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IGS-report

未来の為になる取材やイベント活動を行うメディアを目指して活動しております。

(中盤は、ほぼインスタ『 green1po1po 』と同じ文面だが、こっちの文面の方が当時の気持ちを実況している・又、そこから派生した結果も!!)

 

令和7年6月22日(日) 障害保健福祉センター 6F・体育室 

来場者25人までは数えていました(出入りあったし)演者スタッフ側11人?(朦朧としていて・・・)

 

まず先日は『みなと音楽♪みなとLIVE』へお越し頂きましてありがとうございました。

 

そして今回の私達の活動を機に、障害保健福祉センター1F(宮園バスさんに向かって左側)に他団体もチラシを置けるというルール改定がなされた!!

  

チラシが左に寄っている理由は、今後他の団体が来た時、私達のチラシを剥がす時に破損をしてしまうという事を避ける為、との事で、なんとも深淵情けのある心遣いではないだろうか!!・しかもこの心遣いが地活の年齢を重ねていない希望を持った=私達からは福祉の未来を託す事になる=職員から出た『心遣い』であるとの事。)

  

本主催の方作ったチラシと、私が作ったチラシ。

(私のチラシは施設長と音楽セラピーの先生に許可を取り、センターの音楽セラピーで使っている楽器と先生の楽器・更に幼稚園時代からの幼馴染が中学生時代に「TM  NETWORKやろうぜ」と言って、=ヤンチャをした上で=先に社会に出た後、大人になってから初めての賞与で購入をして約束を守ったシンセサーザーEOS B900や、ESPのEクラプトンの『ブラッキー』をイメージしたEギター・や上記若者がドラムを演っていたので当時「じゃ、俺がベースやるか!?」と手に入れたフランケンシュタイン状態に改造されたベースや、ヤマハのアコギ等、家にある楽器の写真を散りばめクラシックだけではなく、もう理由があって去ってしまった利用者の御家族がセンターに寄与した楽器の『カホン』等=←ワリと私の担当になる事が多かったが最近知的の子が私の真似をして?『カホン』を使う事が多い=、民族楽器から何から~、世の中には様々な楽器がある事を表現をし、遠くから見て『お、6月22日に何を開演するんだ?』と目立たせた上で、

チラシを貰って下さった方が様々な楽器を観て、楽しい!!・嬉しい!!と感じるオマケを付けておいた!!←私は制作の人間ではないので3日間ぐらい毎晩・夜中の3時までかかったが

 出版社の頃に記事で読んでくれた読者・手にしてくれた読者が何か1つでも、そこから学んだりプラスになるという『手法』を込めて作ってある。・・・地図はセンターが使っている地図を拝借すると「著作権に引っ掛かるのでダメ」との事でエクセルで作ってPCの先生に後ろの線の消し方を学んだモノ=昨年の『区民祭り』の時、戸板女子の学生ボランティアさん達が「リーフレットにセンターのチラシを入れた方が良い」と提案をして下さったモノを前回のリーフレットで具現化し、約束を守ったモノ=、文章はバンドの人達が「コレを入れてくれ」と本主催の人に送ってきたモノを、本主催の人のチラシと同じ文章を入れても意味が無いので、多少改編して、関わった全員が次や未来に繋がる導線にしてある。

私のチラシで人を惹き付け本主催の人のチラシで詳細を知って貰う為、私のチラシは切り込み隊長みたいなモノだ)

  

(右は:毎晩3時までかかって1ドットづつ手直しをした↑ワードファイルの数々・・・自分が主催ではないので、こういう正解が無いモノはどこまでやっていいか?解からない・・・ただ料理と同じで不正解はあるのだと思う。)


インスタ=  green1po1po  =にも出した1枚目は、私へ【名を出さず】音楽会への応援メッセージと共に御自身の手作りの七夕飾りを送って下さった方の作品を、引っ越しで出てきたDIY用の木材と緑のワイヤー・ネットで笹に見立て、

障害保健福祉センターのサロン活動で、看護師さんから学んだ付箋を短冊に見立てたモノと共に、

(七夕飾りを御提供下さり・応援下さった『御礼』への謝辞の代わりとし)、受付に『装飾』として置かさせて頂きました!!

