Half-A-Room -133ページ目

シクラメンのかほり


においはいつも、いつかの記憶を呼び覚ます。


その記憶が何なのか、はっきりとは思い出せない。


ただ、濃い色の感情だけが一瞬、鮮明に蘇る。


そしてすぐに消える。


跡形も無く。



それはいつも不意に訪れる。



押入れの段ボール箱を開いた時。


昔使っていたワックスの蓋を開けた時。


コンビニで人とすれ違った時。


知らない土地を踏んだ時。



視覚よりも、聴覚よりも、触覚よりも鮮烈に


凝縮された感情の記憶が 突如襲って来て、


胸が締めつけられて、


不意に泣きそうになる。



よみがえるのは


はっきりとした輪郭のない


おぼろげな記憶で、


それは余計に、私を混乱させる。



これは 誰の香水だっただろうか


誰の煙草?


どの本のにおいだったか、


どこのカラオケボックスだったろうか、それともライブハウス?



私は何を想っていたのだろう、


悲しいのか、


嬉しいのか、


苦しいのか


楽しいのか


それすら 判別がつかない。



あれは夏だった


私の邪魔をするものは何ひとつない、


ひとりの簡潔さも、寂しさも隅々まで行き渡った


ぞっとするほどにひんやりとした部屋だった。


思い出すことさえ無かった。



どうして思い出させるの?


予告もなく現れて


一瞬のち、もうそれは消え去る


においも感情も、その余韻すら残したりしない。


取り残された私はひとり、茫然と立ちすくむ


今もあの場所に、


あの時の私が、置き去りにされたまま。