Dombyra-dee-dee〜中央アジアの無駄話とスケートとたまに旅行記〜 -8ページ目

Dombyra-dee-dee〜中央アジアの無駄話とスケートとたまに旅行記〜

中央アジアと日本を行き来しているくだらない日常とフィギュアスケートと旅行記など。カザフスタンの話とデニス・テン君の話が多いです。
コロナ禍以降はもっぱら国内旅行の話。最近は自分でも滑るのでその合宿関連多め。

2週間ほど前の話になるけど、通っているダンス教室の企画でローラーフィギュアの体験教室に行ってきた。


通っている教室はジャニーズが踊るようなローラーダンスが中心で、これは基本的に両足ついてることが多くその中で様々なステップを行うのだけど、フィギュアは氷上と同じく片足で滑ることが基本になるので、その基礎的な滑りを練習してスケート技術そのものを磨きましょうというのが今回の企画。


(で、私はダンス教室ではローラーダンスとポールダンスを組み合わせたようなローラーポールのクラスを取っているか、両方未経験だったのでなかなか上達しない)





場所は江戸川のリンクから近い「水辺のスポーツガーデン」。今回は貸切だけど、一般だと入場料50円とか激安らしい。さすが都営施設。また場所を取らずともローラーは許可されてる所であればどこでも滑ることができるという点では氷に乗るよりだいぶハードルは低い。




ローラーフィギュアの練習もやることは氷の上と同じです。ストロークの練習したり片足スクーターからクロスの練習したり。ローラーダンサーズは上半身の使い方がカジュアルだねやっぱり。




前に教室仲間でローラー自主練した時に遊びでやってはいたけど、ローラーフィギュアでのジャンプも教わった。こちらは先生のアクセルジャンプ。氷上よりも重心がちょっと後ろ寄りになるというか、足の裏全体でバシーンと降りてくる感じ。ローラースケートは重いので氷上フィギュアよりも回転数は下がるようで、トリプル跳べたら世界レベルらしい。



1W+1Tが跳べた?よ?でもこれ以外は氷上でのクセが出て全部前につんのめってしまった。




これは前に遊んだ時も試したけど、一部氷上だと出来たことないけどローラーだとできるものもあり…羽生さんの「へ」がローラーだと後輪が転がるのでできるんですよねえ…これも成功率は低いけど。




この季節の屋外競技は慣れないのでだいぶ不安だったけどこの日は涼しかったので助かった。暑さのピークが過ぎたらまたやって欲しい〜。













小学6年まで住んでいた千葉県柏市の家の近くにヨーロッパ調のお城があった。住宅街になぜお城があるのかずっと気になっていたが当時は自ら調べる術もなく。その後大人になってからアド街とかで紹介されているのを見て個人経営のカフェらしいということは理解したのだが、既に所縁のある人も現地にいないし他に観光できるところでもないので行く機会がないまま数十年経過してしまった。


それがコロナ禍で「豪邸」への興味が顕在化してたのを機に行ってみたいという気持ちが強くなり、7月の最初の土曜についに決行に移した。本来はお隣松戸市の「あじさい寺」として有名な本土寺にも寄って日帰り旅行ぽくしたかったのだが、予想外の早すぎる梅雨明けでシーズンが終わってしまった。残念。


当時の記憶を頼りに柏駅からお城へ向かってみた。我が家は車がなかったので子供のわりにはかなりの長距離を自転車で移動していて、家と駅もけっこう離れていた気がする。雨の日になるとバスを使っていたので、今回も時間短縮のために行きはバスに乗ることにした。





柏駅から5つ目のバス停、刈込で下車する。少し歩くと見覚えのあるペットショップがあった。この右の道が出身小学校に続いている。学校帰り、このお店の入り口すぐのケージにいたアメショの仔猫とガラス越しに戯れ合うのが楽しみだった。