 朝4時、本主催ではないので、後で「ヨレヨレの服を着ていた!」とか「あんな格好で出てきて恥ずかしい!!」とか言われない様に、

(自分が主催だったら、カンケーねーや、実力で塗り替えてやるぜ!って感じだけれど・・・内容が解からない・・・だったら出来る事は精一杯やろう!!・・・今、目の前の事を疎かにして、来場者さんや障害保健福祉センターの職員さん達・区やコレに関わって下さった応援して下さった方々に迷惑を掛けたくないので、暑いし、前日の午前中から開始時間の件で色々あって=朝令暮改の件はゴメンだ!=寝ていないけれど・・・我慢、我慢・・・。)

 で、何年ぶりかのスーツに引っ越し先で初めて着替えたので記念に撮影。
  
9時の集合時間より早い7時半に着きセンター側へ依頼をしていた観覧席や物品を先に確認。
(依頼で、色々『借用物品』を頼み過ぎて施設側を混乱をさせてしまったのか)、机とパイプ椅子が無いので又1Fへ行き、防災センターさんと演奏会が終わった後の片付けの事を再交渉後、 
 (防災センターさんと)2人で無理矢理、

・パイプ椅子20脚

・机2台

を、観覧席の横の倉庫から出させて頂き(←朝の防災センターさんは『ジョイントマット』の出し入れも手伝って下さった・感謝!!)

(借りた時、今まで何が起きたか?も色々聞いて下さった・・・確かに記録に残っているそうだ・・・←それも確認出来た、一体何が?・・・理由や昔を知らない人達・その場で額に汗を流した事を体験しなかった人達から「早く来過ぎ」と言われても、こういう事があるから、だから早く来たんだ、正解だっただろう?、だてに大きな医療事故4回は起きていない。)
  
 元光明学園の講師さんのバンド「うめみごこち」さんの方々はスピーカーや楽器類を持参、

私自身の助けで来て下さっていた『芝の家』のスタッフの方と共に「凄いな~」と準備を観ていた。

(当日の朝、頼まれて、台車と『看板』も急遽、防災センターさんに頼み込んで書類を書き借りたが、結局机を楽器運搬の台車代わりや楽器の置き場として使い、もう1台は受付として使ったので、障害保健福祉センターの職員さんが言って下さった「2台借りておいたら?・使わなかったら荷物置き場にしてもいいし」という助言耳を傾けておいて良かった)
   
出入り口で人と人が交錯し衝突事故へ繋がらない様に観ながら、舞台袖からTVドキュメンタリーの様に演奏の模様を観賞。

 七夕飾りを置いた受付にも1人座っていて下さったので、

・受付で出入り口で人と人が衝突したり、、
・センターの廊下を走って事故へ繋がらない様に

観ていて頂いたし、

・区役所からも「来場者の熱中症に注意をして下さい!!」と私の盲点を助言して下さり、

・障害保健福祉センターの恐らく最高齢の利用者さんと他の福祉団体の職員さんからも「換気も大事!!」とアドバイスも受けていたし、

・ある日、私が疲れてフラフラと歩いてセンターからの帰り道、上記の他の福祉団体の職員さんが「どうした?疲れているようじゃないか?」と声を掛けて下さり、

 ↓

 いろいろ話をして・・・

 ↓

「・・・難しいよな、上手くやって当たり前・上手くいかなかったら、それこそ言われる」と私のキモチを理解して下さった!!

(だから必死で各、公共施設・場所、7ヶ所へ飛び込んで

本主催者や、2~3日深夜3時まで掛かって作った私のチラシを『掲示』・『平置き』・『PR』をして下さるように「今度こういうイベントをやるんですけれど~」って、

自分の足で、額に汗して、お願いし続けてきた・・・「温度が違う?」っていう意見も複数あるけれど、今まで背負ってきたモノが違うんだよ・・・今、背負っているモノというか・・・もう大きな医療事故4回で『背水の陣』だもの・死地に活路を見出すしかないんだ・・・上記の福祉団体の職員さんは俺の経歴・事故の件も知って、仕事としてだけではなくキチンと福祉人として『理解』をしていたから、出てきた言葉だと感じた!!・・・)

 

 だから私は安心して(自分を手伝って下さる為だけに来て下さった)2人に後ろを任せ、安全を守りながら、本主催側と来場者との繋ぎで動く事が出来た!!

