宗教2世のハナシFINAL ラスト・ダンス | 腎臓がんになりまして★にぼしとわたしのアラフォー闘病記(仮)

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腎臓がんになったりもしたけどわたしは元気です( ・∇・)
別名、にぼスタブログ。

40歳で腎臓腫瘤発見、と思いきや腎臓がんだった!

2021年2月ダ・ヴィンチで左腎部分切除。

淡明細胞型腎細胞がんステージ1、現在経過観察中~。

みなさんこんにちは、えりかんです。

画像はねこの「にぼし」です。

 

ブログのタイトル&紹介欄からお分かりいただけるように

わたしは2021年の2月に、腎臓がんのため、左腎の部分切除術を受けております。

このブログでは今日までの軌跡をたどっておりますが、今回はちょっと毛色を変えまして、宗教2世について語っております。

 

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ヤン・ウェンリー‪「私はあなたの主張に対してアンチテーゼを提出しているにすぎません。一つの正義に対して、逆の方向に等量等質の正義が必ず存在するのではないかと私は思っていますので。」‬

 

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宗教2世ネタ第4弾にして最終回。

 

この記事の前置き部分は

ぜひご一読いただけるとキョウシュクです。

 

 

 

ラスト・ダンス

 

こんな駄文にお付き合いいただきありがとうございます。
3回にわたって我が家の宗教2世問題を書いてきましたが
今日は最終回、の予定です。
(ダンスはしませんw 某刑事ドラマリスペクトですw)

 

 

とうとつな疑問


我が家のありように疑問と違和感を感じていたわたしですが
30代後半のある日、とつぜん新たな疑問を抱きました。

キリスト教って…
聖書ってなんだ…?

すでに書いておりますとおり
わたしはキリスト教についてなんの教えも受けていません。

わからないまま、わからない環境におかれ
わからないままの信仰心インプット・・は
まったく功を奏さずw、

結局わからないまま40年経とうとしていたわけです。

疑問は解決したい派30代だったわたしは
まずは聖書の内容を知ってみようと思いまして
昔、成人のお祝いにおしつけもらった聖書をついにひもと・・・・・

 

いや捨ててたわ・・ごめんママンorz


しょうがないので、
ためしにYouTubeで検索してみたところ
なんとどこかの宗派の牧師の方がQ&Aやら聖書全話(話?)解説やらを
upしておる・・!


まさにこれだ!と思って
夜寝る前やら入浴中やらにながら聴きしてみました。

 

しかしこれ、1回1時間、旧約聖書だけでも39書プラス1書、という構成だったので、かなり長かった・・。

しかも寝ながら聞くから途中で寝ちゃうしw

 


その牧師の方、元サラリーマンらしく

なんだか論理的というか理系っぽいというか笑、
理屈で入りたがるわたしにも明確かつスッキリとハラ落ちさせてくれる語り口調。

まったくの謎だった世界をたいへんわかりやすく教えてくれました。

そしてそのうえで、
わたしには宗教としてのキリスト教には添えないことを明確にしてくれたのです。

(ごめんなさい…でもめっちゃ感謝してます)
(イエス・キリストその「人」のことはかなり尊敬しました)

 

 

しっかーし!

 

じゃあそれを親に話すか?って言ったら・・

まあ、話せないですよね。笑

 

結局信仰は持てないんだし

理屈で説明してもわかりあえるものではないし

何よりまた「信仰の否定=人の否定」論にすり替わってしまうのは面倒臭いわけで・・。

 

結局今のまま、「おばあちゃんが喜ぶ」間は年1の苦行を続けるしかないのか・・・・と思っていたさなか、祖母が亡くなり

 

 

懸案事項だったOTTOと叔母(牧師)との面会を果たし

ついでにずるっとその宗派の葬儀に参列してもらい

キリスト教系の大学出身のOTTOから

 

「あれは独特だね」(※意訳)

 

という言葉を聞いて、やっぱりそうだよね!!!、と安心し(?)。
(いやホント参列してくれてありがとう・・・)

 

いちおうのゴールを迎えたような気がしていたんですが

やっぱりどこか引っかかる部分があり

どこかで苦しむ誰か、のためにもこの駄文を残したわけです。

 

 

すべては愛だった

 

この駄文を残す中で

実はひとつ、大きな発見がありました。

 

発見というか、気づいたというか、腑に落ちたというか。

 

前回のブログに

アメブロで仲良くしていただいてる方からコメントをいただいたのですが

 

 

わたしはずっと

「どうして信仰を否定することが母を否定することになるんだ」

「理性的に考えたらそれくらいわかるだろうに」

という疑問を持っておりました。

 

一方で、母の愛は確実に受けており

宗教はやっかいではあるけど

恨んだりということは全くなく

 

ただ、その2つが「つながらない」状態だったのです。

 

しかしその方、Pajaさんのコメントを読んで

「親が子に伝えようとすることはすべて、愛情が基にあるんだ」

ということが理解できました。

 

2つがつながった瞬間です。

 

母はきっと、信仰の否定を愛の否定と思っていたのではないだろうか。

そのように言語化できているかいないかは、ともかくとして。

 

おなじように信仰を持つことはできないけれど

そう思い至ったことと、愛情を確実に受け取っていることについては

いつか母に伝えられたいいなあと思っています。

(すぐに実現するとは言っていないw)

 

ありがとう、お母さん。

ありがとう、OTTO。

ありがとう、Pajaさん。

そしてこの駄文を読んでくださったみなさん、ありがとう。笑

 

 

いやはや。

思いのほか長くなりましたが

書き始めはくらーい内容でオチもなく終わるかなあと危惧していたのが、まさかこんな気づきを得られることになるとは。

本当に書いてよかった。ブログってすごいなあ。笑

 

てことで、宗教2世の話はここで終了★

次回からは、ふたたび腎臓がんの話に戻る予定です。

(あれ・・最後何月だったんだろw) ←7月ですw

 

つっづく~!

 

 

 

 きょうの #にぼスタブログ

『 わいは わいと わいをとりまく このせかいの すべてを こころから あいしとるよ 』