あめはれし きりのしたばに ぬれそぼつ  あしたのかどの つきみさうかな 秋艸道人

 

 歌集 『南京新唱』 および 『鹿鳴集』 中の 「村荘雑事」 17首のうちの1首。

 

 この歌碑は、信濃川の水を日本海に流すバイパス関屋分水路に架かる有明大橋の西にある浦山公園に建ち、重量感のある大きな石を大きく磨いて歌が彫ってある。1996 平成 8年 3月に建てられた。

 

 この歌は東京落合の秋艸堂で詠まれたのだが、歌碑に選ばれたのは 「會津八一記念館の小柳マサ館長が浦山地区の住民として、関屋分水路の遊歩道にある花壇に、毎年月見草の苗を植え育てる努力を重ねてこられたことに由来する」 と 『會津八一のいしぶみ』 に書かれている。

 

 碑蔭には 「平成元年新潟市制百周年を記念して、第一回の浦山まつりを企画実施した。以後、毎年八月十六日に鎮魂の祈りを込めて、関屋分水路に地域住民手作りの灯籠を流した。平成四年には関屋分水路通水二十周年を記念して、二千個の灯籠を流し仕掛花火を打上げた。平成六年諸般の事情により浦山まつりを中止しこれまでの資金を基に 新潟の卓越した文人會津八一先生の歌碑をここに建立した」 と書いてある。他の歌碑と比べて建立の事情がやや異なっているといえよう。

 

 私が訪ねた時、男の人が歌碑の建つ公園の草刈をしていたが、「月見草を植えても何故か根付かないのです。ここには年2回ほどボランティアで草を刈りに来るのです」 と言い、晩年の會津八一の話を聞いたことや散歩の姿を見たときのことを話してくれた。

 

 會津八一が亡くなってもう60年を越えるが、新潟の人たちの心の中にはまだ生き生きと存在しているのだと感じた。歌碑の近くには萩の花が咲き乱れ、有明大橋からは日本海を近くに望むことが出来た 。

(會津八一歌碑巡礼 新潟 7)

 

 

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