鎮座地:新潟県五泉市矢津(旧村松町)
御祭神:誉田別命、息長足比賣命、玉依比賣命
式内社:長瀨神社 蒲原郡十三のうちの一座(論社)
旧社格:村社
参拝日:2019年7月26日、2020年8月30日
五泉市(旧村松町)矢津に鎮座する。坂上田村麻呂が大同2年(807年)に八幡宮を勧請、創建したと伝わり、延喜式神名帳記載の長瀬神社の論社(加茂市宮寄上の長瀬神社、加茂市八幡の長瀬神社が有力視される)とされる古社。
天喜5年(1057年)、阿部貞任討伐のため、源義家が戦勝祈願を行い弓箭を奉納したことから、当地が矢津と呼ばれるようになったと伝わる。
江戸時代、村松藩より、神明宮[大同元年(806年)創建]、日枝神社[延暦15年(796年)創建]、住吉神社[大同元年(806年)創建]、春日神社[弘仁5年(814年)創建]と共に村松藩五社[五社制度は元文4年(1739年)成立]の1つに数えられ崇敬庇護された。
参道入口
鳥居(頭上の杉枝の落下に注意の貼紙)
参道を進む
拝殿 安政5年(1858年)造営
額
本殿 寛文元年(1661年)造営
本殿 新潟県指定有形文化財
社頭掲示板には下記の通り記されている。
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矢津八幡宮は、征夷大将軍で蝦夷征伐を行った、坂上田村麻呂が大同2年(807)、東夷征伐の際に戦勝祈願のため勧請したと伝えられています。この八幡宮は古くから菅名荘の惣社とされていました。
中世時代の矢津村は荘内随一の川港であったため、中世武士の争奪地となり、八幡宮は戦乱で次第に衰退していきました。
しかし、江戸時代になると、村松藩は廃絶寸前にまで衰微した同社を再興し、村松藩五社の一つに加えて優遇しました。寛文元年(1661)、村松藩2代目藩主・堀直吉が社殿を造成しており、その時の棟札が現在でも残っています。
矢津八幡宮は、江戸時代には武人の守護神として崇敬されました。また、村松地方の八幡宮は十二社、熊野社と同様に山の神であり、作神としても信仰され、牧村の山ノ宮、上野村の里ノ宮と称する社もありました。
本殿全体の木柄は太く、軸部や妻飾りなどは江戸時代初期の形式をよくとどめており、江戸時代初期の建築様式を今に残す貴重な建築物として、昭和61年(1986)に県の有形文化財に指定されました。
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