1日お休みを頂きました私の「記憶に残るお芝居」第5回目の作品は『元禄港歌』です。



これは2016年1月渋谷のシアターコクーン 2月大阪シアターBURAVA
で上演されました。

前月の12月にひと月のお稽古が始まりました

この時、私は初めて蜷川幸雄先生演出のお芝居に出させて頂きましたが、
お芝居そのものは1999年3月に明治座公演の時に見せて頂いた事がありました。

平幹二郎さん 富司純子さん 藤間紫先生 金田龍之介さん 他の面々で
お話、蜷川先生の演出 美空ひばりさんの歌と曲に合わせての物語は
泣かずにはいられませんでした。


その作品に猿之助さんが私を出演させて下さったのです。

一応、猿之助さんのご一門以外は、猿弥さんと弘太郎(青虎)さんと私だけ。

これは本当にうれしかったです。

あの感動した舞台に 私も立つことができる。

しかも、猿之助さんの主演で。

初めてのお稽古場では緊張しましたね。
お願いだから私に灰皿が飛んできませんように・・・って(笑)

 

 

今だからかける事なのですが・・・

お稽古が始まりまして瞽女(ごぜ)に扮する女優さんたちの三味線が
あまりにうますぎて哀愁を漂わす瞽女に見えない・・・、と
蜷川先生のお気に入らず 試しに歌舞伎の人たちにやってもらおうか?
みたいな雰囲気に・・・。  

 

え~?
嘘やん、いや、無理やん、うそぉ

私、常磐津の三味線はお稽古事として少し触った事はございますが
人前で演奏できるほどの腕前ではありません

ですが、そうなった時のために私、慌てて常磐津のお師匠さんのお稽古場へ伺い
三味線をお稽古させて頂きました(笑)

なんとか少しは弾けるようになったかな? と自分では思いましたが
自信はありませんでした。

2,3日後幸い瞽女の似合う別の女優さんたちを呼んでこられ

私たちの瞽女のお話は消えまして、ホッと致しました、

本当に心臓に悪かったです(笑)



そしてお稽古が進む中、蜷川先生が病に倒れられその日のお稽古場の
ビデオを見ながら病室での演出指導となりました。

この公演が終わった後 5月に蜷川先生は残念ながら帰らぬ人となられました。
最後の演出のお芝居に参加させて頂けたことは本当に光栄でした。

前に平幹二郎さんが勤められた筑前屋信介に段田安則さん
藤間紫先生が勤められた信介の母、瞽女の糸栄を猿之助さん

段田さんよりはるかに年下の猿之助さんが母親役でしたが、
全く違和感のなかったお芝居はさすがでした。

富司純子さんが勤められた瞽女の初音に宮沢りえさん
そして今や時の人の高橋一生さんが信介の弟、万次郎でした。

私は序幕に客引きの男や万次郎にお能の動きを教える能の師匠、
そして大詰めはお能の場面の地謡方でした。

上演時間はそれほど長くはないお芝居でしたが緊張の連続で
本当にくたびれた事を覚えております。

ですがお稽古から段田さん 宮沢さん 高橋さんたちとは親しくさせて頂き

和気あいあいで楽しいお稽古場でしたね。

その後テレビで段田さんは「カムカムエブリバディ」高橋さんは「インビジブル」
宮沢さんはCMなどでもお目にかかって居りますね(笑)

色んな方たちのお顔を拝見すると勝手に懐かしく思っております(笑)
この方たちと共に ひとつのお芝居を作って行った事を心から嬉しく思います。

この記憶に残るお芝居『元禄港歌』に誘って下さった猿之助さんに大感謝です。

 

これを機会に我が家には、三味線が仲間入りしました。

なかなか手に取る事は少ないですが、やはりいつでもできるようにしないといけませんね。