お城に向かう途中に生家のある路地がある。子供心にボロいと思っていた我が家、とっくに建て替えられてると思ったらまだ健在だったな(中はリノベーションしてるのかもしれないけど)。表札は出ていないが人が住んでいる形跡はあった。一番手前はクリーニング屋さんだったけど、なくなってた。




それから住宅街のどん詰まりの方まで歩いて行くとお城がある…はずなんだけど、最後の最後で迷ってしまった。というのも、お城の先は「文京区のグラウンド」(というワードで覚えていたがなぜ文京区のものがそこにあったのかは不明)と田んぼしかなかったはずなのに、住宅街が拡張していたからだ。




最後だけ地図アプリを頼りに歩くと、唐突にお城が現れた。やっぱり日本の住宅街にあるのめちゃ違和感ある外観だな。


このお城、シャトー・ド・コーマルは城主で建築士の高丸氏が自宅として設計・建設したもので、フランス城主協会から正式にシャトーとして認定されているらしい。




いざ、中へ。覚えている限りは初潜入だと思うけど、もしかしたら小さい頃に親と入ったことあるのかな。




茶室で特許を取得している抹茶風コーヒー、珈琲利休をいただく。奥様に子供の頃近くに住んでいたと伝えると、懐かしいご近所さんの名前がたくさん出てきた。同級生たちの実家もみな残ってるようだった。




城内を案内していただいた。コロナ禍以降は少人数に絞っているようだけど、サロン文化の継承ということで様々なイベントを行ったり、芸能人やコスプレイヤーの撮影に貸し出したりしていらっしゃるそうだ。




密室なので現在は営業していないけれど、地下のワイナリーでフルコースのディナーも行っていたらしい。これはいつか行きたいな。




帰りは駅まで歩いてみることにした。近所を少し歩き回ってみる。小学校に入学して最初に席が隣だった男の子、後に結構有名な読者モデルになった幼馴染、お習字教室で半紙を真っ黒に塗って遊んでた1学年下のお調子者くん、それぞれの家には当時と同じ苗字の表札が付いていた。みんなここで大人になっていったんだなあ。中学生になる時に引っ越した私のことは覚えてないだろな。




帰りがけにアド街で毎回取り上げられてるホワイト餃子で夕食。ここは当時は行ったことなかったと思う。飲み屋街にあるから通る機会がなかったもんな。




なんだかんだ社会人1年目くらいまで通ってた(引っ越し先も一駅隣の市内だったので)ヤマハ音楽教室柏センターは居酒屋になっていた!これは衝撃。現役で活躍してる音楽家けっこう輩出してたんだけどなあ。




その近くにあり、これも大人になってからテレビとかでよく取り上げられてるのを見た複数体のカーネルおじさんが名物だったケンタッキーも居酒屋になっていた。これもびっくりだ。この2階のバルコニーにカーネルおじさんたち並んでたのに…。


家から駅までは当時の記憶の通り寄り道を差し引いても歩いて30分近くかかった。変わらないところと変わったところ、懐かしさと寂しさを感じながら帰宅した。本土寺リベンジのために来年また行けたらいいな。











小塚アカデミーのキャンプで軽井沢に行ってきた。オシャレな観光地での開催、かつスケジュール的に今回はわりと自由に動ける時間が長かったので行く前から何しよう何しようとワクワク。


昨年は出遅れてリンクからの(ギリギリ)徒歩圏内で宿を取ったので他にやることがあまりなかったのだが、今回は軽井沢でキャンプやるらしいという噂を聞きつけた時点で駅前のホテルを押さえておいた。その後節約のため駅から徒歩15分くらいのゲストハウスに切り替えたが、それでも今回は車のない私でも駅周辺ならじゅうぶんに歩き回れる距離だ。さらに参加者の方が現地でレンタカー借りて乗せてくださるというのでますます行動範囲は広がった。


