令和8年8月23日(日) 三田障害者福祉会館
この日、凸凹表現フェスという『発達障害と(概ね←コレは俺の感じた感じ)生きづらさを感じている方々の展示会の第1回目が三田の障害者福祉会館行われた。
(「概ね」と書いたのは、健常障碍問わず、生きづらさって金持ちでも、きっと恵まれている人でも、ある程度の人が抱えていて、生きづらさの定義って人によって違う気がするから・・・私だって外から観たら1見観たら何も分からないし、歯を喰いしばって3倍頑張っていると、それだけ動けるなら「俺達と同じ苦労をしろ!」と私の事が解かるまで半年は大体言われる事が特にコノ5年間続いてきた、あまり混ぜこぜにしても良くないし離し、離し過ぎてもよくない、←障碍がある人が他の障碍を理解したらりすることや、他の障碍を学ぶ事の大切さを肌で5年以上体感をしてきたから・・・ゼツミョーな距離感って大事なんだよ、だからセンターの移転問題は後々禍根を残す事になると、それを解かっている人々が「絶対事故が起こる!」と危惧をしている、他の障碍者施設の人々や公務員は自分のことばっか。実際に私が知っている子だけではなくALSとか生の介護現場とか観たり聞いたりしてみろよ?・インクルーシブでなんて言えないぞ!、ソレぐらい過酷で凄まじい、そこから目を逸らして、言っていたとしても、十羽ひとからげには出来ない!!・だから私は「共生」とか安易に使う福祉人は、あ、まだコノ人は表ヅラは良いけれど、本当の現場や、真実を知らない、経験値が浅いんだな、と判断基準にしている←実際に介護現場で高齢・障碍で額に汗をしてきた福祉職員達はヤハリ安易に共生という言葉を使ったりはしない事を、実際に体験をしてきた。昔コンサルや怪しい経営者達が使っていた「Win・Win」という言葉と同じで便利なんだよ、共生って言葉は・・・俺は当時銀座で10年以上続く異業種交流会の秘書で年に何十人もの新しい経営者?といわれる人々やコンサル?って人達と接していて、全員では無いが大体誠意の無い人々は「Win・Win」という言葉を使っていた様に個人的に感じていたし、優秀なシンクタンクはアマリそういう便利な言葉を安易に使っていなかった、それと同じニオイがする=類似する?=言葉って世の中でピンっとくる)
ま、話は逸れたが、ソコに知り合いが出店をされるとの事で、多忙過ぎて、中々お会い出来ていなかったので、久々の休みだけれど、歯を喰いしばって行ってみた!!
展示会は出版社時代に、
・もう何十回と(仕事で)行ったし(1年に30回近くは行き、夜、記事も書かないとならないし、飛び込みでアポも取らないとならないから全日は無理だけれど、半日に40社以上は必ず回って話をしてきた)、
・実際、幕張メッセ等の大きな展示会で8ブース出展の責任者も施工計画で工事業者と折衝する所~編集長と片付けまでの段階を2回・京都でのミニブース展示(蔵前とかに居たのに午後、社長から「17時に荷物を持って京都に来い!」って)。銀座で(概ね)個人経営者を集めた『ミニ展示会&健康講座』をボスの指示で毎月開催させて頂く経験もさせて頂いて居る。
その中で得た経験から話している。
ただヤハリ時代は変わり、新し発見は常にある!!、SNSや写メが当たり前になった今のの時代は「写メOK」・「SNSに掲載OK」とマークを付けるという事で出展者への還元を行なっている事は驚いた!!こんなにシンプルに、来場者にルールを明確に伝えられる方法があったのか!!って。
自分が来場者の時も出展者の時も「あの~、写真撮ったり、宣伝していいですか~?」って恐る恐る大企業に訊いたモノだ。
(↓そっか、知り合いのSNSがOKだから消す必要は無かった!!)
ビッグサイトとかと比べてそこまで大きい会場ではないので
(会議室2つを仕切りを取ってブチ抜く感じ)
テーブルでブースの仕切りをテープで・・・この手作り感が凄く良かった!!
(しかも偶々知人の隣のアーティスさんが別の場所で何故か展示されていたので、知人が店番1人だったからチャッカリ横に俺が座ってお手伝い、モノ作りの方や芸術家の方は概ね総じて、接客がアマリ得意という感じでは無いので、プロの営業記者だった私=私だって創作はしたいが記者や営業の方が楽しかったから制作の人達とブツかりたくはないから、創作の気持ちは捨てた。=が人と対峙すると入口の段階では話せるのだが、本当に絵が好きな方・実際にアートをされている方の質問は知人へ振ると、お互い共鳴するモノがあるようで、共通する技術的な話題をされていた・・・)
2回会場内を回って他のブースで話したが、発達障碍って幅が広過ぎるって感じた!!
