令和7年11月8日(土) 障害保健福祉センター 第1会議室
結石でも足が痛くても代表である以上、外に出している以上、這ってでも来ないとならないワケで・・・
(今回は居場所の『場所』を平仮名に崩してみた・・・)
とりあえず、記事を終わらせてしまおう。
※足の痛みと、家族の病院、結石で休んでいた分、他にも作業が山とある。
作業の合間に疲れた時や、今日は障がい者福祉事業団の永年勤続表彰式なので事業団の子達が同じ7Fのフロアに来ているから、
(朝、知り合いの子が迷っていたので、7Fの竹芝小記念ホールへ連れて行く・・・「土日に行く場所が無い」と以前センターのボッチャ大会の時、言っていた、この子が今後来てくれたらな・・・俺もだが行く場所が無いんだよ!!)
別の足の悪いメンバーも来ているハズなので、来る時間が有ろうが・無かろうが、とりあえずマットは誰もが休める様に用意をしておいた。
(勿論、俺も作業に疲れたら横になる・・・それぐらい自由にしたい!!)
本当は永年勤続表彰式に出ていたメンバーと水が使える第1会議室だから「絵や、絵手紙をやろうか?」(←以前から、いろんなボランティアさん達も、周りの健常者の方々も絵を推奨してはくれていたので)とも話していたのだが、急遽(^_^;)
↓
ゴミ箱に弁当箱を捨てに行く時、事業団の方と話し、
「勤続25周年の人も来るんですよ」との事で、
私が「え?、25年と言ったらセンターがほぼ始まった最初の時からじゃないですか!!」と言ったら、
「ええ、そうなんです」と。
その後、身体障碍が一見元気そうに見えて、急に重症化をする事を話したり、そういう時の職場での対応について(個別のケースで対応をするという合理的配慮)についても話していてた。
(本当は永続表彰が無ければ水道が使えたから絵や絵手紙をやる予定だった・・・)
アレ?机が来た時から汚れている・・・、、
(うちらが汚したと思われたくないから消毒液で拭いたのだが・・・)
消えない・・・
みんなのセンターなのにな・・・
※大体、職員・利用者に限らず、何処の施設(や多分職場でも)「私の施設」(=「私の仕事」=)とやると→大体が後々問題が起こる事に繋がっていく。
コレは若い職員達にずっと伝えていっている事。
『追伸』
午前中『竹芝小記念ホール』の方に、障団連の会長さん?達が来たりして、私も後ろを付いて第1会議室に戻ろうとしたら、
障害者福祉課の課長さんとかも小会議室に来ていたが、例の他の施設での太田区の利用者による暴行隠蔽偽証事件(「防犯カメラ消去・第三者委員が所長のオトモダチで民生委員へ変更」→謎に今年度から民生委員を3年交代にさせられた=障碍の世界は長く観ないと解からないから代えられるとツラいから、なんて事をするのだろう?って・・・
そして障害保健福祉センターの大改修工事で私達は追い出される=)の更なる報復なのか笑顔は観られなかった・・・
(いきなり暴行を受けた被害者なのに・・・この前の区民祭りでも、
昨年2月、雪の近くで10分も80近い高齢の母を立たせたままにした暴行事件があった施設の所長と、母が区民祭りで会ったが、超苦い表情になり、その後2度とうちのブースには来なかった・・・
後日、区の人達と「もう少し大人になってくれたら・・・」と。他の福祉団体や業者・区・利用者もチカラのある者に忖度をし、よそよそしい人も居るし、昨年の区長懇談会では『文書改竄事件(文章を改竄し、最終確認無しで配布をした)』があったり、他の利用者の事を考えずプログラムを潰されそうにされたり、診療情報提供書をお願いベースで全員に出させるとか事件終息後、区民達の動揺が波打っているのに、被害者を生贄にし事件が終息したのに更に終息させる事で又新たに波打たせようとした事で、
身体障碍や知的障碍を負い出そうとするなんて、なんて事をするんだ?と・・・、
行政の残酷さを感じ・福祉の闇の深さを感じた。
区や警察まで騙されたのに=俺はしかるべき場所に行って自分で自分のケアをしようと思っている・医療事故4回、小さいのを入れると9回の実験台にされた件と共に=
暴行を受けた被害者なのに・・・この国は被害者の人権が守られないんだ・・・面白半分に騒ぎ立てやがって・・でも港区の利用者達が10年前後苦しめられた事から解放させられた事は恩返しになったのでは?と・・・
今後20年~30年と働く若者の職員達の為にも爆弾を除けさせる事が出来た事は、きっと、その施設にとって未来で良くなると・・・
西南戦争の西郷隆盛の心境で仕方なく神輿に乗ったのだが、
次から次と闇が浮き彫りになり、
この障害者福祉課の課長が所長や【組織】に忖度をするのではなくキチンと正義の対応をしてくれたら・・
俺がエレベーターの中で真実を伝えた!!んだもの!!