朝6:45発のバスで新宿から向かったものの、埼玉県内で渋滞があり予定より30分ほど遅れて軽井沢着。陸トレの最初の方に遅れてしまった。どうも新幹線も遅れていたらしく、他にも遅刻の方がチラホラ。


初日は16:20に全ての日程が終わったので参加者何人かでゆっくりご飯することに。




宿は各自手配でみんなバラバラなので、チェックインを済ませてから現地集合することに。私はアウトレットの先くらいにあるゲストハウス・シャコンヌを予約していた。ぱっと見一軒家で看板も出ていないので素通りしてしまいそうだったけど、内装はめちゃ可愛かった。




夕飯は他の参加者の方が予め目をつけていたというアトリエ・ド・フロマージュのレストラン。テレビで紹介されてすごい人気になったようだ。予約を受け付けておらず営業時間わずか3〜4時間の間に並んで待つしかないのだけど、回転が早くて意外とすぐ入れた。




チーズ専門店がやってるレストランだけあって、どのメニューもチーズがふんだんに使われていて美味しすぎる…!中でもチーズフォンデュが絶品すぎて、これはチーズだけで酔えるわ…チーズと炭水化物ですっかり満足してしまいお酒を全く欲しなかった。




今回のアカデミーの参加特典で、駅近くにあるスーパーでさくらんぼとリンゴジャムをいただけたので翌朝さくらんぼを宿で食べた。肉厚で美味しい。




宿の内装は至る所で音楽関連のモチーフが使われていたが、食堂にはピアノ、バイオリン、そしてチェンバロが。オーナー夫妻が音大出身で、朝食の時間にピアノとバイオリンの演奏を聞かせてくれるらしい(今回は旦那様が不在だったので、奥様が弾いてるピアノの音が部屋にいる時に聞こえてきた)。




私は素泊まりプランにしてオシャレカフェで朝活しようと思っていたのだけど、宿の近くにあるエッグベネディクトが有名なカフェは完全予約制で入れず。




そのまま開店前のアウトレットを横切り、結局駅中のカフェで朝食。





その後開店したアウトレットを少し見た後、駅で参加者同士で待ち合わせして、北口メイン通りの先の林の中にある老舗カフェ「ミハエル」で少し早めの昼食。軽井沢で初めてテラス席を設けたカフェだそう。




そして創業者がロシア人でロシアンティーとクリームチーズケーキが売りと聞いてここは是非とも訪れたいと思っていたのだ。ムースのように滑らかなクリームチーズトルテ、美味しかった…!今度は違う種類のジャムのロシアンティーもゆっくりいただきたい。軽井沢、素敵なところがありすぎなのでスケートのついでじゃなくて100%観光で来たいな。




スケート以外の話ばかりになってしまったが、スケートも真面目にやりましたよ。今回はトウやヒールを使うという大人向けの教室ではあまりやらない動きが多かったので氷の上にいる間中爪先も足裏も脛も太腿もぜんぶ痛かった。




そして今回みんなでやったプログラムの曲が”Singin' in the Rain”だったので…小塚氏の憧れ、カート・ブラウニングの名プログラムからの選曲だったらしいが、私はこの曲といえばデニス・テンなので、デニスのにちょっと寄せた衣装を着てみました(本当はデニスの友達ショーで真央ちゃんが再現した方の衣装にしたかったんだけど、グレー×ボルドーのベストが売り切れてて断念…)。


あのプログラムをデニスが日本で披露した後に私は中央アジアに渡って、それから今は細々とだがスケート再開したのもデニスがきっかけで。技術はまっっっっったく違うけれども、思い入れのある曲を体で感じて動ける機会があるというのはありがたいことだな。小塚アカデミースタッフの皆様、ありがとうございました。なかなか上達しないけど、次はどんな曲で滑れるんだろうと楽しみに待ちながらちょっとでも練習していきたいと思います。









