あらすじ
悪魔の心臓を持つ「チェンソーマン」となり、公安対魔特異4課に所属するデビルハンターの少年・デンジ(戸谷菊之介)。
憧れのマキマ(楠木ともり)とのデートで浮かれている中、急な雨に見舞われ、
雨宿りしていると偶然“レゼ”(上田麗奈)という少女と出会った。
近所のカフェで働いているという彼女はデンジに優しく微笑み、二人は急速に親密に。
この出会いを境に、デンジの日常は変わり始めていく……
上映日:2025年09月19日製作国・地域:日本上映時間:100分
監督
𠮷原達矢
脚本
瀬古浩司
原作
藤本タツキ
主題歌/挿入歌
米津玄師
宇多田ヒカル
マキシマム ザ ホルモン
出演者
デンジ 戸谷菊之介
ポチタ 井澤詩織
マキマ 楠木ともり
早川アキ 坂田将吾
パワー ファイルーズあい
東山コベニ 高橋花林
ビーム 花江夏樹
暴力の魔人 内田夕夜
天使の悪魔 内田真礼
岸辺 津田健次郎
副隊長 高橋英則
野茂 赤羽根健治
謎の男 乃村健次
台風の悪魔 喜多村英梨
レゼ 上田麗奈
デンジが欲しかったものは、そんなに大きくない。
好きな女の子と話したい。
一緒に笑って、少しだけ普通の青春をしてみたい。
『劇場版 チェンソーマン レゼ篇』は、そのささやかな願いを、とんでもない速度と火力で吹き飛ばしていく。
悪魔の心臓を持つ少年デンジは、公安のデビルハンターとして悪魔を狩っている。
チェンソーを頭と両腕から生やし、血まみれになりながら化け物と殺し合う。
それが彼の日常だ。
そんなデンジが雨宿りの途中で出会うのが、カフェで働く少女レゼだった。
よく笑う。
距離が近い。
デンジをからかう。
そして彼がほとんど経験してこなかった、ごく普通の時間をくれる。
ここで映画は急がない。
二人が話す。
街を歩く。
夜を過ごす。
何でもないやり取りの中で、デンジの顔が少しずつ少年へ戻っていく。
この時間がいい。
『チェンソーマン』という作品では、デンジの欲望はいつも露骨だ。
女の子に触りたい。
うまいものを食いたい。
楽をしたい。
だから一見すると、ものすごく単純な人間に見える。
けれどレゼと一緒にいるデンジを見ていると、その欲望の奥にあったものが少し違って見えてくる。
彼が本当に知らなかったのは、恋愛だけではない。
学校へ行くこと。
誰かと遊ぶこと。
くだらない話をすること。
明日の予定を考えること。
ほかの少年なら特別だとも思わず通り過ぎる時間を、デンジはほとんど持っていない。
だからレゼとの時間には、初恋とは少し違う切なさがある。
デンジは女の子に恋をしている。
同時に、自分が生きられなかった人生にも恋をしている。
ここでレゼという存在が効いてくる。
上田麗奈の声には、近づいたと思った瞬間に少し遠くなる感触がある。
無邪気に笑う。
急に静かになる。
甘い声の奥へ、ほんのわずかに別の温度が混じる。
そのため彼女と過ごす時間は楽しいのに、どこか落ち着かない。
この幸福には何かがある。
映画はそれを観客に感じさせながら、それでも二人を見ていたくなる時間を作る。
そして、その時間を破壊するように『チェンソーマン』が帰ってくる。
血。
肉。
轟音。
チェンソー。
爆発。
ここからのアクションは、それまでの静かな時間を忘れたかのように暴れ始める。
𠮷原達矢監督の演出は、チェンソーマンという存在の馬鹿馬鹿しいほどの勢いを抑えない。
走る。
飛ぶ。
落ちる。
切り裂く。
吹き飛ぶ。
画面の中で物体が猛烈な速度で動き、それにカメラまで巻き込まれていく。
それでも単なる派手なアクションにはならない。
なぜなら、その直前まで映画が丁寧に作っていたものを知っているからだ。
雨宿り。
カフェ。
夜の街。
二人だけの時間。
あれほど小さかった世界と、目の前で起きている巨大な破壊が同じ映画の中にある。
この落差が『レゼ篇』の強さだ。
爆発が大きくなるほど、その前にあった静かな時間が愛おしくなる。
そしてチェンソーマンとレゼを取り巻く戦いが激しくなるほど、これは本当に「敵と味方」の話なのか分からなくなってくる。
デンジは公安にいる。
悪魔を殺す。
命令されれば戦う。
けれど彼は、自分がいる場所を自分で選んできたわけではない。
腹を空かせ、借金を背負い、生き延びるために殺し、気がつけば今の場所にいた。
そこにレゼが現れる。
すると初めて、デンジの前に「別の人生」がちらつく。
ここにいていいのか。
ほかの場所へ行けるのか。
誰かと一緒なら違う人生を選べるのか。
それまで「今日何を食べるか」くらいだった少年の欲望に、初めて未来が入り込んでくる。
だからこの映画の恋は危険なのだ。
誰かを好きになることは、それまでの自分では想像できなかった人生を見せられることでもある。
知らなければ欲しくならなかった。
見なければ、今いる場所だけが世界だった。
レゼはデンジに、別の可能性を見せてしまう。
そして映画は、その可能性が本物なのかどうかを簡単には教えてくれない。
嘘がある。
秘密がある。
互いに見せていない顔がある。
けれど、だからといって二人の間にあった時間まで全部嘘になるのか。
そこを『レゼ篇』は乱暴に割り切らない。
人は嘘をつきながら、本当のことを言うことがある。
誰かを利用しながら、その人に惹かれてしまうこともある。
敵であることと、好きになることさえ、同時に存在してしまう。
藤本タツキの物語には、そういう感情の汚さと純粋さが妙に近い場所にある。
米津玄師の「IRIS OUT」と、米津玄師と宇多田ヒカルによる「JANE DOE」も、その二つの温度を受け取っている。
前へ突っ込んでいく衝動と、そのあとに残るもの。
牛尾憲輔の劇伴を含め、音楽が戦闘を盛り上げるためだけではなく、デンジとレゼの間にあった時間の輪郭を残していく。
だから映画を観終えたあと、不思議なことが起こる。
あれだけ派手にチェンソーが唸り、悪魔が暴れ、街が破壊されたのに、思い出すのは爆発だけではない。
雨だったりする。
カフェだったりする。
誰かを待っている時間だったりする。
最初、デンジが欲しかったものは小さなものに見えた。
好きな女の子と話したい。
一緒に笑いたい。
普通の青春をしてみたい。
けれど、それを一度も与えられなかった少年にとって、「普通」は決して小さな願いではなかったのだ。
チェンソーなら、どんなものでも切り裂ける。
爆弾なら、どんな景色でも吹き飛ばせる。
それでも、あの雨の日に始まったものだけは、きれいには消えてくれない。
