法隆寺 i センター

 

うまやどのみこのまつりもちかづきぬ まつみどりなるいかるがのさと 朱印(秋艸道人) 

 

 歌集 『鹿鳴集』 の 「南京新唱」 中の一首で、詞書に 「御遠忌近き頃法隆寺村にいたりて」 とある。「うまやどのみこ」 は、厩戸皇子で聖徳太子のこと。50年忌以後50年ごとに行なうのが 「御遠忌」 で、1921大正10年に聖徳太子1300年忌が行なわれた。原稿は、画家杉本謙吉との共作 『春日野』 中の一つという。なお来年2021 令和 3年は1400年忌になる。

 

 歌碑は、斑鳩町町制65周年記念として法隆寺 i センターの前に建てられ2012 平成24年9月に除幕された。建立の経緯については 『秋艸会報』 No.34 に寄せられた斑鳩町長小城利重さんの文に詳しい。石は香川県の庵治石、石工は中宮寺の歌碑を彫った左野勝司さんである。

 

 i センターは、法隆寺の参道に接した観光駐車場に設けられた観光拠点施設。写真にみるように歌碑の後に自転車置場、向こうには駐車場、その向こうにはトイレが見える。歌碑にはあまりふさわしい場所とは思えないがどうだろうか。

 

 夢殿の秘仏救世観音像は、私が訪ねた前日までが開扉期間だったので諦めていたのだが、好運なことにまだお幕が全部は閉められていなかった。初めて拝観する金色に輝く観音像に深く感動した。會津八一は、あめつちにわれひとりゐてたつごとき このさびしさをきみはほほゑむ uと詠んでいる。なお、法輪寺に行く道の途中に建っていたこの歌の歌碑(現在は夢殿の後に移転)についてはすでに 「會津八一の歌碑 10」 で紹介した。

 

 この日は中宮寺も拝観したが、ご本尊についての話の後に歌碑についての丁寧な説明があった。八一の歌碑を大切にする思いが伝わってとてもよかった。歌碑にとっても、関係した人たちにとってもとてもうれしいことではないだろうか。

 

(會津八一歌碑巡礼 奈良16)

 

  

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