熊本2日目。この日も城彩苑でピックアップしていただくことになっていたので、チェックアウトを済ませて現地で朝ごはんにしようと少し早めに出発した。




昨年の空振り田原坂の際に城彩苑の中にあるTENTEという果物屋さんで食べた「くだモン」というさまざまな果物を丸く切って敷き詰めたソフトクリームが美味しかったので、今回はそのお茶バージョン(アイスティーの中に果物がごろごろ入ってる)をいただこうと思っていた。が、まだ開店していなかった


10時過ぎに研究会の方と合流。この日は雨なので前日のような道なき道を歩くことはせず、車で玉東の方にある遺跡を巡る。




まずは二股瓜生田の官軍砲台跡地へ。谷底を挟んで向かい側に田原坂資料館が見える。目で見ると遠く感じるが、大砲なら充分に届く距離だし双眼鏡があれば敵地の様子もわかるという。




この地域は玉名郡玉東町になるので管轄が異なる。調査は合同で行われたらしいが、その遺跡の紹介の仕方は熊本市内とは異なる。昨年の旅行の際西南戦争遺跡のことを色々調べていた際、「年刊田原坂」とは違う絵柄の漫画が出てきて何故だろうと思っていたのだけど、そうか熊本市と玉東町の違いだったのか。今のところ玉東町の方が散策コースの案内やQRコードなど現代的なアプローチが整えられている感じがした(熊本市も将来的には設置したいそうです)




徒歩でしか通れない竹林の道を歩く。途中に官軍本営出張所跡の石碑があった。ここから抜刀隊が出陣したらしい。雨の中歩くと傘をさしていてもあっという間に濡れてしまう。「雨はふるふる じんばはぬれる」という歌詞のとおり田原坂の戦いは雨の日が多かったそうで、この日のように雨の中を歩くことで当時の様子をよりリアルに感じることができるため、ここに来るときに雨が降るのはラッキーだそうだ。




竹林から再び住宅街に抜けたところにある古閑の官軍砲台を見た後、先程の場所に戻って車移動。木葉駅の近くにあるお蕎麦屋さんで昼食休憩。去年は天気が良ければ木葉駅から田原坂を経由して植木駅まで、西南戦争ゆかりの地を歩こうと思ってたんだよな。でも今回わかったのは地図上に載っている場所だけではなく裏道にも西南戦争の名残はいろいろあるということだ。やはり2日では足りない。




お昼ご飯を食べた後は横平山へ移動。ここは立地的に非常に重要な場所のため両軍が激しい争奪戦を繰り広げた。結果官軍がここを押さえたことにより薩軍は防衛ラインを下げることになる。




更にその奥にある半高山へ。ここまで来ると田原坂がだいぶ遠い。こういう所は足のない自分はなかなか来れないなぁと思ってしまうが、西南戦争当時の斥候は草鞋で日々駆け巡って情報収集・伝達してたんだよなあ。熊本に来るたびに思うが、145年前ってそんな大昔でもないのだ。自分の高祖父くらいの世代だと思うとけっこうリアルだなと。




15時くらいに散策は終了。最後に最近研究会で作られたというTシャツを購入した。これも「年刊田原坂」の表紙の作家さんのデザインで、戦地を歩く草鞋の足と当時咲き誇っていた椿という渋いデザインである。以前雄ちゃんがプリントされたTシャツが出回っていたらしきことは知っていたのだが、今回は普段使いしやすいデザインをとのことらしい(しかし、雄ちゃんのも欲しいな…)。なおこの日寒かったため購入してすぐ着たため、写真クシャクシャですみません。


2日間の散策を終えて城彩苑に戻ってきた。帰りの飛行機は20:45発だが、余裕を持って向かうため17:37桜町バスターミナルを出発するバスに乗ろうと思っていた。お土産を買うために再び城彩苑をプラプラ。こんどはTENTEも開いていたが、くだモンはシーズンオフで再来週くらいからの販売だそうだ。残念。




