希望が観えた初めての障碍者スポーツ体験会。 | IGS-report

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令和4年3月12日 東京都港区スポーツセンターで障碍者スポーツの体験会が行われた。

(喜び勇んでほぼ1番に行ってしまった)

「体験種目」は、、、

車椅子バスケ

ゴールボール

車椅子ラグビーの銅メダリスト「若山英史」選手のトークショー

ユニバーサルデザインのキッチングッズコーナー

手話サークル「麦の会」による手話レクチャーや手話普及の冊子配布

家でも軽度障碍者の方や子供でも出来るスポーツ遊びコーナー

目をつぶったり目隠しをしての視覚障碍者向けの白杖や車椅子の体験コーナー

が、体育館を広く使って10時~16時までタップリと体験を出来るという内容だった。

 

井上雅彦氏が描く漫画「リアル」もだが、やはり昨年のパラリンピックで熱く燃えた「車椅子バスケ」が『先ずは』気になるところ・・・

(「鳥海連志」選手カッコ良かったよなー体幹のバランスみたいなのが凄いというか、それが画面を通して伝わってきた)・・・

なんでも車椅子バスケのゴールの高さは、健常者のゴールの高さと一緒という事を今回初めて知り、驚かされた!!

 

実際、体験用の競技用車椅子に乗ってみると「足が巻き込まれない様に」踏み台や前にバンパーがあったり、周囲にカート・マシンの様に衝撃から身体を守る構造に。

(F1ではないが「技術」の結晶だな・・・)

 

座ってこいでみる所から練習で車輪に連なる手摺りの上をもって進むのは知っているが、

実は90度=3時の方向まで全身(主に上半身)を使って「漕ぐ」この字を使うのね)と推進力が増し、速度が出るという!!(知らなかった!!)

 

ボールを膝の上に置いて推進するのだが、2漕ぎしたら、1回ボールをバウンドさせないとトラベリングになってしまうとの事、(しかも試合をしながら行うのだものな)、これはアタマ使う・・・

 

ゴール下まで来ると・・・

 

うわー、遠くに観えていたよりもデカイなー、こんなにゴールポストが迫ってくるように観えるとは・・・、学生時代に観た事があるゴール下の景色とは違う遠さがあり、大体ボールが届くかなー。

 

とりあえず「スラムダンク」で学んだ『庶民のシュート』を・・・

ダメだ、届かない!!

 

「レイアップ」も教わったのだが、それでも入らなく、これは難しいわ・・・(運動音痴な私は『子供用』の高さでも届かなかった・・・)

 

午後になると、多くの人や特に子供達は吸収力が早く、ゴールを決める人々が現れ出していて、午前中にやっておいてよかったーって。

(大体、車椅子ではない状態でも私の場合は入らないので・・・)

 ただインストラクターの方と話していて「実際にこういう激しいスポーツを出来るのは、障碍の程度がそんなに重くない方が出来る方で、当然もっと重症な方とかは・・・」という言葉に真実を観た気がした。

華やかな部分だけが画面に映るが、選手達の練習部分やご家族や周囲の方々の協力も含め、その映らない部分にも私達の眼差しの光を当てて欲しいと、学ぶ事があった。

 

次はゴールボール体験なのだが、目隠しをした状態で、

 

の入ったやや重いボールを投げる。 耳と方向感覚・手触りだけが頼りで、

 

キーパーは、線の上に貼られたテープの感触を目印にプロテクターカップを着け寝転んで自らが壁となりゴールを守る。

(体験会だから当然そこまではやらないが・・・)

 

コート内では選手達は声を出してはならず周りのコーチ陣の声を頼りに、分割をされたゴール番号をイメージの中で思い浮かべ、攻守にボールを投げ合うのだが、今回はコーンを倒す事へ挑戦

何回か投げて当ったが、やはり子供達の方が吸収力が早いのか(目隠しをしているのに)結構当てていてインストラクターさん達と共に驚かされた。

なんで当たるのよ?・・・

 

車椅子ラグビー若山英史さんのトークショーは、訊き手の相原希美さんの軽快な進行で、とにかく明るく心地良い『展開』をしていっているなーって。

ラグビーとはいえ、ボールはバレーボールを基に作られているという、カナダ発祥の車椅子ラグビーとの事・・・

 

車椅子バスケとは又違う車体の構造になっており、画面の映像とかではプロ同士なので凄い勢いで吹っ飛ぶが、偶々、1/3の力で若山選手のタックルを車椅子ラグビー用の車体に乗って体験をする機会に恵まれた為、(ビビりなのであくまでも1/3ぐらいの力で)ぶつかって頂くと、大きい音のワリには、衝撃やダメージもほぼ無くアレ?、なんか気持良い!!

