『裏表太閤記』の中のお芝居ではございませんが『小栗栖の長兵衛』と云う
山崎の合戦に所縁のお芝居がございます。

2014年9月のおもだかや一門襲名披露の巡業公演で
中車さんが『小栗栖の長兵衛』を勤められました。


明智光秀を小栗栖村で討ったのがこの村の暴れ者の長兵衛で
その日が天正10年6月14日。

羽柴秀吉と明智光秀の山崎の合戦が6月13日で、その次の日のお話です。

そして『小栗栖の忠兵衛』のお芝居の天正10年6月14日の同じ日に
琵琶湖ではある出来事が起こっております。


明智光秀の弟に、明智左馬之助光春(名前は諸説あるみたいです)と云う人がおります。

この山崎の合戦の時に兄、光秀に命ぜられ、信長の居城 安土城を攻めておりましたが、
小栗栖での光秀の死を耳にして急ぎ居城 坂本城へ引き返します。

が、途中、秀吉軍に迫られ琵琶湖の打出の浜の地より坂本まで 
馬で湖に入り湖水を坂本まで渡って参ります。

愛馬である大鹿毛は湖から上がると息絶えたそうです。


歌舞伎の演目にも、この『明智左馬之助の湖水渡り』と云う御芝居がございます。

1981年(昭和56年)4月での通し狂言『千成瓢猿顔見勢(裏表太閤記)』
を上演致しました折に、猿翁旦那がこの「明智左馬之助」を弟から架空の妹に置き換えられ 
「お通」と云う女形で湖水渡りの場面を上演致しました。 


ですが歴史では残念ながら坂本城に着いた時にはすでに秀吉軍に囲まれ
光秀の妻と共に明智左馬之助光春もあえない最期を遂げてしまいます。


『小栗栖の長兵衛』と同じ日に起こったもう一つの出来事。

 

上で貼ってありますリンクの記事では、琵琶湖畔の滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール

ちょうどその隣に湖水渡りの碑を見つけました。

もう10年も前なのですね。



この湖水渡りの場面、果たして今回『裏表太閤記』で上演されるでしょうか?

乞うご期待!