過去生は遊郭の番頭だった? | 私の前世療法

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前世療法は、潜在意識の中への旅です。
「自分自身で過去世を見る」ことは誰にでもできます。

私自身が「セルフ前世療法」というノウハウで見た
たくさんの過去世をつづって行きます。

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セルフ前世療法で、吉原遊郭にいた?
男性の過去生
を辿っていた時に、
ふっと「番頭」という言葉が来ました。

最初見た時は「下男」の一種だと思っていたのですが、
また、見えてきた人物は30前後とそんなに年配でもなかったのですが。

吉原雀「廓内に従事する人々」によると、
番頭は、楼主(オーナー)に次ぐ重役です。
ガードマンや雑用係のような端役、
お客を案内したり、遊女と一緒にお座敷に出て宴席を張ったりする接客、
掟破りの遊女を折檻(リンチ)にかけるような汚れ役など、
吉原のような大きな遊郭では、男性従業員も
上から下まで沢山の役職があり、大勢が働いていた。

その中で、ごく一握りの偉い役だったのかな(^^;
と考えると、何だか居心地が悪いような。
私が見ているのは、「江戸に初めて吉原ができた頃」なので、
もしかしたら色町を興した男たちの一人だったのかもしれませんね。

しかし、上記引用の中に、

ちなみに、当時の日本は身分制度がありました。
いわゆる、「士農工商穢非人」

廓を出る事が出来た遊女は町人として生活を出来ましたが、吉原の若い衆などは、吉原を出た後も町人とはみなされる事がありませんでした。

との記述があります。
社会の最下層として差別される人々だったんだ。

身上潰すほどの大枚をつぎ込む豪商や身分高い侍、
商売道具の牛馬を売り払ってでも通い詰める町人など、
男たちの色欲に付け込んで銭を絞り上げ、
片や貧しい身売りした女たちからは、様々な名目で借金を負わせ、
詐欺同然で死ぬまで酷使して、
阿漕な金儲けをしていたとも思える廓の男たちも、
廓の外で生きてはいけない「籠の鳥」だった。

吉原400年サバイバル史によると、
江戸、明治、大正と何度も大火に見舞われ、全焼している。

吉原全焼

その理由の一つとして、助け合いによって行われた消火活動も、
遊郭の内とは断絶していた為だとのことです。
つまり、焼け死ぬとしても助けてもらえなかった、ということです。

遊郭の歴史を紐解いていくうちに、
過酷な人生の中で儚く亡くなっていった沢山の女たち、
人扱いされなかった沢山の男たちの存在を知ることになり。

スターのような花形遊女や物語になる色恋ばかりが目立ちますけれども、
「遊郭で生きた」ということは、本当はこちらの方が
遥かに大きな真実のような気がしてなりません。

ブログを書く都合上、歴史を調べていくうちに
哀しい気持ちになることが多々ある私です。

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