猿之助さんと中車さんの大歌舞伎『半沢直樹』が今 大流行ですが、
一般の視聴者の方からも「あれは歌舞伎だ!」と ツイートされる始末(笑)

尾上松也さんもそれに負けずの大熱演、来週はいよいよ愛之助さんまで登場。


7・8月顔見世テレビ大歌舞伎『半沢直樹』と云ったところでしょうか?(笑)

主役の堺さんもつられて だいぶ歌舞伎ですよ(笑)


以前、と云っても7年も前の事ですが、前作の放送の時に
「半沢直樹は歌舞伎だ!」と、いかにして、この手法が歌舞伎か
というブログを書かせて頂いた事がありました。

 

その際には、手法など、歌舞伎をご覧になった事のない方には
ちょっとわかりにくいかも知れないなあ と思いながらも
書かせて頂いたのですが・・・

 

続編は 誰がどう見ても 歌舞伎になっているように思います。
歌舞伎見た事のない方にさえ、 あれは 歌舞伎だ(笑)って(笑)


前作でさえ、2人も知り合いの歌舞伎役者が出ている事に
驚きましたが、今作は 倍になりましたものねえ(笑)

歌舞伎役者が倍になりましたが、効果は倍どころではなく、
10倍でしょうか?(笑)


視聴率も土用の丑の日にちなんで うなぎのぼり
いずれにしても日曜日の夜が楽しみになりました。

 



歌舞伎と云えば幸四郎さん 猿之助さんの図夢歌舞伎
『仮名手本忠臣蔵』も好調なようです。


少し前の猿之助さんの『五・六段目』の勘平は
見せて頂きました。


六段目の勘平は上方型 それも成駒屋(山城屋)型で
演じられておりましたので 非常に驚きました。


坂田藤十郎さんが鴈治郎時代、何回か上演されておられます。


勘平の型は演じる人の数だけ 型がありまして一概に
上方型 江戸型と云う事が出来ません

上方でも成駒屋と松嶋屋では型が違いますし、
江戸型でも市川家 中村家 尾上家、さらに そのご一門でもみんな
勘平の型が違うのです。



私も上方での勉強会「若鮎の会」の時の六段目の勘平は
十三代目片岡仁左衛門さんから教わり、初めての型を
実験的に勤めさせて頂き 勉強会が終わってから十三代目に伺いました。

「この型 十三代目の旦那はどこかで演じられたのですか?」と
すると、
「いや 私のは父から習った松嶋型やけど 二人侍(不破と千崎)が
訪ねて来た時 疑問に思っていた事がある、だからその疑問を
勉強会を借りて(私に)やってもらった、やっぱりこれが自然や、
これ 嵐延夫型にしたらいい!」・・・と

(型の違いの説明は細かい事なので省略させて頂きます。)

 

残念ながらその後 早野勘平を勤めた事はありませんが・・・(笑)
もし、どなたか、この型を後世に伝えてくれることがありましたら
いつでもお伝えいたします(笑)
ただし、私の型ではなく(笑)、十三代目から教えて頂いた型として。


そう云った意味で上方では色んな型が残っております。

坂田藤十郎さんは『仮名手本忠臣蔵』主要配役 七役早替わり
と云うのも上演されておられます。

 

今回の図夢歌舞伎は映像ですが、それに近いそうですね。

幸四郎さんの塩谷判官 高師直 大星由良之助 定九郎 等々。



六段目の勘平の江戸型では 猟から帰って来た時、万一を思って
浅黄の紋服に着替えますが、本来は二人侍が訪ねて来るかどうか?
わからないのに紋服に着替えるのはおかしい、

というのが上方的な考え方


ですから、着物はもちろん 雨に濡れておりますから着替えますが、
紋服ではなく普段着でおります。

物語の大詰めで腹切りしたのち、討ち入りの一味徒党の連判状に
血判を押した後 死にゆく勘平に母おかやが黒紋付きを上から羽織らせます。


猿之助さんの勘平は 以前に藤十郎さんから勘平のご教示を頂いていたので
この型を用いられたそうです。

 

これ以後はこの型 猿之助さんが、更にアレンジされておもだかや型と

なるかも知れません(笑)
 


ちなみに勘平は出奔して浪人となった身の上ですので、「切腹」とは
云わず六段目の勘平は「腹切り」と申します。

ま、意味は同じですけどね(笑)


細かいところまで、わかるようになりますと歌舞伎の通ですが、
そこまでご存じなくとも、あの人とこの人 やり方が違う?
くらいにまでなれば、多少 歌舞伎も面白くなるかも?

 

例えば、「半沢~詫びろ!」の台詞が 猿之助さんと中車さんは表情が違うとか?
土下座があるか、ないかわかりませんが、土下座にもお二人の型が出来るでしょうね(笑)


歌舞伎の舞台でもそれがわかれば、面白いと思いますよ(笑)