かりとかしの美学。借りと貸しの美学。作った借りは、語れども、貸しを語る人間を、私はどこか信用しない。ほぼ、借りしかない私が言うのもなんですが。守られるべき尊厳というものが、誰しもあって。貸しを語ることは、どこか、その尊厳のようなものを、グシャリと潰す行為に感じます。そこで品格に大きな差が生まれるように思います。貸しを語る人間は、貸すべからず。とね、ふと思った次第です。ほぼ、借りしかない私が言うのもなんなんですが。みんないつも優しくしてくれてありがとう。
誤解。日常の合間、気がつかないうちに 誤解が生まれていることがある。 そう、誤解。 勝手に確定した自己解釈。 勝手に確定された他者解釈。 そう、誤った解釈。 その時点では、その解釈が間違っているとは 見当もつかないからね、場合によっては 勝手に怒ったり、傷付いてしまう自分がいたりして。 逆も然り。 知らない内に怒らせていたり、傷付けてしまっていたりして。 言葉の選び方だったり並べ方だったりで、 生まれてしまった誤解。 それを解くには、やっぱり丁寧に一つ一つを 言葉の並び方を変えて、確認し合うしか術がない。 とても手間がかかって、時間もかかるけれど、 それらを共有できた先にたどり着く安心感。 家族間、恋人間、友人間、すべての人と人の間にある これもまたひとつの愛の形なのだなと思う。 て、勝手に誤解してたりして。 …ハッピーな誤解はウキウキして楽しいけど、 現実を知った時のガックリ感たらないよね。 なるべくちゃんと向き合って、 なるべく正解に近い解釈を持って、 進んでいきたいものですな。 こめかみを蚊に刺されて激痒の中、 本日のブログを納めます。かゆいよー。。
点と線と次元の話。巡り合わせの妙を思う。初めは、ひとつの点。あの時の点、あちらの点、こちらの点、もっと向こうの点、たった一度の点、何年かぶりの点、偶然の点、とにかくあらゆる点が生まれて。消滅していく点もあるけれど、復活してくる点もあったりして。そしてそれらが、化学反応的に、突如、結びつくことがある。点が線に変わる瞬間、コトは次元を変える。それがさらに進むと、コトは立体的になり次元を越えていく。でも、よくよく見てみると、それはあらゆる点の集合体。出逢いの妙を思う。出逢いという点が積み重なって創り出される現実の妙を思う。私が望むものよりも、はるか彼方から導かれるようにコトは起こる。私はあなたの存在をしっかりと感じています。きっと、出逢う人すべては天の使い。出逢ってくれてありがとう。導いてくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。私も誰かにとっての、天の使いになれたらこれ最高ね。Everything will get better : )