Half-A-Room -123ページ目

ソー ヤング


春なんか永遠に来なければいいのに。

3月、


春はなんか優しくて残酷、
とイエローモンキーも唄っているように、

日々は何だかやわらかくて、

それでいてどこか 傷をたたえてる。

遠くへ離れてしまう人たちがいる。

寂しいのはいつでも
置いていかれる方で、

私の寂しさと 彼らのそれとは同質ではない。

純粋に彼らと離れることを悲しむことのできるこちら側と違って、
彼らには別れを告げなければならないものがたくさんあるので、
私はそのいくつもの別れのうちのひとつにしか過ぎない。

私が置いていく側であった時もそうだった。

新しく出会うものたちへの期待や不安や様々な雑事や、そんなもので一杯で、別れの寂しさはどこかへ紛れてしまう。
寂しい気持ちがなかったわけじゃない。
ただそんな風に言ってはいけないと感じていた。
離れて行くのは自分の方で、彼らではないのだから、

彼らと同じに寂しさを語ってはいけないのだと思った。

何年も前、アメリカへ旅立つ時、決して寂しいとは言わなかった友人を思い出す。
どうしたらいいのかわからず困惑する私に、私を置いて行くことが何よりも気掛かりだと言ったけれど、寂しいとは決して言わなかった。
それは彼女の決意であったのだろうと思う。

自分から寂しいと口にしないことは、私を置いて行くことへのけじめだったのだろう。

置いて行くとか行かれるとか、そんな風に言うのもおかしな話だけれど、私はどうしようもなく置いて行かれたと感じていたのだ。

彼女の一番大切なものになりたいと思っていた。

恋人よりも何よりも。
今思えば空恐ろしい話だ。

そんな存在になったとして、その先何処へ行くというのだろう。
行き着く場所などないのだ。

ただその時は本気でそう願った。
強い強い気持ちで。

恋人とは別の形で、同じように私を大切だと言った、彼女の言葉は本心だったのだろう。
だけどそう言う彼女を狡いと思った。
そして、恋は強いのだと思った。
重さにおいて同じでも、燃え上がるその熱で、恋はどうしようもなく強力なのだと、絶望にも似た気持ちで私は悟ったのだった。

恋でなければ、別れもない。

死ぬこと以外は。
あの時、そう自分に言い聞かせて、涙を拭って、電車に乗った。

やさしくて残酷な風のにおいが、私を後押ししてくれる。

行かなくちゃ。