浮遊家具 -4ページ目

浮遊家具

映画 大好き また 始めたいと思います。黄斑変性、SLE、双極性障害で仕事ができなくなり、一人、家の中にいる自分、置き場所のない浮遊して漂う家具よう。ただ、時間だけが進んだ、治癒は進み現在に至る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ

明治42年。霧がかかると怪獣が現れ、村人を襲うと伝わる村に帰ってきた栄二は、目の見えない少女・多紀理と出会う。ある晩、栄二は巨大な怪獣・天乃狭霧(ネブラ)と心を交わす多紀理の姿を目撃。村人たちは彼女を怪獣のいけにえにささげようとするが…。






製作国・地域:日本上映時間:35分


監督

佐藤大介

脚本

佐藤大介

出演者

井上優

金森朱音

石本径代

長尾奈奈






つぶやき

この物語の主人公は、少年の 栄二。彼は山に囲まれた故郷の町に帰郷し、そこで盲目の少女 多紀理 と出会う。その出会いが、湖に棲む巨大な怪物 天乃狭霧(ネブラ) — かつては“言い伝え”の存在だったもの — を、ただの噂ではなく、現実のものとして彼らにもたらす。多紀理が怪物と“共にあった”夜を栄二が目撃するシーンは、この映画における歪んだ現実の入り口だ。

この映画の映像体験は、その歪みに身を任せるような感覚を伴う。着ぐるみとミニチュア、人形劇風の佇まいという旧来の特撮技術が選ばれたのは、ただ懐古趣味ではない。リアルなCGでなく手作りの造形だからこそ出せる、どこか湿り気を含んだ質感や、不完全さ――それが「現実」と「異界」のあわいを曖昧にする。見る者は怪物を完全に拒絶もできず、かといって安心もできない不安定な立ち位置に置かれる。

物語の進みは断片的だ。時間も尺も長くはない。その短さは、“事件の大きさ”よりも“瞬間の重み”を優先させる狙いのように思える。湖と山、霧に包まれた夜の深さ。怪物の眼差し、多紀理の目の見えなさ、栄二の問い。これらが交差したとき、物語は“こうあるべき”答えを提示せず、むしろ問いを突きつける。誰かを“救世主”として据えるのではなく、観る者それぞれにその夜の恐怖と共感とを見つめさせる。

結末は救済という形ではなく、ただ“静かな余白”のままだ。怪物は消えたのか。それとも、霧の奥深くに潜み続けているのか。それははっきりしない。でも、そのあいまいさこそが、この作品の強さだと思う。答えがないからこそ、見る者の心に問いが残る。あの夜、多紀理と天乃狭霧が交わしたものは愛か、憐れみか、それとも――。

『狭霧の國』は、“怪獣映画”という言葉だけでは語りきれない、むしろ “人と怪物、その間にあるもの” を描く、儚くて重い短編だ。特撮の手触り、人形の温度、そして静謐な恐怖。もしあなたが――怪獣というものを“敵”ではなく“他者”として見つめ直すなら、この映画はきっと心に残る。