鎮座地:新潟県糸魚川市田伏

御祭神:奴奈川比賣命、大日孁命、八千矛命

式内社:奴奈川神社 頸城郡十三座のうちの一座(論社)

旧社格:郷社

 

 社伝によれば、高皇産霊尊の子である意支都久辰為命が高志国に降臨し、その子の俾都久辰為命とその子の奴奈川姫命がこの地を治めていた。その後、「古事記」に記されている通り、八千矛神(大国主神)が沼河比売(奴奈川姫命)を妻にしようと思い、高志国に出かけて沼河比売の家の外から求婚の歌を詠んだ。沼河比売はそれに応じる歌を返し、二神は結婚した。 共に国造りを行い、それが終わると多布勢の神沼山に岩隠れしたという。 その後、成務天皇の御宇(131年~190年)、市入命が越後国の国造となって当地に来られ、、奴奈川姫命の子である建沼河男命の裔、長比売命を娶り、当社を創祀したという。
 明治6年(1873年)村社に列し、大正8年(1919年)に郷社に列した。7月の田伏祇園祭では、神輿渡御が、10月の秋祭りでは浦安の舞が奉納される。
 御朱印にもあるように、神紋は「榊九葉」。全国でもここだけではないかと宮司様は仰っていました。
 また、糸魚川はヒスイの産地であり、古代にはこの地で造られたヒスイの勾玉などが各地へ運ばれた。奴奈川姫命の「ヌ」は古代において「玉」を表わし、ヒスイのこととされ、御朱印にもヒスイの勾玉を表す印が押されています。
 式内社「奴奈川神社」の論社は他に、天津神社の境内社である奴奈川神社と、能生白山神社がある。