・西南戦争との違いは私達が(いくつかの)警察や、福祉機関、(いくつかの)霞ヶ関の官公庁に出した(2回目の)暴行事件の経緯は一切変わらない事と、2年も私は人生を失ったが、他のボランティアさんの『偶然』のお陰で、
加害者を=今後の若い利用者達・未来で施設に入って来る利用者達の為に=出せた事だ!!
ある又別のボランティアさんの『指令』で調べ上げた事と昔の利用者が警察で調べ上げた事を被害者側・施設側にインタビューをして、重ねると、
・1回目の暴行は利用者が挑発をされ、空手の蹴りを側頭部に受けて倒れた所を頭を狙って上から2発、その時は施設にねじ伏せられたらしいが、
私は絶対に『挑発』には乗らないので、もう2度目の暴行で何故施設の名誉の為に加害者を守るのか?解からなかった・・そんなに障碍者に負ける事が悔しいのか?そんなに
、守る意味があったのだろうか?・・・5年ぐらいの利用者は来ているが10年前後以上の利用者は減ってしまった・・・作業所に行かずとも、施設へ出て来る事が大切だと思うのだが・・・=『何かをしているから偉い』って事は無いと思うんだ、俺みたいに1回の人生を医療事故4回・小さいのを入れると9回で何度も倒れ立ち上がる度に倒れて来たパターンもあるので→そして又、隠蔽なのに区や保健所は動かない=そしてセンターの大改修で居場所が変わってしまう・・・それ自体が暴行事件隠蔽の報復だとしたら・・・場所を変えれば絶対に事故が起こる・ここで動かない利用者はいい、でも他の利用者達は絶対事故に遭ってしまう・・命を落とす、真夏、真冬、ツラい中を移動したり、いつもと違う所へ行けば事件も勃発する可能性もある→その哀しみの連鎖は、変えたら二度と戻らないんだ!! 陸奥宗光の「政治はサイエンスではない!」という言葉がここ数ヶ月何度もよぎっている。
・障碍の世界に何十年もずっと接してきたある方は言った「言葉は悪いけれど、普通の人が普通の感覚で考えるからダメなんだよ」と、
・更に別の高齢の方は「障碍の世界は急な変化への対応が大変だ」と・・・
今 本当にソレをシミジミ感じている・・・。この課長さんや区長さんにはこの感覚が解かるのだろうか?、若い現場に近い職員達の方が肌で私達の苦悩を感じ、まだ理解をしている様な感じもする・・・先日の区長懇談会では謎に「障団連しか質問出来ない」という偽の噂が流れ質問出来なかったが、数ヶ月前から知っていた人も居ながらも、突然知らされた私達の苦悩も聞いてくれよ・・・何の為に頑張ってきたのか・・・あんな暴行事件の隠蔽の為に、港区の何十年も培ってきた障碍者福祉は潰されるのか?
・ある詳しい人は「港区が大田区に逆らえなかった」と言い、大田区のある人は「(役人の上司)が『港区に負けるな!』と言っている」って・・・どんな馬鹿な判断だよ・・・あの時、正義を貫かなかったら、今後も3度目・4度目の暴行事件が起き、更にそのストレスが世の中へ繋がり、世の人々の不信感が募るだけだろう・・・隠せば隠すほど大きくなっていくのは何処の業界でも同じだ。本当に移転させられ、俺達は行き場を失うのか???・・・)
この課長さんとは生涯2度と相容れないだろう・・・区議会議員さん達や衆議院議員さんの秘書も騙された訳だし。
世の中には『忖度』ってモノがあるから・・・
こんな身体を壊され続け、殴られ続けた、人生だし、
最後の最期頑張ってきた事を壊されるなら、
『行政訴訟』しかないのだろうか。




