研究者もいろいろです。
名の知れた大学でも、この人レベル低いなあ、という研究者もいます。
某大学の客員教授などはひどかったです。
良い大学には、素晴しい研究者が多くいる確率が高いです。
そうでない大学には、それなりの研究者が多くいる可能性が高いですね。
日本では、理論は研究者、実践は実務家と役割がはっきりしています。
米国では、大学教授が実務を行い、後に実務家になったり、実績がついた後、再度学校で理論に戻ったりします。
少なくともビジネススクールでは、ただ研究しているだけでは、大学教授になれません。
有用と認められる研究である必要があります。
社会に有用であれば、企業から資金提供が行われます。
資金を引っ張ってこれる実力がないと大学から見向きされません。
(ただの拝金主義ともとれますがね。)
日本の社会がそうであるように、日本の学会は閉鎖的です。
村長が組織内に配分する、日本的システムが生きているため、構成員は、村長に逆らいません。
村長が言うことが、組織に浸透します。
有名な学会に行くと、村長の一派に入らないと論文すら見てもらえません。
学問は、やがて村長語録の訓詁解釈学になっています。
毛沢東やマルクスが言うことが正しい、という理屈でそのバイブルの解釈に終始するわけです。
でも、宗教じゃなくて、学問ですからね。
如何なものでしょう。
ロジカルな議論ではなく、情が優先されるのでは、いつまでたっても学問後進国ですね。