『お染の七役』の中幕の舞台は 
「瓦町油屋」となっております。

が、夜の部の『女殺油地獄』と違いまして 
本当の油を売っている訳ではありません



昼の部の「油屋」と云う名前は いわゆる屋号でして 
もしかしたら 以前は油を商っていたかも知れませんが
この舞台では着物屋でございます。


それも誂えの和服ではなく 古着屋商売。 
所謂今で云う、リサイクル着物屋。


ここの店に いろんな古着が集められて来て 
幕あきでは 番頭や手代が 着物を整理して 
付け帳に書き記しております。



ここで手代をしている門松(もんしょう)さんの台詞で
「桟留縞」(さんとめじま)と云う柄の 古着を読みあげます。


初日が開いてすぐに 門松さんから

「さんとめじま って 読んでいる台詞の 模様が
 浮かんで来ないのですが どんな模様なんでしょうね?」

と聞かれました。


私も 咄嗟にはどんな柄なのかが 浮かんできませんでしたので、
調べてました。



調べてビックリ。

この、現在門松さんが読み上げております「桟留縞」 

実は インドの南東部のコロマンデル地方 
サントーメからの輸入柄を オランダ人が日本に持ち運び
その後 その柄が日本で織られて 日本の柄となったものだそうです。


サントーメ(英語では セント・トーマス)からきたから
当て字の 「さんとめじま」 = 「桟留縞」が当てられたのでしょう。 


ネットで、画像を検索したら いくつかでてまいりますが、
ここでは ちょっと のせることが出来ませんので、
興味のある方は 検索してみて下さい。

色目的には 紺地に赤または、浅葱・茶などの細い縦縞

を施したものだったそうです。

当時としては 輸入デザインの斬新的なものだったのでしょうね。

今でいう バーバリーのチェックみたいなものでしょうか?
双方とも現在でも色あせないデザインですね。



今月、『女殺油地獄』の中で弘太郎さんが着てる衣裳が
近い柄かなと思いまして、衣裳さんに確かめたのですが、

この桟留縞または 唐桟とも呼ばれているものは、
素材が 木綿でして、広く庶民の間で着られていたとか。

弘太郎さんの着ている物は 絹物なので、模様は似てますが
「桟留縞」とは 別物だそうです。


残念!!

これだったら 写真に撮ってこれたのですが。



元々、日本では 今でいう「縦縞」のことは「筋(すぢ)」と
呼んでいたらしいです。

一方、外から入って来たものは「島もの」と呼んで区別して
いたとか。「島もの」から「縞(しま)」

いまでも、しましま模様なんていいますよね。


(余談ですが、私の生まれ育った大阪では、
 南北に走る通りを「筋」東西に走る通りを「通」と
 云います。まさに 「筋」は縦縞なのです。)



現在でもこの柄は 座布団や 着物の柄として 残っております。

もしかしたら 皆さんのご家庭の 座布団?などにも
この「桟留縞」あるかもしれませんね。

遠い江戸時代に さらに遠く インドから伝わった模様です。