大ママの法事で、下関にきている。
2年前、舞台「俺鍋」の小屋入りでどうしても動けなかった。
1年前、コロナで下関行き自体がなくなった。
今回、三回忌。
やっと、だ。
やっと、行ける。
思い出すのは
「すんばらしいわね〜」といつも褒めてくれたこと。
施設に入ってからも、何を言っても「すんばらしいわね〜」と言ってくれた。
正直、なんでもいいんじゃん、口癖だったんじゃん、って、思った。
その時は。
でも、今日お経を聞きながら思ったのは。
本当に、そう思ってくれていたのだ、ということ。
前回の大ママについての記事では触れなかったが、
彼女はその時代には珍しく会社で働くキャリアウーマンだったそうだ。
結婚して家庭に入り、
並大抵でない努力の積み重ねで「日常」を守ってきた。
私にはできなかったことだ。
でも、私にも1/4流れている血だ。
いま現在、
生活として、どうしようもなく、
子どもがいて、
子どものために私も倒れるわけにはいかなくて、
親が幸せであることがまず大事なんだ、とかいわれたりして、
それもプレッシャーになったりして、
幸せってなんだろう、なんて、
逆に自分のことばかりでいっぱいいっぱいになってしまったりして、
よく迷子になるのだけれど。
今回の旅で、こうやって、血を、生活を、
子どものころ自分の性格の核となる大事なところを紡いでくれている人がいた、
ということを
思い起こすことができた。
とても力を発揮するタイプの人間で、
今までそうやって「誰か」をつくって、
自分の120%を発揮しようとしてきたのかもしれない。
もう、言い訳をせずに、
自分の幸せのために、100%を発揮しよう。
やっと、決心がつきました。
いとこに久しぶりに会った。
いとこのお嫁さんと、お子たちにも初対面。
私の祖父母の世代は違う場所へいき、
今度は食卓に子ども世代がいる。
こうやって続いていくんだ。
ラブ。下関。
心の故郷。
また来る。