yaiti26a.jpg 

yaiti26d.jpg yaiti26c.jpg

yaiti26e.jpg 





中 宮 寺


みほとけのあごとひぢとにあまでらの  あさのひかりのともしきかろも 秋艸道人

(み仏の顎と肱とに、この尼寺の朝の光がうっすらと、またなつかしく射している。)

 

 歌集『南京新唱』および歌集『鹿鳴集』の「南京新唱」にある歌だが、『自註 鹿鳴集』には中宮寺についての詳しい註がついている。現在の本尊である半跏思惟像については、本来の本尊ではなくて、また如意輪観音像というのは誤りで「太子思惟像」とするのが正しいと言っている。「ともしきろかも」は、「かそけくなつかしきかな、といふほどの意」とある。會津八一は1920(大正9)年12月に中宮寺を訪ねている。

 

 この歌碑は、2010 46月の「ならの古寺と仏像-會津八一のうたにのせて」新潟展にこの仏像がお出ましになったのが縁で中宮寺の日野西門跡の意向と新潟の會津八一記念館と秋艸会を中心とした多くの人々の協力で同寺の境内に建てられて同年1129日に除幕された。喜光寺に続く奈良で17基目の八一の歌碑となる。

 

 中宮寺の本尊と向き合うように本堂の正面に塀を背に建つ歌碑は、等身大の花崗岩で裏面に建立の趣旨が彫られ、右足元に石に彫った説明文がある。歌碑の原稿は新潟展に展示されたもので原寸大で彫られ、八一の書をより忠実に表現するためにあえて機械彫りにしたという。奈良に建つ歌碑で原稿と原寸大のものは40年ぶりだそうだ。歌碑の台石と石に彫った説明文はないほうがよかったというのが私の感想である。

 

 除幕式で日野西門跡は、「お軸を拝見したとき、「ご本尊のあごとひぢとに朝の光があたって、ああ懐かしいうれしい」とお詠みになった歌の心が伝わって参りまして、うれしいという気持から「こんな歌碑が欲しいわ」と一言漏らしましたところ、横で聞いておられたと思いますけれども、すぐ新潟展実行委員会を歌碑建立の実行委員会に移しましょうとおっしゃっていただいて、展覧会の終わったのが六月六日でしたが、年内の十一月二十九日には除幕式を迎えることができました。これは仏様の縁で、會津先生の温かい、奈良を酷愛された情とか、なにかいろいろ入り交じって、皆様の温かい心をいっぱいに受けて幸せいっぱいでございます。」と謝辞で述べられた。

 

 また、歌を彫った左野勝司さんは、「私の出来る限りの石工半世紀の技術と今までの経験の全てをこの碑に託すことに決めました。」「この碑の文字を刻む時に、一字一字を會津先生の詠まれた時の気持ちを少しでも自分に置き換えて、先生直筆の文字をそのまま明確に彫り込みました。」 と述べている。<「秋艸会報」第 31号(20113月)>

 

 2010(平成22)年には平城遷都1300年ということで奈良ではさまざまな記念行事が催されたが、こうした記念すべき年の秋に會津八一の歌碑が2つも相次いで建てられたことは大変に喜ばしいことといえよう。没後半世紀を超えて八一の歌がなお多くの人たちに愛されていることは大変にすばらしいことと思う。(歌の大意は吉野秀雄『鹿鳴集歌解』による。)

 
(會津八一歌碑巡礼 奈良 8)



 

 
他の歌碑はクリック  →  歌碑一覧バナー