(これ以上、来場者が増えていたら、安全を守れなかった・事故へ繋がっていただろう・・・事故を起こそうモノなら他の団体さんへも迷惑を掛けてしまう・・・その責任感への受け止め方の『差』なんだ!!、区のみんなの公共施設を借りるってそういう事じゃないか?、俺はそう思う、自分だけのモノじゃない『感謝』が必要だ)
 

 いなり寿司や、私に弁当を差し入れて下さったり、暑い日差しの中、御来場下さった皆様と共に、センターや各福祉団体の職員さん達・(休憩時間が少なくなり)演奏が必要無いかもしれないのに「いいよ、演奏が無くても手伝うよ」・「一応、楽器を持っていく!」とお手伝い下さって『背中』で『本当の人情』や『福祉』・『困った時はお互い様』を、繰り返すが本当に背中で語って下さった、『人の痛みが解かる』芝の家のその方や、各施設・港区の皆様・裏で額に汗をして下さった方々・応援をして下さった皆様へ感謝!!

 

疲れて、どんなに頑張っても気持ちが伝わらなくて、とても、とても、寂しい思いをしている時、むなしい時、機能訓練室の車椅子の子が振り絞る声で「グリーンさん(←俺の名前)、あ・り・が・と・う…」と何故か?急に言って下さった。

(身体の人は、身体が弱いから”繊細で”感じ易いので、きっと、俺の何かを感じ取って下さったのだろう・・・)

日曜日だから巡回バスが出ていない、この子達や足が不自由な方々が来られる日の開催だったら、どんなに心強かっただろうか?と、何度うつむいて、唇を噛みしめつつ、ゴメンナサイと思っただろうか・・・

 そして開会式の挨拶文を前々日ぐらいに頼まれ、2月にこの話が私にきた時、ある程度、恐らく開会の挨拶を頼まれるだろうな、と予測をしていたし、100%や100点を目指さないチャラン・ポランな性格なので、ササッと書けるワケで。

(「ただ、挨拶をするとドモるから、文章を読む形式なら・・・」と本主催の人の了承を得た上で↓左側の下書きを書いて、

当日は音楽会が始まる前まで、窓際で1人で声を出して練習をし長い部分や要らない部分を削除し、引っ掛かる部分を削除したり添削していったモノが右側のモノ

 他の施設で行っている演劇部(朗読劇)の経験で、仲間に「ゆっくり読めばいい」と言われた事があり、ソレをここで使ってみる為、右側の本当に読んだ文章は、ゆっくりという事を読んでいて『焦って』忘れない様に「ゆっくり」という文言をコレでもか!!と、文章が左へ進むに向かい、余白に書きまくってある。

(声で強調する部分は『太字』や『つっっっっっ』で・・・息継ぎの場所として次の文言の発声に備える!)

  

(私自身を手伝いに来て下さった御二人の内の芝の家から来て下さって、何でも楽器が弾け、御自身でもガムランとか様々な楽器を手作りする事も出来て『何度も』、『海外』や、『関東近郊』の福祉施設に招かれ実際に演奏をされている方=最初「弾かなくても手伝うよ!」と言って下さっていたぐらいお心の広い方=が、最初はWelcome(ウエルカム)音楽を弾きながら→私の挨拶が始まるとBGM代わりに私の緊張をほぐしつつ音量や音質を穏やかにして弾いて下さり→挨拶を読み終えた後、「完璧だった!!」と肩を叩いて下さった!!