くだモンという目標の甘味を失ってしまったのでどっかでお茶するかとバスターミナルのあるビルに入る。どうにも決め手に欠ける中、結局京都で行きそびれた抹茶のカフェに熊本で行ったという




予定より1本早いバスで熊本空港へ向かうことにした。しかし、最近そこそこ大きい地方空港しか使ってなかったから忘れてたけど、熊本空港、何もないな。レストランはフードコートがあるのみで、カフェはタリーズが出発ゲート側に行かないと無い。充電スポットなどもないのだが歩き回っていたら到着ロビーの出迎えゾーンにあるくまモンの畳の椅子(かわいい)のところにコンセントがあったのでしばらく充電休憩。




スマホの体力がある程度回復してからフードコートでごはん。あか牛か馬刺し食べたかったけど節約のため熊本ラーメンにした。


定刻通り成田に着いて、空港からの最終バスで東京駅へ。地元への終電が微妙だと思い宿を取っていたので一泊し、翌朝自宅に戻って睡魔と戦いながら仕事したのだった。



↓今回ご案内いただいた中原幹彦氏の著書。中原さん、研究会のみなさま、ありがとうございました。


2020年10月に訪れた熊本でたまたま目にした「西南戦争」のイラストに一目惚れし、それが田原坂資料館で配布されている「年刊田原坂」の表紙であると知って急遽旅程を変更して資料館に行った。


昨年8月、田原坂をもっとじっくり散策するため(そしてもちろん年刊田原坂の新刊を手に入れるため)再訪を計画したものの、コロナで資料館が一時閉鎖。更に台風が直撃してしまい現地には行ったものの熊本市内の宿で酒飲んでるだけで旅が終わってしまった。



という話をTwitterで垂れ流していたところ、なんと西南戦争研究会の方から「次回はご案内します」とのメッセージをいただいた。実は「年刊田原坂」の表紙の作家さまの、現在は休止中というアカウントを見つけ出してダメ元でファンレターを送ったことがあったのだが、どうも作家さまがそれを見て私のアカウントを研究会に伝えてくださったようでたまにこういうミラクルが起こるから好きは惜しみなく発信しといて良かったと思う。


そして今回、研究会の方とスケジュールを合わせ、3回目、いや2回目は辿り着けてないから実質2.5回目の田原坂来訪が実現することになったのである。


今回は祝日のない普通の土日なので現地にいられる時間を極力長くするため行きは早朝発、帰りは夜発のLCCを使用。どちらも自宅⇄空港間の移動が間に合わないので前泊・後泊も入れて34日の旅。


金曜日、仕事を終えてから成田空港へ移動。自宅からだと東京駅からのバスに乗るのが一番効率良いし安いのだが19:30の最終バスに間に合わなそうだったので電車で向かった。第2ターミナル直結のカプセルホテルに宿泊。翌日7:20のフライトで熊本あそ空港へ。これまでの熊本旅は九州の他県から陸路で入ってたので熊本空港は初。


着陸から市内へのバスの接続はとても良かった。バスのHP見てたらこの同じ日程で熊本市であいみょんのコンサートがあるので特定のバス停を通過するとか書いてあり、バス満席で乗れなかったらどうしようとか考えていたが混乱は全くなかった(時間帯が違うのだろう)


桜町バスターミナルで下車して徒歩で移動。熊本城麓の城彩苑で研究会の方と合流。




まず最初は田原坂の西南戦争資料館を再訪。現在の田原坂資料館は大規模な発掘調査を経て2017年にリニューアルされたもので、その展示の意図などを説明いただきながら見学する。




展示品には本物もあればレプリカもあるが、そのレプリカも自分達で手作りしたりしているそう。




初めて田原坂資料館に行った時、阿蘇から無理やり引き返したのは「年刊田原坂」のイラスト展が期間限定でやっていたからだったのだが、コロナ禍による閉館が相次いだため当初の予定を1年以上過ぎた今も展示されていた。




