sensibilia
滋賀県立近代美術館に「sensibilia(センシビリア)」を見に行く。
中に入ると、真っ暗。
奥の方にほのかに明かりがついている。
展示されている作品数の少なさに驚いた。全部で7点。
広々とした空間に、ひとつひとつの作品がゆったりと間を取って置かれている。
その空間の空き具合が心地いい。
小さなライトが、作品を順に照らしていく。
どこからかうっすらと漂って来る、音楽ともつかないような音楽。
それをぼんやりと気配のように体に纏いながら、うとうととした気分で部屋を歩きまわる。
いくつか椅子が置いてあり、座って見てもいい。
明かりの照らす位置や方向の変わっていくさまが新鮮で、それは太陽の照らす様子を思わせた。
ライトに照らされている部分以外は、薄暗くてあまりよく見えない。
どの順番で見るかという自由を制限されているようでもあり、限られた時間しか見ることができない、という自然の摂理のようなものを表しているようにも思える。
Carl Andre(カール・アンドレ)の「Zinc-Zinc Plain」という、床に36枚の正方形の亜鉛板のタイルのようなものが並べられた作品は、その上に乗って、踏んで遊ぶことができる。
踏むと板が傾き、カタカタと音がする。
普段、道路を歩いていると踏んでしまう、カタカタ鳴る外れそうで外れない板(舗道のタイルとか、排水溝とか)、あれを思い出した。
Sol Lewitt(ソル・ルイット)「ストラクチャー(正方形として1、2、3、4、5)」は木を組み立てて作られた大小の立方体が繋ぎ合わせられた作品。
そのまわりをぐるぐる回っていると、永久に抜け出せないループの中にいるみたい。
Robert Morris(ロバート・モリス)「無題」は前にも見たことがあった。
一つの線でスッパリと切り裂いた大きなフェルト(フェルトみたいな布だと思っていたら本当にフェルトだったらしい)は、切り口から布がべろんとめくれたように垂れ下がっていて、その状態をそのまま見せるような感じが面白いのだけれど、向き合っていると不思議と何だか落ち着くような気がする作品だ。
もうひとつの部屋には椅子が四つほどと、巨大なスクリーンのみ。
ふかふかの椅子にだらりと座って映像を見る。
最初の部屋に展示されていた七つの作品を使った不思議な映像作品だった。
立体作品の映像を使ってそのイメージを増幅したようなものや、端的に表したようなものがあった。
さっき聞こえた音はたぶんこれだったのだろう、流れてくる音が妙に心地良くて眠くなる。
音だけではない、全体の空間が高くて広くて、そこに自分がいてひたすら流れてゆく映像をぽつんと見ている感じ、がなんとも心地良かった。
イメージとしての近未来的であり、それでいていつか見たことがあるような、昔からずっと続いているような、そんな感覚。
画面は永遠に終わることがないような気がした。
展示場を出たら、物販のところに置いてあったDonald Judd(ドナルド・ジャッド)の本があまりに素敵で急に血圧が上がった。
展示してあった彼の作品はあまりよくわからなかったけど、その本は表紙も可愛かったし、載っていた作品もかなり好きな感じだった。
もの凄くどうしようもなく欲しかったけれど、二千円程度なら買ったかもしれないけどそのようなお値段ではなかった。がっくし。
しかしそんな素敵なアーチストがいることがわかったのでそれだけでもよかった。よかった。
戴いたパンフレットには作者の名前と、それぞれの作品の簡単な紹介(大きさや制作された年など)が掲載されているのだけど、その中に作品の素材名も書いてあり、その説明が面白い。
例えば「空間の鳥」という作品なら「ブロンズ、石」と普通なのだけど、「ストラクチャー」は「白く塗った木」、「パーベック」という作品なら「黄色く彩色されたスティール」、Donald Judd の作品なら「電解処理された青いアルミニウム、亜鉛めっきされた鉄」というように、いちいち細かくどんなふうに手を加えられた素材なのかが説明されていて、親切だなあと思うと同時に何だか面白い。
こんなふうに書いてくれるとどんな素材を使っているのかがわかってとてもうれしい。