インドネシアの有名画家Raden Salehの家 | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

そもそもは全然知らなかったのですが、ヨーロッパやシンガポールにも絵があって、有名なインドネシア人画家でRaden Salehという人がいます。


ジャカルタの史跡なんかないかなーと探していて「おっ!有名人の家があるやん!」となったわけですが

実は知らずに数年前にUbud の美術館ArmaでRaden Salehの絵を見ていた。

シンガポールのオークションで高額がついたということで「へぇ~」ってなくらいでしたが...


調べたところ

 Raden Salehの絵画は、当時ヨーロッパで人気があったロマン主義と、ジャワの背景を示す要素を組み合わせたもので、オランダ統治時代のインドネシアで近代芸術の先駆者となりました。

(Gambir駅前にあるGallery NationalにRaden Salehコーナーがあります)

Raden Salehは、スマラン近くのアラブ系ジャワの貴族家庭に生まれ、 叔父のスマラン摂政によって10才からバタビアのオランダ人に預けられ、絵の才能を開花させます。


(1840年に描かれた「Kapal Karam Dilanda Badai」)

 オランダのヴァンコロニエン部事務所の装飾に使うジャワ島の風景画を描くために派遣されたオランダのアカデミーオブファインアーツの元教授Payenは、RadenSalehの才能に興味を持ち、率先して指導を行いました。

Payenは、オランダの絵画の専門家の間では目立ちませんが、Raden Salehの並外れた才能に感銘を受け、オランダで勉強できるように尽力しました。 


20年間ヨーロッパに住んだ後、1852年にオランダ領東インド(インドネシア)に戻り、植民地政府の絵画の学芸員として働き、風景を描き続けながら、ジャワの王室のために多くの肖像画を描きました。

画家として知られているだけでなく、1891年にデュボアがトリニールでピテカントロプスエレクトゥスを発見するずっと前にラデン・サレーが1880年代にガウィで、動物と人間の化石の最初の体系的な発掘を行い、考古学と古人類学の先駆者としても認められています。 


博物館にRaden Salehか発掘した石碑があるらしいけど、どれのことかはわからない。
これから調べる!

Raden Salehは、ドイツ滞在中に住んでいたカレンベルクの宮殿を基に、1852年にチキニに広大な庭園を持つ家を建てました

 Rumah Raden Saleh

今はCikini病院の敷地になっています。

Google Mapでは博物館となっていますが中には入れないし、病院の事務室の一つがあるくらいです。

米国ニューヨーク市にあるアメリカ自然史博物館の共同創設者アルバートS.ビックモアの著書「東インド諸島の旅(1868年)」ラーデン・サレの家について、
「城には2つの主要な建物と2つの翼があり、バルコニーに囲まれています。 
建物に入ると広いホールがあり、ホールはベルギーのカーペットとアンティーク家具で覆われています。 前庭は美しい植物が調和して飾られています。  RadenSalehの城ほど美しい城を持っている地元の貴族はいない」と語っています。

1970年代から石膏をセメントにしたり、欄干を変えたり修復は何度かしたけど、どうやら2階は木造部分がボロボロらしい。

アラブ系だったRaden Salehの建築はジャワ風やアラブ、ヨーロッパのゴシックが混じった独特なもので、歴史地区にあり建物自体も価値があって、Raden Salehの家として残そうとはしているようですが、資金が不足しているため、なかなか活性化ができなかった。
ジャカルタの米国大使館による文化保存プログラムからの財政的支援で最初の調査と補修箇所の文書化が完了し、教育文化省とDKIジャカルタ州政府と資金提供について話し合ってる


現在は真ん中の庭を取り囲むように一戸建てヴィラのようなVIP病棟や小児病棟があります。
柵もあるしコロナもあってか?自由に庭に出入はできません。

動物愛好家だったRaden Salehはこの庭でいろいろな動物を飼っていました。
知り合いなどに動物を公開するようなり、これが動物園になります。

Raden Salehの家の敷地のそのほとんどは1862年に動物園や公園に寄贈されました。

1960年にはTaman Ismail Marzukiがたてられます。

ということは.

今の地図だとこの枠の部分はRaden Salehの敷地だった!


おもしろい、こんなとこで繋がってたとは....


Kapel RS PGI Cikini
Raden Salehの家のすぐ裏にある、今も教会として使われている小さな教会。

Raden Salehがボゴールに引っ越したあと、病院を作る場所を求めていたデグラーフ夫婦が、エマ女王から財政援助を受けてこの場所を買います。 
そのため、この病院はKoningin Emma Ziekenhuis(クイーンエマ病院)と名付けられました。
 病院の発展とスペースの必要性に伴い、本館の後ろにある礼拝堂を含むいくつかの追加の建物が家の周りに建てられました。

日本の占領中は、チキニ病院は海軍病院(日本海軍)として使用されました。

 

このあたりは病院が本当に多いのですが'、この病院も歴史あるジャカルタでは古いレジェンド級の一つ。

オランダ時代の建物のままがほとんどで大都会ジャカルタの施設で平屋か二階建てのまま、広大な平面駐車場も舗装が全部されてないもったいない敷地の使い方


まぁ、近代化されちゃうとこの景観と歴史ある建物はなくなってしまうわけなんですが.....


中にはは入れないけど

もし【Raden SalehテーマのPT.Sehari-hari Tour】をやるとしたら....

道路の方向的に

●Gallery  National(国立美術館)

で絵を見て

⬇️

適当に車停めて

で昼御飯食べてから

⬇️徒歩で道路挟んですぐ

でアイスクリーム食べたあと

⬇️車でも徒歩でも行ける

 ●Rumah Raden Saleh (PGI Cikini)


これで、絵画鑑賞とランチ&デザートとRaden Saleh の家を見て、移動時間合わせて3時間あれば楽勝で回れるコース


Rumah Raden Saleh(PGI Cikini)

Jl.Raden Saleh Raya No.42,Cikini. Menteng.Jakarta Pusat


まぁ家ってだけで「へぇ~」ってだけなんですが、他にもこの界隈はいろいろあります


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