年刊田原坂の誕生秘話なども聞いた。私が一目惚れした表紙の美少年、山口雄吾(通称雄ちゃん)は長崎のグラバーの息子で後に長崎県知事になるという設定があることをどこかで見て知ったのだが、当初は戦死する設定だったらしい良かった生き延びてくれて。「年刊田原坂」の表紙は西南戦争の時系列を追って物語性のある内容になっていて、展示内容見るとキャラデザもかなり細かい設定があるのだが、検索してもその数点のカット以外に姿が見えないことが不思議だった。他に展開する予定は特になくほんとにこの「年刊田原坂」のためだけに細かく作りこんだらしく、プロジェクトメンバーの拘りを感じる。




年刊田原坂の最新号やその他の冊子、グッズなどもいただいた。雄ちゃんや現在の表紙を飾る窪田征巳郎の活躍をもっと見たいなあ(ちなみに窪田はモデルの窪田重太が西南戦争で殉職してるので、いつかはそれが何らかの形で描かれるのかなと思うと切ない…)


午後からは研究会のメンバーが2人合流した。なお表紙の作家さまも研究会のメンバーなのだが今回は別件で参加できずとのこと。残念。計4人でいよいよ実際の激戦地へと足を踏み入れる。




資料館の裏に美少年像、そして慰霊碑がある。美少年像は具体的に誰というわけではなくこの地で戦った若者たちを総称しているようなので、山口少年でもあり戦死した束野少年でもあるということだろう。なお「いたずらしないでください」的な貼り紙がやたらあるのだが、どうも刀をグニョグニョ折っちゃう不届き者がいるらしい田原坂、心霊スポットとしても有名らしいのだがそういうことするからじゃ(と言いつつ美少年の霊ならちょっと会ってみたいと思う自分もいる)




それから熊野座神社に移動。田原坂の戦いからわずか数ヶ月後の明治108月に再建されているらしく、銃弾の跡の残る材木が使われているとのことだった。




大規模な発掘調査で弾丸や薬莢が出てきたそうだが、今でも埋まったままになっていたものが雨が降ると流れ出てくるらしく、道端で普通に見つけてしまった。これが人間の体を通過したのかもしれないと思うとホラーですけどね…(地元の研究者でもそれで家族が嫌がるから持って帰れないという方もいらっしゃるらしい)




正直私は「田原坂を案内していただく」ということをナメて考えていたようで、研究会の皆さんの足腰の強さに驚かされた。記念碑とか立ってるヌルい所ではなく、ガチの山の中を薮を掻き分けながら歩いていく。田原坂周辺の地形は高低差がありボコボコしているので死角になる所が多いそうで、これ急に攻撃されたら敵わんわと実感する。そして人は簡単に遭難するということもわかった。藪の中で研究会の方を完全に見失ってしまった。数メートル横は車道だというのに(仕方なく車道に降りて待機)


発掘調査から数年経った現在は山の中の私有地は猪避けの電柵が張り巡らされていて既に入れなくなっている所も多いが、研究会の方が農家の人にお願いすると入れてくれるし「おれは何百個も持ってるから」と拾った弾丸もくれた。


こうして1日目が終了。宿に帰るともう夕飯を食べに行く気力もなかったので、近くのスーパーでお酒とおつまみ(もちろん馬刺し)を買って、シャワー浴びて寝れるだけの状態にしてからいただいた。




今回の宿は市電洗馬橋の近くにある女性専用のゲストハウス。酔っ払いそうだったのでドミではなく個室にしたが、共用部分の内装がめちゃめちゃ可愛かった。




屋上も素敵で、ここで熊本城のライトアップを見ながら飲みたかったけど蚊の餌食になると思って我慢。リビングに漫画もいっぱいあったけど疲れて手が出せなかった。次回はもっとゆっくり日程で来て西南戦争散策日と宿でボーッとする日に分けるのもいいな。



↓今回案内してくださった中原幹彦氏の著書です。