土方歳三の遺髪を見に行った話 | Dombyra-dee-dee〜中央アジアの無駄話とスケートとたまに旅行記〜

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コロナ禍以降はもっぱら国内旅行の話。最近は自分でも滑るのでその合宿関連多め。

土方歳三の遺髪があるという話がXのTLで流れてきた。そのきっかけとなったTV放送は見ていなかったのだけど、保管元の佐藤彦五郎資料館が期間限定で公開すると公表していたため、行ってみることにした。




8:30から整理券配布ということだったので、5時に起きて7時前の電車に乗る。新選組のふるさととして知られる東京都日野市。学生時代に高幡不動に住んでた友人がいたので何度か訪れてはいるが、JRの日野駅側には行ったことがない。丸の内線沿いのうちからだと荻窪まで出れば1本で行けるので、気軽な日帰り小旅行としてもちょうど良かった。駅に着くといきなり土方さんがお出迎えしてくれる。




駅から資料館までは徒歩10分ほど。駅から足早に向かっていく人々を見て焦りを感じる。8時前に資料館に到着すると大行列かと思いきや人はまばら。どうやら住宅街にあるため近所迷惑にならないよう、配布を早めたとのこと。



だんだら羽織を着たスタッフさんから無事に整理券をゲット。さて、これから2時間の空白ができたので駅方面に戻るか。




駅から資料館への道は水路が通っていて素敵な景色。



時間があるので宝泉寺にある井上源三郎のお墓に手を合わせに行ってきた。井上源三郎は私の中では今でも大河ドラマの小林隆さんの人の良い笑顔が浮かぶなあ。



駅前のフレッシュネスバーガーで朝食休憩して(それ位しか開いてるところがないので資料館周辺で見かけた方みんないた)、時間になったので再び資料館に戻る。


佐藤彦五郎は日野宿に天然理心流の道場を開いた人物で、土方歳三の親戚にあたる。その子孫が資料館を運営していて、この度ずっと保管していた土方の遺髪を公開したようだ。中は撮影禁止だったが、新選組の隊員が佐藤にあてた手紙や様々な資料が展示されている。中に20何ほど前に新選組隊員の子孫が集まった写真があった。子どもを持たずに亡くなった隊士も多いので直系ではないけど、土方も沖田も子孫が残ってるんだな…遺髪も見て、なんだかドラマや映画や漫画の中の登場人物のようなイメージだった新選組が実在したということをようやく実感できたというか。


中では佐藤家現当社のお孫さんの解説も聞くことができた。こういう家に生まれるとその歴史を守っていくことが使命でもあるのだなと感じた。私は明治生まれの曽祖父の代までしか知らないからな…(私が生まれた時には既に亡くなってたが、祖父母の家に写真と戸籍謄本があった)。私は自分の150年前の祖先のことがもうわからないけど、彼らは見えてる世界が違うんだろなと。




資料館の後は、その佐藤家が営んでいた日野宿本陣に移動。前に行った諏訪と違って日野は宿場町と言っても当時の面影はここと数軒しか残っていない。



ここでもボランティアの方の解説があった。襖の上にある鍵隠しのデザインがそこに寝泊まりする相手によって意味を持つよう異なってたり、この部屋で土方が昼寝していたなどのエピソードも残っている。




日野宿本陣跡の向かいに観光案内所がある。そこでお土産に土方歳三うどんを買った。ポストカードつきセット。土方、やっぱかっこいいよなぁ…。




日野宿本陣で日野のそばのエピソードを見たのでお昼は蕎麦にしようと思ったが、佐藤彦五郎資料館の近くにあるお蕎麦屋さんは大行列だったので諦めて、そのまま約15分歩いて新選組のふるさと歴史館に移動した。日野宿本陣とセット券が販売されている。日野には他に井上源三郎資料館、土方歳三資料館もあるがいずれもこの日は非公開。本当は40分ほど散歩して高幡不動まで行こうと思っていたが、日差しが強くて頭が痛くなってしまったため断念した。



駅の反対側にある別の蕎麦屋でかなり遅めの昼休憩して帰路についた。たまに知らない土地にふらっと来るのは楽しいし、京都、会津、函館、日野と新選組ゆかりの他もだいぶ回った感ある。実は出身地の隣の市である流山のゆかりの地はまだ行ったことがないので、そのうち行かないとな。