コメント欄で 先日 『曽我綉侠御所染』の序幕 吉原仲之町の場面で

御所五郎蔵が締めている帯が気になります。 とのコメントを頂きました。



調べてみますと 帯は緑と黒の市松模様 

衣装さん曰く 「尾状」と云われる帯でした。


尾状。びじょう。 

普通に調べますと尾状とは脳細胞の中の核にある毛細胞。


もしくは尾状花序とは細い円筒状の花の集まりとあります。



帯の写真をご覧ください


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帯もよく見ますと 毛織物のように薄い毛が、なるほど沢山あります。

残念ながら 詳しい由来はわかりませんが、おそらく一目瞭然。
形からきている 名前なのでしょうね。



どうやら素材はビロードのようです。


そして着流しの柄は 墨絵。





御所五郎蔵の初演は1864年(元冶元年)江戸市村座。


1867年が明治元年ですから 江戸時代と云っても ほとんど末期。

明治維新もすぐそこの動乱の江戸時代ですね。


五郎蔵は4世市川小団次 土右衛門は3世関三十郎。

この時の時鳥役が 後の5代目菊五郎。

(本来は通し狂言で六幕まであるのですが 
 今ではほとんどが上演されておりません)


この初演の折に すでにこの帯が使われていたかは不明ですが、

おそらくかなり過去から使われていたからこそ 違和感がなく 

今でも受け入れられているのだと思います。



私が この帯の事を 調べている関係で 楽屋でも 話題になりました。

松嶋屋のお弟子さんも 成田屋のお弟子さんも 今、初めてこの演目をやるとして

この衣装を見せられたら 到底 この帯は選ばないね!! 

と 口をそろえて言っておりました。


私も同感です。(笑) 



歌舞伎は 傾く(かぶく)精神。


ハリウッドの映画などでは ジバンシー や シャネル 等々  

女優さんたちは専属のデザイナー スタイリストさんたちが おられるそうですが、 

当時 歌舞伎にも 今でいうデザイナーと呼ばれる人たちが 

力を貸したのかも知れません


でも 先にも書かせて頂きましたが 大道具や 小道具同様

当時はそう云う専門職の権利がなく だれが選び 誰が作った柄かなどの

資料がほとんどありません


あるのは今 現在もその衣装を 使っていると云う事実だけです。 


名も知れない人の努力、葛藤が 今の歌舞伎を底辺から 支えている事は

なにか計り知れない エネルギーを感じます。





そして この五郎蔵の仲之町の場面の衣装はすべてと云っていいほど

その演ずる役者さんが 日本画家にお願いをして 墨絵を書いて貰い

その絵を元に染め上がったものを 着ております。


今回の勘九郎さんの衣装も自前で 高名な日本画家さんが書かれた絵。


「富士山に雲竜」 富士の絵は必ず五郎蔵の衣装に書かれるそうですが

それ以外は 画家さんの腕の見せ所だそうです。


夜の部 『曽我綉侠御所染』をご覧の時は 五郎蔵の衣装にもご注目ください。

ただの着流しなれど・・・ ウン百万の代物です。(笑)