以前ブログで紹介した
このお店の一角においてあった商品で、
それで調べたら、歴史あるアイスクリームと判明!
【 Tjanang Ice Cream 】
TjanNjanアイスクリームの創設者であるLie Sim Fieは、1940年代初頭に、長年バタビアに住みオランダの商品を販売する食料品店をやっている兄Lie Jan Anの仕事を手伝うために中国からやってきました。
1963年にジャカルタでスカルノ大統領が立ち上げたライバルオリンピックである新興国競技大会の参加者を楽しませるために、宴会でTjan Njanアイスクリームが提供されました
当時、クーラーのようなものはありませんので、段ボールのカップに詰められた後、角氷と塩で満たされた容器にアイスクリームを保存しJalanCikiniの店からMerdeka宮殿にすぐに送られました。
2代目オーナーであるLie Yenieによると、
スカルノ大統領は、ゲストを楽しませるだけでなく、家族と一緒に楽しむためにTjanNjanアイスクリームを注文することもよくありました。
スハルト大統領の家族であるセンダナ家は、何年にもわたり子供や孫の誕生日にアイスクリームを注文していたそうです。
その後、中国の名前を使用しないという政府の「勧告」のために、名前をTjan NjanからTjanangに変更
→あとにメガワティが大統領になった時にTjan Njanはどこに売ってるか聞いたことがあったそう
アリ・サディキン知事がジャカルタでのギャンブルを合法化し、創設者Sim Fieの友人は、ジャックポットギャンブルマシンを彼の店におきました。
人々はアイスクリームを買うのではなく、賭けをするためにSimFieの店に集まるようになる。
その結果、TjanNjanのアイスクリームは放置されることになります。
ギャンブルが禁止された後も、Lie Sim Fie、彼の妻、そして3人の姉妹Yenieは渡米し、TjanNjanのアイスクリーム事業を放棄することになります。
しかし、Yenieはドイツに留学した後、ジャカルタに戻り父親の事業を継続
アイスクリームというよりは、シャーベットに近い...
日本で売ってる"アイスクリン"とか"ホームランバー"みたいな(わかるかな)、ちょっとシャリっとしたさっぱりアイス
もちろん美味しいアイスクリームやジェラートやさんは他にもあるけども..
食後のデザートには軽めでぴったり
創設当時、ジャカルタに出店したアイスクリームショップは Tjan Njanの他に、Ragusa、Baltic、SweetSueがあります。
TjanNjanはがライバル視していたのは、RagusaではなくBalticだったそうで、Balticは1939年に中国人ビジネスマンMulya Santosaによって設立
このBalticアイスですが、Meison Weinerから古本屋の集まるPasar KwitangのほうへKramat rayaを歩いていくと
アイスクリームのケースがならんだ駄菓子やさんのようなお店がありました!
そんなアイスクリームと先に知ってたらチョバしたのにぃ~
Tjanang Ice Cream
(Cikini Hotel内)
No., Jl. Cikini Raya No.48-50, Cikini, Kec. Menteng,