『ここら辺が多い地域〜』みたいなとこはあっても、
ここまで<The Little India >ってわかるインド人街はなかなかインドネシアでは珍しいんじゃないでしょうか?
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240619/14/eriko-spis-mix/f0/cb/j/o1080067615453402588.jpg?caw=800)
ジャカルタとかスラバヤ、スマランとか今まで行った地方都市にもなかったと思う。
マレーシアやシンガポールみたいなインド人街
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240619/14/eriko-spis-mix/a4/e6/j/o1080074415453402596.jpg?caw=800)
Mariamman Temple
(Kuil Shri Mariamman)
6:00~12:00
16:00~20:00
お昼はあいてない!
このヒンドゥー寺院自体があいてないのもあるかもしれない、このLittle India に人が集まり盛り上がってくるのは夕方から!!
2軒ほどインド料理のワルンが開いてるにはあいてたけど、周りに座ってるインド系のおじさんたちによると
「この時間に来ても店開いてないよ、夕方から」
と言われたけど、近いところで一軒だけ開いてる店を教えてもらい、ほとんどシャッターおりてるか?インドネシア軽食カフェの間にあるお店へ
![笑い泣き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/015.png)
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なぜMedanに大きなインド人街があるのか?
調べたら、このLittle India Gateのあるエリアの(約10ha)Kampung Madras(マドラス村)に住んでいる住民のほとんどがインド系だということ。
デリ王国周辺のタバコの品質が非常に良いことから、1869年にオランダの(デリ社)Deli Maatschappijは、 デリ王国内でDeli川とBabra川の合流地点という便利な場所だったこの地域に大規模なタバコ農園と生産事業の会社を設立。
当時のDeli(Medan )の人口がそれほど多くなかったため、デリ社だけでなく、スマトラの多くの起業家はジャワ島、中国、インドから労働者を呼び込むことにした。
インド人を誘致するために、オランダの実業家は 1883〜1884 年にカルカッタで開催された国際展示会でタバコ農園のパンフレットを配布しました。
多くのタミル人がタバコ農園労働者としてデリ地区に送られ、1886年にはすでにプランテーションには2,000人のタミル人が働いていた。
貿易で活気づいたメダンには更にボンベイなどからインド人の商人階級の人々もやってきた。
ビジネスが成功し、Deli社はこの地域のタバコ貿易で独占で輸出をおこなって、10の巨大な農園を経営し、他に54の駅を含む鉄道を開発し、野戦病院も建設。
木材、建設資材、タバコ産業の貿易流通会社など多角経営に発展し、アムステルダム株式市場に上場し、毎年多額の株式配当を支払った最初の近代企業になった。
Deli社とメダンが成長するにつれて、デリのスルタンは港の方にあった宮殿をこのあたりに移した
タバコ農園で働いていたインド人はKampung MadrasやStarbanに集中して仕事を掛け持ちしながら定住し、
インドネシア独立後、Deli社や他のタバコ工場は国営になり、プランテーションで働くインド系はいなくなり、ほとんどが貿易や商売の仕事に携わっています
ちょうどこのLittle Indiaの裏あたりに
があるのですが、現在の北スマトラ州知事庁舎は、Deli社のタバコ研究施設だった建物を使っています。