前回の記事

 

‐東アジアの今とこれから その24(日本軍内部に作られた「反戦組織」)‐

 

 

 

『しんぶん赤旗』の朝鮮学校に関する広告 友人のLINE画像より(転載)

 

 

共産党や赤旗を見ていて思うことは、マジでこの人たちってブレないなと思う。

 

戦前の時代から、もう100年近く経とうというのに、時の政府や体制に呑み込まれず、物事の本質をスパッと追求する。もちろん、言うだけではなく実行も合わせて、時には命の危険も顧みず、そういう行動を積み重ねられる存在は、ほんとうに数えられる程度しかない。

 

対して、何も知らない外野が、ごちゃごちゃと批判や誹謗中傷を並べても意味がないし、そもそもとして的外れなわけである。

 

文在寅大統領が従北だとか、日本にレーダー照射を浴びせたとか、徴用工が云々、日韓財産請求権ガーだとか、ほんとうに下らな過ぎて言葉も出ないですが、例えば日本が「関東と関西に分裂していて」、人々が離れ離れになったことを想像して頂きたい。文字通り、それをあるべき姿に戻そうとするのは当然で、文大統領はみずからの身の危険を省みず行動に移しているわけです。

 

戦後史を紐解けば、日本や韓国はアメリカの『植民地』で、それについた考察や歴史記事も、過去の記事で書かせていただいておりますが、そういうことを知らずして、ただマスコミ報道に溺れている人間たちに、何がわかるというのでしょう。

 

この問題を正面から取り上げ、単独でアメリカ人たちと議論もしたこともない、ましてや在日コリアンの友人もいない、そういう『実際知』を集める努力を怠る人々は、いつまでも「同じ言論空間」を延々と巡り続けることでしょう。

 

まさに『負の無限ループ』というやつです。

 

 

前置きが長くなりましたが、前回において『軍艦細胞』という、日本軍内部の反戦組織を作ることに成功した日本共産党は、引き続き活動を広げ、日本のみならず「海外」にも、その視野を振り向けました。

 

コミンテルンは1932年5月『日本の情勢と日本共産党の任務についてのテーゼ』いわゆる『三二年テーゼ』を決定し、日本共産党と労働者階級の闘争の方向を明確にしました。

 

この三二年テーゼは、日本の中国満州地域への侵攻「日本帝国主義によって火蓋をきらた強盗戦争」と批判し、「人民大衆を一の新たなる歴史的危機に━世界虐殺戦の終結(第一次世界大戦の終戦)いらいの最大の危機に投げ入れられつつある」と警告しました。

 

次いで帝国主義戦争に反対する、反戦平和闘争の決定的な意義を表し、これは共産党とその周囲に結集している労働者、農民、学生、知識人の導きの役割を果たした。結果、『反帝同盟日本支部』も国内ではもとより、アジアと世界の民衆に呼びかけながら、反帝反戦の闘争を展開し、同同盟の国際書記局は32年(時日、場所不明)、中国の戦争に関する特別会議を開き、以下のような表明をしました。

 

国際書記局は同盟日本支部が、中国国民の虐殺者の国(反動的な軍閥政権)を支配してゐる凡ゆるテロル(恐怖政治=帝国主義)にも拘わらず、この侵略及び掠奪戦争に対して精力的な行動を展開してゐることを満足を以って確認した

 

極東の支部に方針書を送り、彼等の反帝活動をより一層強化し(続いて)中国、日本及び朝鮮の各支部が必要な共同会議を開いて彼等の革命的闘争を一層結びつけることが必要であることを忠告した(これにこたえて)反帝同盟日本支部は、日、中、朝、台の共同会議の準備に着手した

 

(『赤旗』、三二・四・一三)

 

反帝同盟日本支部は、32年7月8日中央執行委員会をひらき、国際反戦デー(8月1日)の準備、ゼネヴァ反戦大会への代表派遣とともに、汎太平洋民族代表者会議を提唱した

 

(『同』、三二・七・三〇)

 

汎太平洋に於ける反戦反帝戦線を統一し強化し、国際的連帯性を宣揚し共同闘争を遂行することは、実に歴史的意義を有すべきことを我々は確信するものがある

 

(『同』、三二・八・五)

 

ちょいと言い回しが古いですが、要はアジア人たちを繋がって、一緒に反戦活動をしようやってことです。

 

日本反帝同盟は、ゼノヴァ国際反戦大会代表の派遣と、汎太平洋民族代表者会議成功のために、大運動を起こしますが、これは国際反帝闘争の一翼をなすものでした。

 

国際反戦大会は、スイス政府の妨害により、アムステルダムで開催され、日本代表は片山潜、増田が参加し、片山潜は「火のような演説をもって中国での日本帝国主義の掠奪戦に反対した」とし、中国、朝鮮の代表との間に歴史的な統合を表示しました(片山潜『自伝』年譜)。

 

汎太平洋民族代表者会議は、ついに実現できませんでしたが、33年9月30日『上海反戦大会』が開かれました。ここで日本共産党や日本反帝同盟もこれを支持し成功のために戦った。

 

6月12日には秋田雨雀(うじゃく)、江口渙(えぐちかん)、佐々木孝丸、上村進、長谷川如是閑(にょぜがん)、藏原惟郭(これひろ)、木村毅(つよし)、長谷川時雨(しぐれ)、麻生久、加藤勘十(かんじゅう)、金子洋文、葉山芳樹(よしき)らを発起人に、上海反戦会議支持『極東平和の友の会』発起人会準備会が結成されました(『赤旗』、三三・八・一六)。

 

その呼びかけで、7月21、26の両日、統一会議、総評、東交有志代表、反宗教同盟、排酒同盟、新興仏教、社大党×××青年部、労救、消費組合、ソヴェト友の会、反帝同盟(以上出席)、純労働組合、江東一般、モップル、全農全会(以下欠席)、計15団体参加で『上海反戦会議支持無産団体協議会』が成立(『赤旗』、三三・八・一一)。

 

※モップル‐革命運動犠牲者の救援を目的とする国際的組織。1924年ドイツで設立された赤色救援会が発展したもの。国際革命運動犠牲者救援会。国際赤色救援会。

 

https://kotobank.jp/word/%E3%83%A2%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AB-398100

 

当時『赤旗』は、官憲の弾圧が続くなかで、『上海反戦大会』支持の集会や、反戦懇談会が各所で組織されたことを報道している。

 

同大会は、1933年9月30日、上海で秘密裡に開かれ、参加した国と地域は、日本、朝鮮、英、仏、その他外国代表が参加し、歴史的な成果をあげました。

 

 

<参考資料>

 

・友人のLINE画像

 

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房

 

 

<ツイッター>

 

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