今日は京都から通いで 大津の公演でした。

滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール

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びわ湖ホールと云うだけございまして、この会館の裏は琵琶湖の絶景!

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日本一大きな湖ですが、実はこの湖 多くの川が流れ込んでおりますし、
唯一流れ出ている瀬田川から名を変えて宇治川淀川へと 湖を接して繋がっている為に 
琵琶湖自体も 河川法では 『一級河川琵琶湖』と云う 大きな川の前提(認識?)
になっております。


と、先日のテレビで紹介されておりまして 私もびっくり致しました(笑)


先日の伯備線の横を流れている川が途中の矢田峠の分水嶺によって 
上流下流が逆になっている事をご紹介致しましたが、

意味としては ちょっと(かなり?)違って参りますが、分水嶺のようなものが 
滋賀県ではこの琵琶湖なのですね(笑)

日本の地理も 色々と調べたりすると 面白いものです。



そしてここ 大津のびわ湖にもうひとつ エピソードがございます。

それは、今月の『小栗栖の長兵衛』に深くかかわって参ります。



びわ湖のホールの横に 今は休館中ですが琵琶湖文化館と云う目を引く建物がございます。

この建物の前に ちょいと見えにくいのですが こう云う碑がございます。

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明智左馬之助、湖水渡りの場所。



『小栗栖の長兵衛』の舞台となる日が天正10年6月14日。

羽柴秀吉と明智光秀の山崎の合戦が6月13日で、その次の日のお話です。

長兵衛の父 長九郎(寿猿)さんが幕開きで、女房の墓参り(昨日は13日)の事を
台詞で申しておりますね。


そしてまさに私たちがお芝居の中で暮らしている その日 天正10年6月14日。
ここ琵琶湖である出来事が起こっております。



明智光秀の弟に、明智左馬之助光春(名前は諸説あるみたいです)と云う人がおります。

この山崎の合戦の時に 兄、光秀に命ぜられ、信長の居城 安土城を攻めておりましたが、
光秀の死を耳にして 急ぎ居城 坂本城へ 引き返しますが、
途中、この打出の浜の地より坂本まで 湖に入り ここを渡って参ります。
  

歌舞伎の演目にも、この『明智左馬之助の湖水渡り』と云う御芝居がございます。


6月の巡業公演でも御馴染の『太閤三番叟』

これはもともと  1981年(昭和56年)4月、明治座での通し狂言で
『千成瓢猿顔見勢(裏表太閤記)』の切狂言 として創作されたものである事は
確か以前にかかせて頂きました。


その『千成瓢猿顔見勢(裏表太閤記)』を上演致しました折に、
猿翁旦那が この「明智左馬之助」を 弟から妹に置き換えられ 
「お通」と云う妹 女形で湖水渡りの場面を 上演した事がございました。 


まさに 「おおっ!!」 でしょ? (笑) 
おおつ を おおっ!は ちょいと苦しいかな?(笑)


おおっ!!! 

と云った所で もう一度話を戻します。

先の碑にもございました、この湖水渡りの日がまさに『小栗栖の長兵衛』の舞台の当日。
私たちが 舞台であのドタバタ??をしている まさにその日に、ここ大津では、湖水渡りが行われておりました。


面白い因縁ではありませんか?



ですが この後に残念ながら坂本城は秀吉軍に囲まれ 
光秀の妻と共に左馬之助光春も あえない最期を遂げてしまいます。


同じ日に起こった二つの出来事。

この平成の世に、その一方の場所のすぐ近くで 私たちがこのお芝居を
していると云うのも「おおっ」とくる「おつ」なものですね。


さて、今日のお芝居をご覧になった方の 一体何人がこの碑に気付かれたでしょうか?