今から27年前 私が34歳の頃。

昭和61年(1986)8月20日~24日までは大阪 国立文楽劇場で
関西で歌舞伎を育てる会 第1回自主公演として『夏祭浪花鑑』の半通しが
上演されました。

我當旦那の団七 秀太郎さんの女房お梶 竹三郎さんの一寸徳兵衛 
徳三郎さんの女房お辰。

そして13代目仁左衛門旦那の釣舟三婦。 


當十郎さんのこっぱの権で 私は、なまこの八と 長町裏の神輿を担ぐ大勢のひとり
そして 大詰めの団七(我當旦那)に かかる捕手を 勤めさせて頂きました。


ふと自分の年表を振り返ってみますと この年は1月からメチャクチャに
忙しい年でした。



1月は 2月から再演されるスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』とお稽古と 
衣裳パレード。


そして、この年、2・3月新橋演舞場 5月名古屋中日劇場 6月京都南座
10・11月新橋演舞場と半年もの間、スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』を
昼夜2回(1回公演もありましたが)上演しておりました。


間の4月は、明治座で松平健さんの昼の部『暴れん坊将軍』に同心役で 
それと 夜の部、猿翁旦那演出の『ジンギスカン』に モンゴル兵士として出演。


7月は恒例の歌舞伎座での猿之助奮闘公演。
昼の部『近頃河原の達引』『奴道成寺』『ぢいさんばあさん』
夜の部『慙紅葉汗顔見勢・・伊達の十役』を上演。


歌舞伎座終了後の8月は9・10日と天満橋の労働センターでの「若鮎の会」
『源太勘当』『合邦』『根元草摺引』『吉野山』を2日間 昼夜2回。

私は『源太勘当」の 母延寿と『吉野山』の忠信を昼夜 勤めさせて頂きました。


その為に歌舞伎座千秋楽の次の日から連日 「若鮎の会」のお稽古でした。 

「若鮎の会」が終わって 20日~24日までは文楽劇場の『夏祭浪花鑑』の
公演の為に またまた連日のお稽古。 


結果 この『関西で歌舞伎を育てる会』の自主公演、5日間昼夜10回公演とはいえ 
大当たりの公演となり、なぜこの公演を松竹の会社として出来なかったのか!と
歌舞伎公演の少ない関西演劇部の方が 嘆いておられました。


9月は明治座で『御贔屓繋馬』と『伊賀越道中双六』の通し上演。

さらに24日の夜の部には猿翁一門若手勉強会『待春会』として『伊賀越』と
『将門』を上演。


さらに12月は京都南座顔見世公演。幸四郎さんの『梶原平三誉石切』の梶原の近習。
夜の部の猿翁旦那の『毛抜』で腰元に 出演しておりました。

12月にはそれ以外にも、もう今では考えられない様な 催しもありまして、
さらに忙しくしていたのですが この事は また 機会がありましたら。


今、振り返って見ても 1日のお休みもなく なんとも 毎日 忙しい日々を
送っていた事になります。


でも この積み重ねが今の私を 形成してくれていると思えば、懐かしさで
いっぱいでした。




今日の写真は 今月の『夏祭浪花鑑』で こっぱの権 なまこの八を 
演じている若手の二人。

イメージ 1


片岡千次郎さんと 片岡佑次郎さんです。


若手と申しましても、彼らももうベテランの一歩手前。

今から13年前の 松竹座でのおもだか屋『義経千本桜』の公演。
3代目猿之助の最後の『千本桜』通し狂言を上演しました時に、
彼らと 記憶にある中での初?共演をしております。


それでももう 13年も経つのですね。



そして今月 同じお鯛茶屋に出演している 27年前の 
こっぱの権となまこの八の二人。

イメージ 2


現在では、當十郎さんの大鳥佐賀右衛門と、お鯛茶屋の主 茶平の私です。

(すみません、写り方が左右逆ですが 當十郎さんが元権、私が元八です・笑)

27年前は 二人ともまだ若手でした。(笑)
 

当時は 今の彼らと そう変わらない年だったでしょうか。

もう27年も経つのですね。



今月は當十郎さんと 一緒の楽屋です。

お兄さんと一緒に 27年前の思い出を振り返りながら 毎日舞台を勤めております。