少し前に元同期に「おまえは尊敬する人はいないのか」と言われました.尊敬する人,「◯◯さん」と特定の人物を指名する事は出来ないですが,そりゃ勿論居ますよ.理想像みたいなものかな.それはブログのプロフィールに前々から書いてある通り,「芸術家」です.私が尊敬する対象は,一般に創造性と言われるモノや,創造的な人です.少なくとも医師や医学部の人間に対して尊敬するという事はまずないと思います.
臨床医学,つまり医者の仕事って言うのはさ,AはAであるということを根拠を述べて確定させる作業だと思う訳です.ある人が病気を患っているとします.患っている病気は人それぞれ違うけれど,医師の行う仕事は,まずは確定診断です.病気Aを持っている人に,BとかCとか診断をつけたら,それはつまりヤブ医者となります.A=Aを証明する,すなわち診断を付ける事が出来ると,今度は治療に取りかかります.治療はガイドラインに則って行うことが多く,ガイドライン通りに標準治療を行う事が求められます.ガイドラインで推奨されていない治療は,治験の一環としてなら認められますが,一般的な保険診療では推奨されないわけです.治療にガイドラインがあることが多いと述べましたが,実は診断にもガイドラインが存在している事が多いです.この様な現状がある訳でして,診断も治療も固定されたプロセスに則って行うものだと思うわけです.というわけで,臨床は創造性と呼ばれるであろうものから,どんどん離れていきます….だから…私は臨床医学というものが根本的に好きになれないのだと思います.
刹那的に「嗚呼,A先生はどんな患者さんに対しても優しい先生だ.人格者だ.」と思う事はありますが,それは尊敬とは違う感情だと思います.私の医師たる理想像は,1にも2にも3にも技術と知識センスだと思っております.人間が出来ているといのも素晴らしい事ですが,まずは専門家たり得る技術が必要と考えています.しかし技術と知識は有限で,多くの医師が努力や鍛練によってプロフェッショナルと言えるレベルに到達できますから,他の要素で優劣を比較する事になります.その他の要素と言うのが人格だったり人間性だったりセンスだったりします.しかし臨床医学においてセンスを発揮する場面は少ないように思います.ですので,人格と人間性において優れるという事が,ある種のアドバンテージになると思います.
臨床と比較して,相対的に医学研究の方が創造性があるように思いますが,大学院の研究経験から思うに,これは真の創造性ではない気がしています.研究友達が,「俺はTransgenic mouseの作成ができるんだ!」と自負していましたが,それは研究を進めるにあたってのツールや技術に過ぎなくて,極論を言えば医学研究者自らが手を動かして実験する必要はないと思うわけです.勿論,下積み時代に自ら手を動かして感触をつかむのは大切だとは思います.だけど最終的には,研究は発想が全てであると思います.Transgenic mouseは300万出せば外注して作成してくれるのであるから,貴重な時間を割いて自らが作成する必要はないはずです.
臨床は知識の利用,研究は知識の開拓であると思います.知識というものは,「AはAである」と断定された事象の総称であると思います.臨床においては特定の数値を持った症例について証明問題を解くようなもの,研究においてはXやYという変数を持った普遍的な証明問題を解くようなものかなと断定することだと思います.知識に関連する行動は銭にはなりますが,私は面白味を感じにくいかなと思います.で,じゃあ何が面白くて何がやりたいのかと言いますと,0からAもBもCも無限に作り出す喜びを欲しているのだと思います.特に作曲って素晴らしいと思います.まさにゼロからの創造.編曲というのも興味深いかなと思います.既存の作品Aから,アーティストがより良いと思うBやCを作り出すとは,私にとってひどく魅力的です.
私には作曲のセンスはないけど,そういう人を見ると,あるいは,私の好みの曲に出会うと,その曲を作った人を酷く尊敬する時があります.私が本当に尊敬する場合には多分,考えがまとまらずに支離滅裂な言葉を口にすると思います.あるいは,ただただ「すごい.すばらしい」と何とも陳腐な言葉を繰り返すだけだろうと思います.心から尊敬する時,自分は委縮すると思うので,出来るだけ遠目に遠巻きに尊敬する人を見ていたいという心理が働きます.
話が逸れましたので,本線に戻りましょう.芸術家って,まさに創造性の象徴そのものだと思うのです.創造性≒自由であり,自由には必ず自己責任がついて回ります.自己責任って言うのは,社会で言うところの銭を稼ぐといった類の事だと解釈しています.本来芸術は金銭から自由であるべきだと思うのですが,自己責任という名のもとに常に付きまとうのが金銭問題だと思うのです.だから,本当の意味で創造的であるためには,その人物は金銭的余裕が必要であると思います.芸術が何となくお高いと思われるのは,そういう理由が多分にあると思います.ですが実際に過去の偉大な芸術家の多くは金のために作品を作った場合も多く,そういうのを知ってしまうと正直残念です.
普通の人間は,安全な橋を渡りたいと思うのが普通だと思います.つまり,楽しくはないけれど生きるために楽しくはない仕事をするというひとが圧倒的多数だと思います.勿論,後付で仕事に遣り甲斐を見つける場合もありますが,真っさらな気持ちで自分が望んだ事が仕事になっている人は稀でしょう.芸術家は上記の如く金銭的安定はまず望めないでしょうから,相当な物好きの集まりだと思います.彼らの本能のままに行動する姿や,チャレンジングなところも好きだったりします.
こんな話を研究友達にしたら,難しい話だなと言われたのですが,実に単純な話だと思いませんか?
p.s. 演奏家と作曲家は別物だと思っているのですが,この話はまた別記事で.