障害保健福祉センターで本物の発達障碍を知り(実際、発達障害の特殊学級も当時は無かったので設立されて行ったという方とかからレクチャーされ、その人は愛の手帳やイチョウ学級、俺はイチョウ学級には行けない、何処のカテゴリーにも属せないので、何十年と、いつも1人、でも1人だから力もナク、歯を喰いしばってやっているのに「自分で出来るでしょ」と福祉・行政に助けて貰えない、本当は本当にヤバいのに・・・)、
・『あいはーと』さんで何十年も精神を研究されている方から「発達障碍ってのはワリと最近出来た言葉で、昔解からないモノを何でも不安症としていた様に、今は解からないモノを発達障碍にしている」と解説を受け、
・更に以前、最初の区民祭りの頃に知り合った『虹色の風』さんに自閉症について教わったが、
(家族が止めないと延々とキャンバスに黒で色を塗り続けている・・・そんな作品群も展示されており、とても衝撃を受けた・・・!!)
「自閉症も発達障害に入る」と会場で教わり、範囲が広過ぎるだろうって。
・以前、4度目の医療事故(実験台だな)に遭って苦しんでいる時、障害保健福祉センターでレスパイト(短期入所)で自閉症の子と一緒になった時、(=コノ子の場合=「恐らく長く生きられないだろう」と言われる)『ダウン症の子』が私を独占していて、でも自閉症の子が一人になってしまうと、ダウン症の子に弄ばれながら?(^_^;)、顔はずっとその自閉症の子の方を観ていたら、翌朝、自閉症の子が私より先に帰る前にタタッタって走ってきて、私の指を掴んだ!!
(ホンの5秒程度で職員達は観ていなかったけれど)
解かっていたんだ!!
って。
↓
そのエピソードを、当時はまだ居られたあいはーとの年長者の方々に話してフィードバックをしたら「自閉症の子って、そういう事しないんだろう?」って驚かれていた。
だから今回、発達障碍に自閉症が含まれるとレクチャーをして頂いて、
精神に詳しい施設の前所長が以前、「日本には世界の1/3の精神の病床数がある」というデータを出してきた時の事も考慮しつつ、その精神を何十年と研究されてきた方の「発達障碍という言葉は新しい」と話されるエピソードも思い出しつつ、他の施設で起きた暴行事件の加害者も考慮しつつ(職員が「暴行をしても、精神だから許してあげて」と言い、他の利用者が「ここは加害者の病院でも更生施設でもない、皆の安心・安全な場なんだ!!」・無理矢理行かされた高田馬場の『都精連』も「それが今、社会的にも業界的にも問題になっているんだ!」と言った事も踏まえ)
拡い、広過ぎる・・、
コレは医者達の研究テーマにしてはいけないし、不安症の様にしてもいけない、俺にはそう感じるまでしかアタマが及ばなかった。
ただ、ここへ来て、話しを聞いて、(それまでは暴行隠蔽事件の影響で人生を失い、今も港区内で針の筵なのに、区長懇談会での文章改竄事件があったり・・・もしたが・・・、)
少し発達障碍への私の心が開いた感じがした。
(今までは施設長に誘われても「余計な事を言っちまいそうだから」と発達障碍の研修会も固辞していたのだが・・少し、この展示会へ来て氷解した様な感覚・・・)
(上の都営アパートに住む障害保健福祉センターの利用者も誘ったのだが特に来そうもなかったので・・・)
その後、1日中ラストの夜まで居るツモリも最初は無かったし、出展者が1人で対応をする経験も必要なんじゃないか?と考え、夕方には失礼をさせて頂いた。
(なんか田中敦子さん時代・プロダクションIG時代の『攻殻機動隊』好きが何人か散見された事も嬉しかった、そんな話も初めて会った人同士でも話合えたし、『花の慶次』ではないが男同士が仲良くなるには時間じゃない!が、体現される瞬間はあった。無論、お互い気を付けるが、男同士の争いは即生命の取り合いになるので、安易に喧嘩をしないんだよ・・・「1発ブン殴りゃ解かる!」、悪い学校で本物のリンチに近い事も観てきた・・・そのコワさを知っているか?知らないか?、なんだよ。そういう意味で暴行隠蔽事件の加害者がキックボクシングをしている人達2名やボクシングをされている人には絶対に逆らわなかったコトは判断を出来ているじゃん!!・本当に解からなくなっていたら、そういう強い人達にも向かっていくだろう・・・、やり返さない真面目な人達だけを狙ったり、過激な口論を吹っ掛けるなら・・・って。)
↓
で、夕方、まだ時間があったので、そういえば障害保健福祉センターの利用者さんに「三田線の三田駅から、地活とアクティさんが動かされる(=暴行隠蔽事件を暴いた区の報復措置だと僕は感じている=)新しい施設まで何分ぐらいかかる?」と半年前に訊かれていたので、障害者福祉会館の横のエレベーターの反対側(三田線を上がったバス停・いきいきプラザ側)から歩いて実際に歩いて計測をしてみた。
(私も区役所の当時の施設担当の人も移転場所から今のセンターまでは歩いてみて時間も計測してあったが、交通機関の出口から新しい施設までの時間は計測をしていなかった・・・コレで巡回バスが無ければ視覚障碍の方々なんてどうなるんだよ?・車はバンバン通るし、交差点は坂だから車椅子は転がってしまうし、絶対に事故が起こるぞ?・なんで区役所は俺達に聞く事もなく移転を決めてしまったのか・・・
ある高齢の障碍者は「石原都知事の時、ここ三田障害者福祉会館が潰されそうになった!!でも2回だったか署名を集めて反対運動を行い、なんとか存続をさせられた、今はそんな気概がある人達が居ないし、分断をされている」と私に嘆いて語った、特に特別に推す政党は決めずフレキシブルに考えるツモリではあるけれどさ、石原さんってそういう人だったんだ?、今は立候補者がえ?コレって人しか居なく、仕方なく入れないとならない操作をされている様な・・)
何度かこの辺を夜の時間と、昼の時間を歩いて裏道も調べおいた私の足で
6分~8分。
夏冬の寒暖が厳しい時はツラいし、車通りが多過ぎるよ・・・
絶対に事故が起こる!
