「記憶に残るお芝居」も今日で7回目ですが、今回のは演目はひとつですが、
年を跨いでの2作品となります。それも10年越しです。

歌舞伎座で2004年と2014年の7月に上演されました『修禅寺物語』

2004年に上演された時、私は金窪兵衛行親のお役でした。
夜叉王は歌六さん 源頼家は門之助さん 姉娘桂(若狭の局)は笑三郎さんでした。

玉三郎さんの演出で前月の6月中日劇場の『西太后』の時の1回公演の時より
お稽古が開始され玉三郎さんがわざわざ東京から監修に見えて下さいました。

お稽古が始まりひと通り見終わってから玉三郎さんは演出の廣田先生にひと言、
「このお芝居、温泉地ののどかな1日では困るのよ。」・・・と、
所謂、全員に緊迫感が足りないと指摘されました。

この一言でみんなが俄然緊張した空気になったのがわかりました。

夜叉王は幾たび打っても気に入る面(おもて)ができない、頼家はいつ暗殺されるかわからない、
桂は身分に憧れ頼家の元に行くが頼家の身代わりとなって息絶える・・・。


1日であっても目まぐるしく変わる各自の状況、的確なご指摘に「なるほど!」と
大いに納得したご指導でした。

私は門之助さんの頼家の命を狙う北条の家来、舞台で門之助さんと
丁々発止と言い合う台詞は本当に勉強になりました。

そしてありがたい事にこの年の日本俳優協会賞の大賞を
この金窪兵衛を含む四役のご評価で受賞いたしました。

これは私の宝物ですね(笑)


そして10年後の7月再び中車さんの夜叉王でこの『修禅寺物語』が上演され
この時は私、なんと下田五郎景安のお役を仰せつかりました。

源頼家は喜多村緑郎(当時、月乃助)さん 桂は同じく笑三郎さんでした。

何がびっくりしたかって・・・本来なら若手の方が抜擢されて勤められるお役、
私この時、還暦越えの年齢でした(笑)

下田五郎景安の設定年齢は17歳。 

会社からお達しを頂いた時 さすがに私もわが耳を疑いました(笑)

色んな方がこの下田五郎景安のお役を勤められるときの実年齢、
おそらくですがこの時の私が後にも先にも歌舞伎界で最高齢だと思います(笑)

金窪兵衛の家来8人との立ち回りは本当に息が切れました(笑)

でもこの下田五郎のお役は金窪兵衛と共にとても記念となり
10年越しのこの二役は私の思い出のアルバムにしっかり残っております。

もう17歳のお役は回ってこないだろうな~(笑)

きちんと調べておりませんが、金窪兵衛と下田五郎のお役を両方勤める事は

珍しいのではないかと思います。

 

それも、あったとしても先に金窪をして後から下田というのは ないのでは??

我がことながら、貴重な不思議な体験をさせて頂いたなと思います。

懐かしいひとつの演目『修禅寺物語』のふたつのお役でした。