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ゆうれいの手紙

父方の祖父が死んでもう3年以上になる。

それなのに今年も、毎年たくさんの年賀状を書いていた祖父には何枚かの年賀状が届いた。

数えてみたら、私に届いた数よりも多かった。


祖父は亡くなる少し前に入院していた。

容態が悪くなり、峠だというようなことを言われていた。

その日電話を受けたのは私だった。

看護婦さんが、もう容態は安定しているので大丈夫だ、と私に伝えた。

私は安心して受話器を置いた。

嫌な予感は全く、なかった。


その次の日、祖父は死んでしまった。

私は祖父が入院してから一度もお見舞いに行かなかった。

きっと大丈夫だ、まだ祖父は死なない。そう思い込んでいた。

一体何を根拠にそう信じていたのだろう。

こんなことなら会いに行けばよかったと思った。罪悪感で一杯になった。

今更悔やんでも、取り返しがつかないのだということは知っていた。


私はその後悔を、絶対に忘れないでおこうと思った。

悔やみ続けることで、私は祖父を忘れないだろうと思った。


今もあの時、後悔したことは憶えている。

けれど、あの強い気持ちをはっきりと思い出すことができない。

忘れないでおこうと、あれ程強く、誓ったのに。


祖父はよく手紙を書く人だった。

一緒に暮らしていた私にも、田舎に帰った時など、よく手紙をくれた。

それなのに私は、ほとんど返事を書かなかった。

それどころか、時には封を明けることさえしなかった。

そのころ私は高校生で、祖父の存在を時には疎ましく感じていたから、まして手紙での祖父のどこかずれた語りかけにはうんざりしていて、読むことすら億劫だった。


祖父が死んだ後、何通かの開けていなかった手紙の封を切った覚えがある。

けれど、今でも開けられていない一通の手紙がある。

消印は、2002年5月8日。祖父が亡くなる約半年前だ。

どうしてなのか自分でもわからない。

ただ、その手紙はそうされることが当然のように今も、閉じたままにされている。

私は一人暮らしをする時にもそれを荷物に詰めて送り、いつも目に付くところに置いていた。

けれど何故か、開けることなど考えてみたこともなかった。

A4くらいの大きな使い古しの封筒に、きっちりととめられたセロハンテープはもう、剥がれかけている。

そこに、メモ用紙替わりに使ったのであろう私の蛍光ペンの跡と、飲みこぼしのしみ。


祖父が死んだことを知らない何人かの人たちは、今年も生きているであろう祖父のことを想い、ペンを執ったのだろうか。


亡くなる前の数年間だったと思うが、祖父にはとても親しくしている友人がいた。

もともとたくさんの友人がいて、人に好かれていた祖父だったが、その人は特に祖父を慕っていたようだった。

二人は毎週のように手紙をやりとりしていた。

何か教えていたわけではなかったのに、その人は祖父を「先生」と呼んでいた。祖父を尊敬していたのだと思う。

しかし、二人は祖父が入院してからはほとんど会えなくなっていた。

彼は、お葬式では顔をくしゃくしゃにして泣いていた。

最近私は、祖父が、死ぬ前に彼と親しくなることができてよかった、と思うようになった。

彼のような友人がいて、祖父はとても喜んでいたのではないかと思う。


今では祖父が生きていたころの輪郭もぼんやりとして、祖父が死んだときの悲しみも、後悔も、上手く思い出すことができない。

疎ましく感じていたことも薄れて、祖父のことは、何だかよくわからないけれど何となくいい思い出、になってしまっている。


ずっと悔やみ続けようと、決めていたのに。



私はいつかこの手紙を開けるだろうか。

まだ読んでいないそれは、心のどこかにひっかかっている。

開けたらいつか、その手紙のことすら忘れてしまうかも知れない。

















Letter 2