(もう実際に昔、事故が起きているんだ、聴覚障碍の高齢者が交差点を渡り切れず大型車のクラクションが聞こえずハネ飛ばされ、全身を怪我をして入院し、そのストレスで全身に帯状疱疹が出来て苦しみ続けた・苦しんでいる、今も当時の記憶が恐くて、そこの交差点は渡るコトが出来ない・・という・・・)
ここまでして移転させる必要があるのか?
子供も大切だけれど、事故が起きれば、行政の管理者責任を問われ、福祉のノウハウが消え、それが更なる事故に繋がり、被災者になるのは、当事者なんだよ?、その事まで、障碍を分断され、今のセンターに残れる健常者の親御さん達は解かっているのだろうか?
自分の身内さえ安全ならそれでいいのか?(絶対、福祉が失墜をする余波は返ってくるのに)、福祉業界に与える影響はないとでも言えるのか?
事故が起きても。
『因みに』
今回の展示会場に早く着き過ぎた私は、もう中に入って観ている人々も居たので、受付へ行くと「まだです!」とバサっと斬られ、オレは飲食業が長かったから「え?」って思ったんだけれど、ま、まぁ、あと数分のコトだからと待っている時、ソレを観たスタッフさんが急いで来て下さって、優しく取り繕って下った時、記者時代に「訊きたい事があったらまっさきに訊け、言いたい事があるなら最後に言え」という記者業界に居てソレを俺に教えて下さった先人の言葉を思いだし(実際に実践をした)当時の記者経験を思い出しいろいろと、今回のアート展について訊いている内に、
この気の利くスタッフの方が素晴らしかったのか、この凸凹表現フェスの
①(優しい)明るさ
②なんだかワクワクする様な未来性。
(実際に知人が「なんかコミケよりも来場者さんの反応がいい」・「昔のコミケの1番最初もこんな=手作りの=感じだったんじゃないだろうか?」と同じ様に感じたコトを言語化され、言われていた・・・!!)
とても、何だか自分自身も居ても経ってもいられなくて、
以前、教育TVの『TOI TOI』で(普段TVを観ないのに)偶々点けたら『やまゆり事件10年目』の1回目で
「表現者は、何も作品を作る事だけではなく、行動する事・行動で表現する事もアートだ」みたいな事も言われていて、
俺もコレじゃね?って。
(実際グリーンを始めた頃はプロデュースする感覚だった、だから時代が背中を押してくれたというコトもあったのだと思う。
でも巡回バスが無ければ足が不自由な人は来られない・ボランティアさんや付き添いが居ないと事故が起こらない様に、本当に細心の注意を払って観ていないとならなく自分がしたい事が本当に出来ない・・行政や世の中は「良い事をしているねー」って言うけれど、本当は行政や福祉がしないとならないのではないだろうか?って)
だから
「行動も表現アートだとTVで言っていたので、私も参加出来ますか?、今すぐ来年・参加するしないは別として、なんだろう、本当に会場の雰囲気が良くて、憧れてしまって・・・」と訊いてみたら、
「全然構わないですよ、行動もアートですから」と、私と同じ考えだった!!
(本当に出たかったのはデカイ祭りやイベントとかではなく、こういう小回りの効く地道なフェス活動で、BtoBみたいな感じではなく、CtoCみたいな、草の根活動なんだよ)
『更に』
↓
知人がRQコードを名刺等に付けて来場者と目の前で即繋がっていく様を観て、
「よくQRコードなんて作れますね!!、そういう時代なんだなぁ~」って、めっちゃ驚いたら、
「今はイチイチhtttps//・・・とか打たないでコレが当たり前です、簡単に作れますよ?」って、いくつかのアプリや、拡張子等をどうやって載せるか?も教わり、その場でメモをしておいて、
数日前、今回1年ぶりのリーフレットを作る時、フトこの日の事を思い出して、ここへ飛ぶQRコードを付けてみた↓
(本当に出来たよ・・・今の所、多くの人が「今の時代に合っている」と褒めてくれた!!)












