浮遊家具

浮遊家具

映画 大好き また 始めたいと思います。黄斑変性、SLE、双極性障害で仕事ができなくなり、一人、家の中にいる自分、置き場所のない浮遊して漂う家具よう。ただ、時間だけが進んだ、治癒は進み現在に至る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ

舞台は、第二次世界大戦下のドイツ。心優しい10歳の少年ジョジョ(ローマン・グリフィン・デイビス)は、空想上の友だちのアドルフ・ヒトラー(タイカ・ワイティティ)の助けを借りながら、青少年集団ヒトラーユーゲントで立派な兵士になろうと奮闘していた。
しかし、ジョジョは訓練でウサギを殺すことができず、教官から”ジョジョ・ラビット”という不名誉なあだ名をつけられ、仲間たちからもからかわれてしまう。
そんなある日、母親(スカーレット・ヨハンソン)とふたりで暮らしていたジョジョは、家の片隅に隠された小さな部屋で、ユダヤ人の少女(トーマサイン・マッケンジー)がこっそりと匿われていることに気付く。ジョジョの頼りとなるのは、ちょっぴり皮肉屋で口うるさいアドルフだけ…。臆病なジョジョの生活は一体どうなってしまうのか!?






製作国・地域:アメリカドイツ上映時間:109分


監督

タイカ・ワイティティ

脚本

タイカ・ワイティティ

出演者

ローマン・グリフィン・デイビス

タイカ・ワイティティ

スカーレット・ヨハンソン

トーマシン・マッケンジー

サム・ロックウェル

レベル・ウィルソン

アルフィー・アレン






つぶやき

物語は第二次世界大戦下のドイツ。ナチスに心酔する少年ジョジョの“心の友達”として登場するのが、なんとヒトラー。しかも演じるのは監督自身のタイカ・ワイティティ。設定だけ聞くと完全にブラックコメディですが、映画は最初から最後まで「笑わせるために歴史を軽く扱う」方向には行きません。むしろ、子どもの未熟な視点だからこそ生まれる歪みや滑稽さを通して、イデオロギーの恐ろしさを浮かび上がらせていきます。

前半はかなりポップです。キャンプでの訓練や大人たちの振る舞いは、どこかカートゥーン的で、ジョジョの目に映る世界そのものが「ごっこ遊び」の延長に見える。ヒトラーも威厳ある独裁者ではなく、承認欲求の塊のような存在として描かれます。この時点では、観客もジョジョと同じ位置に立ち、「変な世界だな」と笑ってしまう。しかし、その笑いは常に不安定で、どこか居心地が悪い。ここがこの映画の重要なポイントで、タイカ・ワイティティは観客に「安全な場所から笑うこと」を許していません。

物語が大きく動くのは、ジョジョが家の屋根裏でユダヤ人の少女エルサを見つけてからです。彼女の存在によって、ジョジョの世界は一気に現実味を帯びます。今まで“敵”として教え込まれてきた存在が、目の前で息をし、怒り、冗談を言い、恐怖を抱えている。その事実に直面したとき、ジョジョの信じてきた価値観は少しずつ崩れていきます。この過程が非常に丁寧で、説教臭くならないのが本作の美点です。

スカーレット・ヨハンソン演じる母親ロージーの存在も忘れられません。明るく、少し風変わりで、しかしどこか常に不安を抱えている彼女は、戦時下を生きる“大人の矛盾”そのものです。彼女は言葉でナチスを否定することはほとんどありませんが、その行動や態度、ちょっとした一言が、ジョジョにとっての「もう一つの教育」になっている。だからこそ、ある場面で訪れる出来事はあまりにも静かで、あまりにも残酷で、観ている側の心を一気に現実へ引き戻します。

後半になるにつれて、映画のトーンは確実に変わります。カラフルだった世界は徐々に色を失い、ヒトラーの姿も変質していく。ここで描かれるのは、「憎しみは教え込まれたものだが、そこから抜け出すには痛みが伴う」という非常にシンプルで、しかし重い真実です。ジョジョが何を選び、何を失い、何を手放すのか。その一つひとつが、子どもの成長物語であると同時に、私たち大人への問いかけにもなっています。

ラストに流れる音楽と、あのダンスのシーンは、多くの解釈を許す余白を残しています。完全なカタルシスではありません。悲しみも後悔も、歴史の重さも消えない。それでも「それでも踊る」という選択が、せめて未来への小さな希望として提示されているように感じました。

『ジョジョ・ラビット』は、戦争映画でも、単なるコメディでもありません。「無邪気さが暴力と結びついたとき、何が起こるのか」を、子どもの目線から描いた寓話です。笑ってしまった自分を少し恥じながら、それでも最後まで目を逸らさずに観る価値のある一本だと思います。
観終わったあと、世界を単純に善悪で分けていないか、自分の中の“見えないヒトラー”はどこにいるのか、静かに考えさせられる映画でした。