 基本的に、この音楽会の「みなと音楽みなとLIVE」のチラシを掲示したり、平置きをしたりと、PRをして下さった

障害保健福祉センター(ヒューマンぷらざ) 様

芝の家 様

みなと社会福祉協議会 様

三田の東京都障害者福祉会館 様

あいはーとみなと 様

役所の売店『ハナミズキ』 様(→私は友愛十字会登録なのに、とてもよく相談に乗って下さった【障がい者福祉事業団】 様)

6月14日の区民協働スペースでの『フリースペース』活動前日区民協働スペースの使い方を懇切丁寧にお教え下さり「この後の私達のイベントの時に、そのチラシも告知PRをするよ!!」と、

(昨年いろいろあったのに、その『真実』も全部知った上で)チラシを預かって下さった民生委員の皆様への

『御礼』と、

(三田の東京都障害者福祉会館さんに申し込んだ時。)

(挨拶文の下書きでは赤坂区民センターで行われる【区民祭り】の『総会』を見習って、敬称を『様』で記していたが、練習で読んでいて何か違うな・読みヅライなと何度か?感じ、私自身を手伝って下さる他の方にも『報・連・相』の『特に相談』の上で「~さん」の敬称へ崩し読んだ!!)

 そして冒頭の障碍保健福祉センター1Fのルール改定で、色々意見を出して時間を引き延ばせ、結果反対するカタチにしていた職員達の意見を押し切ってでも利用者に寄り添って下さったうちのメンバーのヘルパーさんが「あの人には福祉の心がある!!」評した若者の功績。

(因みに、ここだけの話、障害保健福祉センター5Fの利用者の『作品展示事業』も、その若者と私で最初から「100%を目指さずにやろう!」と昨年始まった事業。←私だけの要望ではないが実は具体的には・・・)

それらの事へのお礼の文言を、文章の『柱』とし、

区役所の方から助言をして頂いた「来場者の熱中症に注意をして下さいね」。

センターで恐らく今、1番年長の方の「廊下を走る子達の衝突事故に注意をする様に(マイクを使って何度もアナウンスで注意喚起をするといい!!)」という助言。

(『障がい者福祉事業団』の方と共に「換気にも注意をせよ」と助言も・・・)

・団体を作る前にヒューマンぷらざ祭りのボランティアをしていた時、体育室の入り口で衝突事故が起こるケースが2件と、

早朝に7階で部屋から凄い速度で角を急に曲がった人と、うちのメンバーの人が『正面衝突』をしそうになり、私が体を咄嗟に入れメンバーを庇って正面衝突を避けた件を、踏まえての経験からの『注意喚起』。

等を文面の最後に入れ、休憩途中のアナウンスと『共に』注意喚起をしていた!!

 後日、バス停で他の団体の代表さんや別の福祉業務での会長さん達と会い、この話をした時、「他の団体のチラシも置ける様になった事はとても良い事!!」と喜んでおられた!!

 恐らく、コレは動いた過程の中で出た成果で、

額に汗をして暑い中、各施設に飛び込んで「今度こんなイベントを手伝うのですけれど~」と頭を下げて頼み、

40人ぐらいに1人1人、口頭で説明をしながら手で配布をしつつPRをして実際に動いたからこそ奇跡的に起きた『成果』なんだと感じた。

この偶然と、皆様の誠意・優しさに感謝をしていきたい!!

 出版社の頃「昭和の営業のやり方」とデザイナーに揶揄されたけれどどんなに時代が変わっても、

足で稼ぐ事や、

額に汗をした事

観ている人は観ているし、まだ正しい人も在ると感じさせて下さった出来事や音楽会だった!!

 

◎この数ヶ月、陸奥宗光の「政治はサイエンスではない」という言葉と同等の意味が、数ヶ月間、私の中をずっと駆け巡っていた。

(自身の自己満足で大きな事故や、人々・世に迷惑もかけず)課題が見付かった事は幸せだと改めて心に刻む。

 学ぶ事も多かった。

『勝って兜の緒を締めよ』ではないが・・・、課題』が見付からない事の方がコワいと思うんだ・・・)

 

 『感謝!!』

 

 後日センター側から、

「利用者の御意見箱があるじゃないですか、無記名で22日の音楽会が楽しかった等の投書がありましたよ」と直接言って頂いて、実際その現物が貼り出された!!

 

(障害保健福祉センターの中だから、私達裏側の状況を知る)どこかの心優しい方が書いて下さったんだろうなーって。