、

以前の記事で「また後日に…」と書いた

最近特に強く感じることについてです。

 

 

実はこれについて前回書いたんですが

何を血迷ったか上書きしてしまい

モノの見事に消えてしまいまして笑い泣き

 

 

一度書いたとはいえ

やっぱり自分の中では見過ごせない

大事なことなので

もう一度書いてみようと思います。

 

 

 

最近強く感じること。

 

 

それは、

 

「私ができたんだから、

やりさえすれば誰だってできる」

 

そんな言い方や考え方、

もしくは、

 

有言実行

即決即断

 

それら、

ほとんど絶対視されている価値観

に対する違和感、疑問でした。




以前は私も、

 

私ができたんだから…と聞くと

 

お~、確かにそうだ!

その通りだ!

覚悟を決めて行動すればいいんだ!

 

と思いっきり納得してたんですよ。

 

 

でも、

実際に「できない」経験を経るうち

 

次第に違和感を感じるようになり

明らかな疑問へと

変わっていったんですよね。

 

 

 

そんな中、今年の2月だったか、

 

ヒューマンデザインの

テーマを絞ったあるセッションを

受けたのですが、

 

それをきっかけに

それまで私が感じていた違和感や疑問は

 

単なる個人としての感覚だけでなく

もっと本質的なことだったんだと

思うようになったんですね。

 

 

 

人は皆違う…と言いながら、

誰もが同じ方法で結果を出せる

と考えるのは無理がある。

 

ぶっちゃけ

それってオカシクない?と。


 

 

ヒューマンデザインを学ぶと

 

絶対的に良いと言われていることですら

所詮は思い込みでしかないことに

気づかされることが多いです。

 

 

先に挙げた

 

有言実行とか

即決即断とか

 

これらもほぼ絶対的に良いこととして

捉えられていませんかね?

 

 

 

でも、

そうすることがNGと

デザインされて生まれてくる人って

決して少なくないんですよね。

 

 

 

ヒューマンデザイン的に言うと、

有言実行する必要のない

(しても、上手くいかない)

デザインを持っている人もいれば

 

目の前に来たチャンスに

即座に飛びつくのはNG

というデザインの人もいる。

 

 

 

にわかには信じ難い考え方に

聞こえるでしょうけど、

 

 

自分の経験と照らし合わせて

日々、実験&観察を続けてみると

 

ヒューマンデザインの学びが

現実に合致していることに驚くし

気づかされて納得するんですよね。

(気づき方も

人それぞれの特性によりますが)

 

 

 

それはさておき、

 

 

実際、皆それぞれ

持って生まれるもの(個性、特性)

が違うわけで、

 

 

誰かが上手くいった方法というのは

 

あくまでもその人、もしくは

似た特性を持った人にとっての

上手くいく方法なのであって、

 

 

誰もが同じ方法で

上手くいくわけではない。

 

 

 

でも、真面目であればなおさら

言われた通りにできない自分を責めて

ドツボにハマったりおーっ!

 

(経験済みなのでマジ笑えない。

自分責めのストレスからか

食欲の暴走が止まらず

1ヶ月で体重7kg増えたことも有り。

その後、増えた分は戻しました)

 

 

体重増えたくらいならまだしも(笑)

自分のデザインに沿わないやり方は

時にとても残酷な結果を

招きかねないとも思います。
 

 

 

人は皆違う。

 

千差万別、百人百様、十人十色。

本当に人はさまざま。

 

 

このことを私自身、

常に忘れずに在りたいと思います。

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

そんなことを考えていたある日

猫の額のような庭の片隅に

ツワブキが咲いてるのを見つけました石蕗

 

 

ツワブキが花をつけると

あぁ今年も秋だな〜と思うんですが、

 

常緑で葉もツヤツヤしてるので

緑や色の少なくなるこれからの季節に

彩りを添えてくれるし

 

庭木の下草(グラウンドカバー)

としても、重宝するんですよね。

 

 

にしても、上の写真の

うすら寒そうな暗さとジメジメ具合。笑

 

 

もっと明るいところに植えたほうが

ツワブキも喜ぶんじゃ…

 

と思うとしたら

それは人間の身勝手で、

 

 

植物がお好きな方はご存知のとおり

 

明るい日陰〜日陰を好むツワブキを

日光のサンサンと降り注ぐ

明るい場所に植えようものなら

 

真夏には

葉焼けを起こしかねませんよね。

 

 

 

明るい場所を好む植物もいれば

暗い場所を好む植物もいる。

 

その他、気温や湿度や

タネを蒔く時期だとか土だとか

 

好む(得意な)環境はさまざま。

 

 

 

植物にもそれぞれの特徴があって

それぞれに合った生育環境でないと

成長に支障が出る石蕗あせる

 

 

それ考えたら

 

人間ならなおさらだよな〜

と思うのでした。