「記憶に残るお芝居」の6回目は歌舞伎ではありませんが、おもだかや一門に
深くかかわりのある藤間紫先生主演の『西太后』です。

音楽はもちろんフォーク・クルセダーズの加藤和彦さん(笑)
実は3月の『新・三国志』にもこの曲の一部が使われておりました。

お気づきになれた方はおられましたか??

同じく中国風の曲でしたので、全く違和感なく聞いておられた方もおられたでしょうね。


初演は1995年9月の新橋演舞場で、段四郎さん 歌六さん 團蔵さん他の
歌舞伎の方たちと風間杜夫さん 村井国夫さん 篠井英介さん 金田賢一さん
こだま愛さん 二宮ゆき子さんと云った不思議なメンバーでのお芝居でした(笑)

私は初演のこの時は出演しておりませんでした。

私たち二十一世紀歌舞伎組の面々は、渋谷のパルコ劇場で『雪之丞変化2001』を

上演しておりましたので、ほとんど関わっておりません

 



1997年の再演の時に恭親王殿下(村井国夫さん)の息子の最張のお役で初出演しました。
同治帝(篠井英介さん)を安売春宿に誘い病気を移らせてしまい 死に至らしめると云う人物。

そして2003年11月博多座公演では猿翁旦那が恭親王殿下を勤められ
重要なお役のほとんどはおもだかや一門で占めさせて頂いた公演で
私は宦官の安徳海と将軍の袁世凱を勤めさせて頂きました。

紫先生のライフワークとも云える公演で全部で6回上演されております。

10代の蘭からのし上がって東太后と並び西太后と称され、最後は清国を
動かすまでの権力者になって行く様子を描いておりました。


はじめのお役は最張でしたが、これはあまり出番的には多くなく
安徳海、袁世凱を勤めさせて頂いた再再演の時はこのお役は
なくなってしまいました(笑)

安徳海はそれまで笠原章さんが勤めておられましたが、男性的な
笠原さんとはまったく違う役造りをさせて頂きました。

笑也さん扮する同じく宦官の李蓮英と角突き合わせる場面は
自分でも面白いんではなかったかと自負しております(笑)

ですが結局、安徳海は李蓮英の策略に嵌められて殺されてしまいます(笑)


スーパー歌舞伎の『新・三国志』の様な派手さもなく清国の史実を
淡々と描いた作品ですが紫先生の存在感は圧倒的でした。

映画などでは悪女と呼ばれている西太后ですが、このお芝居では
政治を操る軍人たちの男性と知略をもって戦います。

ですが我が子の同治帝を病で失ったり、悩みに悩んでも清国を動かして行かなけらばならない
強烈な女性像を描いておられました。

まさに紫先生の生き様とダブるような『西太后』のお芝居でした。



そして博多座の公演の中日頃、猿翁旦那が病に倒れられた因縁の作品でもあります。
花道から猿翁旦那と一緒に登場した際、台詞があきらかに呂律がまわっておられなく
え? と心配した記憶がございます。

そして加藤さんが連絡して下さり同じくフォーク・クルセダーズの
北山修さんが教授として在籍されておられた九州大学病院に
即座に入院となってしまいました。

その後の猿翁旦那の経過はみな様のご存じの通りですが、この時より
もう少し早くだれかが旦那の体の異常に気がついていれば・・・と、
悔やまれて仕方ありません


どうしても、少し悲しい記憶と共に思い出されてしまう作品であるのは残念です。
ですが藤間紫先生の『西太后』はとてもいいお芝居です。
この博多座の公演の後も紫先生とおもだかや一門で中日劇場と
新橋演舞場とでさらに再演されました。


このお芝居は紫先生のために書かれた脚本ですので先生亡き後は
再演される事がないでしょう。

そう云った意味ではもったいない作品ですね。
でも、先生と共に語り継がれる作品であり続けてほしいです。