若宮社
鎮座地:新潟県五泉市能代甲御祭神:廣臨親王 寛喜元年(1229年)創建とされ、御祭神の廣臨親王(顕成王)は、順徳天皇の第二皇子。 廣臨親王は、承久の乱の後、佐渡に流された父帝を深く慕い近臣20余人を従え越後寺泊に来たが、北条氏の警戒が厳しく佐渡に渡ることができず、竜玄、鵜ノ森、矢代田、朝日など居所を移しながら潜伏していた。能代の領主・左衛門尉菅吉に身を寄せていた時、事が鎌倉に漏れ、左衛門尉はやむを得ず親王を弑すこととなった。親王は逃走したが、小口村で自害。貞応2年(1223年)、親王十六歳であった。最期の地に祠廟を建ててしばらく祭っていたが、寛喜元年(1229)に能代に社地を賜り、神廟を建て、若宮三社大権現と号した。まもなく小口村の墳墓の所在は不明となったが、元文年間(1736−1740年)、偶然に発見された。現在の新潟市秋葉区小口にも廣臨親王を祀る若宮社がある。 なお、宮内省の皇統譜に廣臨親王(顕成王)は登録されていない。 参考文献:『越後野志』巻九「若宮神社」の項、 『広報にいつ1986年2月15日発行556号』「市史編さんの窓44」欄