ストレスがスカーンっと飛んでいく感じだった!!!

なんだ?この『未知の感覚???』、凄く不思議な感覚だった!(これはいいわ)

最後に銅メダルも触らせて頂いたが、これが重いのなんのって。

文鎮とか硯(すずり)を持った時の様な、習字で例えるのもなんだが、観た目とのギャップの差を感じる。

確かにそれだけの『厚み』もあるのだけれど・・・、それにしても画面で観るのとは明らかに違う・・・!!!

これがメダルの(実際の)重み、か・・・。

 

勿論、勝ち負けやメダルだけが目的ではないのだろうけれど・・・、大切な事だからもう一度書くが、

昔のF1のタイヤ交換とかを行なうピットクルーではないが、上記でも書いた様に、

華やかな部分だけが画面に映って私達には観えるけれど、日々の選手達の練習部分やご家族や周囲の方々の協力も含め、その映らない部分にも私達の眼差しの「光」を当てて観ていきたいと改めて学ぶ事があった。

 

目に映らない部分を想像する、又は出来るか?って事は別に障碍者や障碍者スポーツに限った事だけでは無く、店員さんやタクシーの運転手さん、厨房の奥で観えない方々とかetc・・・、そこまで想像出来るか?どうか?業種職種を問わず、とても大切なものの観方だと思う。

 

最後に、もう一度・・・

「実際にこういう激しいスポーツを出来るのは、障碍の程度がそんなに重くない方が出来るので、当然、もっと重症な方とかは・・・」という言葉を胸に刻んで、どこまで世の中の人々や、行政が目に映らない部分までも想像をして実際に行動に移していけるか、

業種・職種を問わず、そこに未来へや・人類の無限の可能性へのヒントがあるのではないかと考えさせられた。

 

東京ガスに居る昔はヤンチャだったけれど絶対に弱い者イジメをしなかった幼馴染はどうしているだろう?

子供の頃からの影響で(ま、喧嘩とかゲームのやり過ぎもあるのだが)、後天的に視覚障碍が出てから『心中』の整理が大変だったみたいだからな、

願わくば、(あの頃より)更なるポテンシャルを上げ、パラスポーツの選手達みたいに、何か希望や幸せに向かっていって、いつか又チョイワルでオモシロイ道へ皆を引っ張っていって楽しい世の中や人類の未来を作っていって欲しい。

いや以前よりは(新たに障碍を負った分)、「当然」POWERは落ちているかもしれないが、きっとホンの少しはそうしているだろう。

F1のミハエル・シューマッハが「世界は急には変わらない」と言ったが、彼が言うその言葉には、少しづつでも1歩づつでも、世界は必ず変わるという希望が込められている言葉に感じられた事がある。

(だから彼がスキーの事故で寝たきりになってしまった時は、当然、会った事が無い凄い人だけれど、彼の分まで頑張ろうとも思えた!!)

1歩1歩1歩が進めなければ半歩づつでも、何かしら前へ(ここではなく、もしかしたら目にも映らない)ゴールへ向かって(休憩を入れながらでも)、ユックリと。

因みに障碍の「がい」の表記は「碍」の文字を本当は使います。

本来(『石偏』の)石があって、進めない当人が困っているという意味であったものが、

戦後(害虫とかに使う)「害」の文字にされてしまい、その人によって周りが害を被って困っているという意味にされてしまったという。

(「害」の文字をずっと見続けていると悪いイメージが深層心理に根付いてしまう!!ともいう)

だから本来は石があって前へ進めなくて当人が困っているという意味で『碍』という文字を使うのです。

 

 最近やっと先進的な地域や、知識・教養・熱さや正しい想いがある人々は碍の文字を使う事が増えてきたというが・・・揚げ足を取ろうとする人は「害という字を使わない事は『逆に』意識をしている」と言い、害虫の害をイメージ付けさせようと騒ぐ人も居る為、障碍を「がい」とくずして平仮名表記にする場合もあるが、それなら『碍』でいいはず。。。

 

 私もこの事実を知ってから、障がいの「がい」は、「碍」にしていこうと思う。