そもそもは全然知らなかったのですが、ヨーロッパやシンガポールにも絵があって、有名なインドネシア人画家でRaden Salehという人がいます。
ジャカルタの史跡なんかないかなーと探していて「おっ!有名人の家があるやん!」となったわけですが
実は知らずに数年前にUbud の美術館ArmaでRaden Salehの絵を見ていた。
シンガポールのオークションで高額がついたということで「へぇ~」ってなくらいでしたが...
調べたところ
Raden Salehの絵画は、当時ヨーロッパで人気があったロマン主義と、ジャワの背景を示す要素を組み合わせたもので、オランダ統治時代のインドネシアで近代芸術の先駆者となりました。
Raden Salehは、スマラン近くのアラブ系ジャワの貴族家庭に生まれ、 叔父のスマラン摂政によって10才からバタビアのオランダ人に預けられ、絵の才能を開花させます。
オランダのヴァンコロニエン部事務所の装飾に使うジャワ島の風景画を描くために派遣されたオランダのアカデミーオブファインアーツの元教授Payenは、RadenSalehの才能に興味を持ち、率先して指導を行いました。
Payenは、オランダの絵画の専門家の間では目立ちませんが、Raden Salehの並外れた才能に感銘を受け、オランダで勉強できるように尽力しました。
20年間ヨーロッパに住んだ後、1852年にオランダ領東インド(インドネシア)に戻り、植民地政府の絵画の学芸員として働き、風景を描き続けながら、ジャワの王室のために多くの肖像画を描きました。
画家として知られているだけでなく、1891年にデュボアがトリニールでピテカントロプスエレクトゥスを発見するずっと前にラデン・サレーが1880年代にガウィで、動物と人間の化石の最初の体系的な発掘を行い、考古学と古人類学の先駆者としても認められています。
Rumah Raden Saleh
今はCikini病院の敷地になっています。
Google Mapでは博物館となっていますが中には入れないし、病院の事務室の一つがあるくらいです。
これがなんと!
ガドガドのレジェンドの記事で調べたKebun Binatang(のちにラグナン動物園に移る)の名前の由来の動物園のことだった!
Raden Salehの家の敷地のそのほとんどは1862年に動物園や公園に寄贈されました。
1960年にはTaman Ismail Marzukiがたてられます。
今の地図だとこの枠の部分はRaden Salehの敷地だった!
おもしろい、こんなとこで繋がってたとは....
日本の占領中は、チキニ病院は海軍病院(日本海軍)として使用されました。
このあたりは病院が本当に多いのですが'、この病院も歴史あるジャカルタでは古いレジェンド級の一つ。
オランダ時代の建物のままがほとんどで大都会ジャカルタの施設で平屋か二階建てのまま、広大な平面駐車場も舗装が全部されてないもったいない敷地の使い方
まぁ、近代化されちゃうとこの景観と歴史ある建物はなくなってしまうわけなんですが.....
中にはは入れないけど
もし【Raden SalehテーマのPT.Sehari-hari Tour】をやるとしたら....
道路の方向的に
●Gallery National(国立美術館)
で絵を見て
⬇️
適当に車停めて
で昼御飯食べてから
⬇️徒歩で道路挟んですぐ
でアイスクリーム食べたあと
⬇️車でも徒歩でも行ける
●Rumah Raden Saleh (PGI Cikini)
これで、絵画鑑賞とランチ&デザートとRaden Saleh の家を見て、移動時間合わせて3時間あれば楽勝で回れるコース
Rumah Raden Saleh(PGI Cikini)
Jl.Raden Saleh Raya No.42,Cikini. Menteng.Jakarta Pusat
まぁ家ってだけで「へぇ~」ってだけなんですが、他にもこの界隈はいろいろあります