腑に落ちるということ
こんにちは!日本の夏はやっぱり暑いんだと思いますが、ここトロントでは、冬寒いかわりに、夏は過ごしやすいです。でも、必ず、数回はヒートウエーブというのがあって、30度超えで暑い夏日もありますが、ここ数週間は、最高気温が20度台後半と、夏らしく、でも過ごしやすいです。それでも家ではエアコン使ってますが(カナダの家は全暖房になっているので、その通気口を使って、全冷房にしている家も多く、うちも全冷房、24度に設定してますが、カリブ海出身の夫は、寒い寒いと言ってます。 体感気温って、何年経っても変わらないようです。これは分かり合えないけど、お互いに相手の体感気温が違うことを認め合って、とりあえず上手く気温調整してます。さて、本題ですが、腑に落ちるということ。なんのこっちゃって感じですが、身体と心がそうだってわかることかな。ここで私が感じたのは、やっぱり自分と向き合って、今まで頭で理解していたことが、体感としてわかってきたと言うことについて、少しお話ししようかと思います。私は今のようにスピリチャルがある程度浸透していた頃より前の1980年台くらいから、自分の辛いと思っていた人生をなんとかよくしたくて、また、幸せになりたくて、スピリチャル関係の本を読んだり、いろんな情報に触れていました。瞑想も何十年もやってるし、ありとあらゆるエネルギーワークのコースや、スピリチャルのコースも学んだ。霊気の資格も取りました。セドナのスピリチャルツアーも、トロントから参加したなあ。まあ、好きだから自然にその方向に導かれていったのだと思うし、それが真実だと魂がわかっていたのだと思う。でも、、、、それを実際自分の人生に実践していたかというと、そうでなかったんだよね。頭でっかち、情報として、頭で理解したいたけれど、それを自分で体験、腑に落とすというところに行っていなかった。3年前に癌になった時、もう、私が全く自分の魂の望みでない方向に行っていた強制終了が起こったとすぐにわかった。そして今年になって、その再発を経験した時、え、今回はなぜだ?という自分でも瞑想もしてストレス溜めないような生活してるのに、何を学ぶため?とちょっと戸惑った。そして、その癌の恐怖と、身体の苦しみという経験を得て、やっとここにきて、自分がありのままで生きていなかった、自分を表現していなかった、この魂を生ききっていなかったということに気づき、そこから恐怖にも向き合い、受け入れ、感謝するというワークが始まった。これって、ほんときついよ。だってそんな恐怖のエネルギーなんて感じたくないもん。でも、まずそれを感じて、認めないと、エネルギーは動かないんだよね。もう、どうにでもなれといった、サレンダー、これね、エゴはもう必死にしがみついて、それと闘おうとするのよ。でもいつかは認めて受け入れて、更には感謝をするところに向かう必要がある。そこで、やっと、腑に落ちるんだよね。そう、今この辺の段階です。そしてやっと、私の中の底に眠っていたエネルギーが、かき乱されて、浮上してきて、成仏するとこまできたようです。だから、何が起こってもやっぱり結局大丈夫なんだよね、必要なことしか起こらない、だから、もう降参するしかない。そこにいくと楽になれるんだ。今回、体感しました。もう、認め、サレンダーするって、それが深いところにあるエネルギーであればあるほど、きついけど、どんなエネルギーも必ず動くから、自分の魂のその本質である、愛を信じて、戦いをやめるのが鍵。すごく抽象的なお話ですが、今、シェアーしたくて、ブログに書いてみました。愛の循環。調和の取れた優しい世界。それが私が心から見たい現実です。