恐ろしい前世を見る、ということ | 私の前世療法

私の前世療法

前世療法は、潜在意識の中への旅です。
「自分自身で過去世を見る」ことは誰にでもできます。

私自身が「セルフ前世療法」というノウハウで見た
たくさんの過去世をつづって行きます。

セラピールームPADOMA:padoma-therapy.com

昨日の記事で、「アウシュビッツ前世見えてきちゃったら怖いな~どうしよう~」
みたいなことを書いてしまいましたが、一夜明けて今朝になって、
しまった、そんなこと読んだら、前世療法受ける気なくなっちゃう(-_-;
なるべく多くの方に前世療法を受けていただきたい、という趣旨で書いているブログなのに
これじゃあ逆効果?!(~▽~; と気づく。

実は「よくある質問」や、前世療法に対する不安の一つに、
「殺されるとかー 怖いシーンが見えてきちゃったらどうしよう」
というのはよくあるのです。

それに対する答えとしては、

1.自分に受け入れられない恐ろしいものは見ません

見えてくるビジョンは自分の潜在意識が選ぶものです。
「自分が決めている」のです。
どのような場面が出てきたとしても、それは「必要だから」「大事だから」見えてきます。
現時点での自分に耐えられないもの、受け入れられないものは、出てきません。

私が、長いこと、アウシュビッツ前世を見なかったのも、受け入れる態勢ができてなかったからで、
最近見るようになり始めたのは、私の準備が整ってきたから
見ても耐えられるように変わってきたからだ、という気がします。


2.ほとんどの方は「ふつう」の過去世しか見ません

前世療法を初めて受ける方は、可も不可もない平凡な人生を見ることが大半です(^^;

「処刑されるのを見ちゃったらどーしよー!!」と事前に大騒ぎしていたにも関わらず、
「生まれて、育って、結婚して、働いて、けっこう幸せに亡くなりましたとさ」
というストーリーを見て「ふーん」と拍子抜けするのはよくあるパターン(^^;
怖い前世を見たくなかったはずなのに、平穏な人生を見るとけっこうがっかり?(^^;
することは少なくないようです。

考えてみれば、生まれて初めて前世療法を受ける方は、「初心者」です。
私が「怖い」アウシュビッツ前世を見始めたといっても、私セルフ前世療法歴2年ですから!(^^;
チキン(=弱虫)な私でも、2年続けてれば次のステージに進むわけで。
その方なりの、心の受け入れレベルに応じて、出てくるもの見えてくるものは変わります。


3.セラピストがちゃんと誘導します

私が「こわい前世がでてきちゃったらどうしよう!」と怖気づいた最大の理由は、
「セルフ」でやっているからです。

前世療法は、セラピストとクライアントの二人三脚で行われます。
強すぎる感情に見舞われたり、避けたい場面が現れたりした場合は、
セラピストが適宜言葉かけを行って、クライアントさんの意思に沿った誘導を行います。
コーチが付いている水泳のようなもので、「溺れそう!」ってパニクっちゃっても、
「大丈夫、大丈夫」と助けてあげられる役をセラピストが果たすわけです。

逆に言うと、きちんとセラピストがついていれば、
どんな激しい場面、恐ろしいシーンでも、無事に直面することができるとも言えます。
そのために、セラピストはいるのです。

一人で泳いでる私と、水泳教室のコーチ付きで足ひれとシュノーケルつけて泳ぐのとでは
状況が全然違う、ということを、もうちょっと強調して書かないとなー。


4.怖い前世の方が、気づきが深いです

ざっくりとした感触で言うと、見えてくるのは、幸せな前世と不幸せな前世半々くらいです。
それぞれに気づきがあって、幸せな前世を見てしみじみ自分の本質と向き合う方も多く、
ほんらい優劣はないのですが、ここで敢えて強調すれば、不幸な前世を見る方がいいのです。

人は、苦しみの中で学びますよね?
挫折したことのない人。苦労したことのない人。失恋したことのない人。
よりも、苦しみを通り抜けた人の方が、味わい深く含蓄があると思いませんか?

残酷な展開。無残な死。悲惨な人生。
私たちの誰もが、必ずそのような過去世は通過しています。
それを、思い出すか思い出さないかは別として、
たった1度の前世療法で「その回」が出てくるか出てこないかは別として、
数多くの過去世、一度も経験したことのない人はいないのです。

つらかった過去世を見ることで、今をどう生きればいいか、感じることができます。
平和な現代日本では想像もつかないような過酷なことを「他人事」ではなく体験することで、
「今」の価値がほんとうに分かります。



5.前世療法を受けることは、ご縁です

まあ、ほんとは全てがご縁なんでしょうけれども、
特に、前世療法のようなスピリチュアルな出来事は、受けたいと思うこと、
受けるようになるということそのものが、意味のあることなのです。

怖いものが見えてくるかもしれない「けれども」受けてみたいと思う。
それは、自分自身にとって「要る」から、ということ。
怖い「から」やめとこう、と感じるのは、「要らない」ということです。

自分の魂が必要と感じる時。
何が見えてきても、何を受け取ることになっても、それは意味があるのです。

-----

知らなければ、体験していなければ、「怖い」と思う人がいるのも自然なこと。
というわけで、チョット解説してみました(^^)
これで、無用な「怖い」がなくなって、一歩を踏み出せる方がいればいいな♪

質問事項などありましたら、お気軽にメールまたはコメントくださいね。

------

現世での自分に気づきがあり、
「見えないもの」への扉を開きます
あなたも前世療法を受けてみませんか?

セラピールームPADOMAパドマ
http://www.padoma-therapy.com/