私がおもだかや一門に入れて頂いたのは、1989年(平成元年)
それまでの関西での歌舞伎公演はかなり衰退しておりました。

中座で年1回、歌舞伎の公演があるかないか、なんば新歌舞伎座の不定期公演と
南座の顔見世を入れても関西で歌舞伎が上演されるのは3、4ケ月位でした。


今でこそ新しく松竹座ができて歌舞伎の公演も増えましたが、昭和の最後の方は
私は猿翁旦那のお芝居でほとんど東京公演に出掛け 関西で芝居が開いている時でも
大阪を留守にする時が多かったのです。

 

その結果、大阪にいるのが本末転倒のようになったこと、そして猿翁旦那からも
誘われましたので、私はおもだかやの一門に入ったと云う訳です。

 

今まで、何度かインタビューなどでも答えておりましたが、松竹座が後数年
早く復活していたら、おもだかや一門の 市川延夫はいなかったでしょうし、
2代目市川猿三郎もいなかったと思います。

 

よかったのかよくなかったのかは、今ではもう分かりませんが、
この時に東京に来て、すでに平成を忙しい中、何とか生き抜き、令和になり、

今のコロナの状況で暇を持て余しているのですから、世の中わからないものです。

 

 

うっかり話が令和まで来てしまいましたので 昭和の末期に戻します。

 

そんな上方歌舞伎不遇の時期に 澤村藤十郎さんが「関西で歌舞伎を育てる会」を
起ち上げられました。
中座や朝日座で年1回でも歌舞伎の公演が増えていきました。


関西で歌舞伎を育てる会第1回自主公演として取り上げられたのが「夏祭浪花鑑」
国立文楽劇場にて1986年(昭和61年)8月20日~24日までたった5日間
昼夜2回の全10回の公演でした。

すべて大入り満員でした。立ち見も出ていた気がします。


余談ですがこの年の2月に新橋演舞場でスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』が産声を上げ
3、4、5、10、11月と半年に渡って上演しておりました(笑)


そんな中、私も当時は関西所属でしたので、この公演には参加いたしました。

 

団七には片岡我當さん 釣船三婦に13世片岡仁左衛門さん
団七女房お梶に片岡秀太郎さん 一寸徳兵衛に坂東竹三郎さん 
女房お辰に嵐徳三郎さん 義平次には片岡芦燕さんと云う顔ぶれ。


オマケに道具屋の丁稚に片岡千代丸。今の愛之助さんですね(笑)

中学生くらいだと思います。


もう1つオマケに、片岡千次郎(今の上村吉弥)さんの磯之丞に、片岡進之介さんの琴浦


え?逆ちゃうん?と、今なら思いますよね(笑)


 

私は片岡當十郎さんのこっぱの権に なまこの八で出演させて頂きました。
それだけではなく、人の少ない公演ですので、あちこちに登場してました。


いつもの「住吉鳥居前」から間に「道具屋」の場を挟んで大詰め「田島町団七内」から
「大屋根の立ち回り」迄 通し上演されました。

 

ほとんどが関西籍の歌舞伎役者だけでの上演でしたので、人が足りません(笑)
若い役者は何役も掛け持ちするのはもちろんですが・・・(笑)

「長町裏 義平次殺し」のあとの 神輿をかついで大勢出る場面では 
黒門市場の商店街の協賛で市場の色んなお店の若い衆が 特別に出演して下さいました。

その声や音頭取りも私がやっておりましたね(笑)


最後の団七に大屋根と花道でかかる捕り手も勤めさせて頂きましたっけ(笑)


内輪話ですが大屋根の「どんたっぽ」の立ち回りも 猿翁旦那のお芝居から
立ち回りの手順を頂戴して みんなで立ち回りを付けてましたね(笑)


また、先代仁左衛門さんの三婦に、なまこの八の大役を勤めさせて頂きましたが、
三婦内でこっぱの権となまこの八が仁左衛門さんの三婦に怒鳴られる場面
あまりの迫力に、思わず我を忘れて腰を浮かし 逃げ出そうとしてしまったことも
ありました(笑)

すぐに我に返りましたけどね(笑)

本当に怖かったのです(笑)


普段は出ない「道具屋」で、番頭伝八と結託して義平次が磯之丞をだまして
金を奪う場面はあとから義平次殺しにつながり お芝居の筋がわかりやすいです。

そんな公演ももう35年も前です(笑)

 

今日の写真は 公演の番付と この公演の折のテレフォンカードです(笑)

 

このテレフォンカードはどういった経緯で世に出たのか?
記念のお配り物だったのか、販売をしていたのかは知りません。

当時出演していた私の手には渡らなかったと思います。
こんなものあるなんて記憶には残っておりませんでしたもの。


これは、20年ほど前に、あるお手伝いをしたお礼として、家人が貰ったものだそうです。
引き出しに入っておりまして、先日思わず手に取りまして、このブログを書く
きっかけになりました。

 

テレフォンカード。
今ではもう財布に入っている方も いらっしゃらないのではないでしょうか?

 

ちょっと気になりまして調べましたら、テレフォンカードが売り出されたのが
1982(昭和57)年、この公演が1986(昭和61)年。

ちょうど普及して来た時期だったのでしょうね。

昭和だ・・・(笑)

こんなところにも 思わず歴史を感じてしまいました。