こんな言葉があります。男尊女卑。
そして、日本ならではの古来から続く、家制度。
結婚すると多くの女性が、夫の姓を名乗る。
こうした考え方が嫌だったから、妻を愛してるから。だから、義両親との同居を結婚前から決めていた。
普通は逆だよね。
あるとすれば、嫁姑問題。
男の自分が同居だから、まさか婿姑問題ってないよね?
あったとしても、平日は大抵仕事でいないから深刻ではないよね。
若干の不安要素もあったけど、大丈夫と判断していた。
自分は柔軟な考え方をもつ先進的な人間なんだよ、とカッコつけてたのかもね。
籍は入ってもらった。
結果的に浅はかだった。
結局ね、義母と同居する世間の奥様方の苦しみをですな、夫の立場ながら身をもって経験してきましたよ。
精神的に休まらない。
自分が主役として、嫁姑問題を体験したわけ。
優しい義母を持つ旦那たちがホント羨ましい。
同居して、面倒見てあげようというこちらの意図なんて関係ない。
結婚してすぐに、義母の後先を考えない暴言に悩まされてきた。
それでも、妻にとっては大事な実母。
我慢してきた。
ずっと横柄な言動が続いた。
義母はひょっとしたら、二世帯生活の私をマスオさんと勘違いしてた節もある。
義両親への経済的依存はゼロなんだけど、それだけじゃなく、家土地の購入も私が大半を負担してたのだけれど、わかってなかったかもしれない。
いや、
家購入とか土地購入の席にいたはずなんだけど、頭で理解出来なかったのかな。
時々そんな言動に悩まされながら、改善もなく過ごしてきた。
極め付けは、自分の入院中に一度も見舞いに来ない始末。
当時はコロナ禍の前なので、来ようと思えばいくらでも見舞いに来れる時期だったのだけれど。
義父は出かけるついでに、入院してる自分を何度も見舞ってくれた。
自分が退院して、こんどは義父が入院した時は自分が見舞った。
これが普通の人の行動ですよね。
家族の振る舞いですよね。
義母は違った。
一度も見舞いに来ないとは、どういう神経なのだろう?
伝言すらないのは「人」としてどうなのか。
娘の婿ですよ。義理の息子ですよ。
同じ家で生活をしてる家族ですよ。
許せなかった。
一度目は4ヶ月の入院。
二度目の入院は2週間で、このころもまだコロナ禍前。
人として自分はおかしいとの自覚はないのか。
その後、昨年の三度目、四度目、五度目の入院。すでにコロナ禍だったから見舞いは無理だったけど、相変わらず伝言も何も音沙汰なし。
曲がりなりにも普段は同居もしてるのですよ。
非常識。
聞くところによれば、体調は良くないとのこと。
伝言に体調はどれほど関係あるのか。
美容室なんかはきっちり定期的に通ってるのに。
退院して家に戻っても、なんも労わりの言葉なし。
要するに、世間知らずで常識知らず。
義母が若かりしころ、女学校に行ってた箱入り娘だったそうです。
実家は比較的裕福な自営業で本人様はいわゆる社長令嬢。
おそらく甘やかされて育ったんでしょう。
常識を学ぶチャンスも意識もなかったんでしょう。
世間に揉まれる間も無く義父と結婚して、自己中心的な天狗のままこうなったんでしょうね。
実は、私が新婚5年目の頃、そのことで義父と話すチャンスがあってその時、義母の口の悪さを義父は認めておりました。私に申し訳なさそうに語っていました。
で、自分が犠牲となりました。
よく世間で問題になる嫁-姑の関係が、婿-姑の関係として。
それで家庭の平和が守れる?
でも、なんだか辛い。いやずっと辛かった。
この度、妻と離婚だ、なんだ、の関係になった大きな要因のひとつも、実はこの義母。
新婚の頃の夫婦喧嘩の原因の多くは義母の言動。
義母の言動に耐えかねて私が妻に苦言、それに妻が追い込まれる形で喧嘩。
妻にとっては実母だから守り続ける。
若かりしころ、良かれと思って親切心から同居を決めた自分の浅はかな判断が、結果的に、自分を精神的に追い詰めて不幸に。回り回って妻を不幸に。
今年正月、ある一件のためにとうとう私はキレた。年末から年越しで正月を過ごすために来た義母の行動にキレていたがぐっと堪えていた。
耐え切れず、家の中で暴れた。
言い知れない苦しみと悲しみと怒りで暴れた。
長年の義母の言動に耐えてきた苦しみの記憶が蘇ってきた。
家族は部屋に引きこもって避難した。
さらに、頓珍漢な義母が無神経な言葉を吐いた。完全に限界を越えた。
新婚のころの夫婦喧嘩の原因は、ほとんど義母だったと伝えた。
回り回って、義母は居た堪れなくなり別宅で老女のお一人様生活。
結果、義母も不幸だよね。しかしこればっかりは義母自身の蒔いた種。
しかし義母は自分の何が悪いかなんて、何も分かってないだろな。
一方的に被害者の意識しかないはず。
自分中心の考え方の人だから。
婿が怒ってるから別宅に避難した。そんな意識。
自分が悪いなんて考える人じゃない。
義母はとにかく口が悪い。
もう一つ、すごく気が強い。横柄。
気の強さは妻に遺伝しているようですね。
それはそれで自分はそんな妻を可愛いし、頼り甲斐があると思ってんだけどね。
義母のは許せない。義母に思慕の情とか信頼とか一切無い。
義母は、「あなた、いったい何様?」といった完全に上から目線の感じでした。
家族のなかで一番常識なくて、学力も一番低いのに何故か態度はでかい。
何をもって一番上に鎮座してる根拠になってるのか皆目見当もつかなかった。
家の中で根拠のない自説を大声で振り撒いていた。堪らない。
そうした言動を義母は義父からよく揶揄されてたが、自分を頑なに信じる義母はなんの迷いもなく、大声で言い返していた。
そんな義母も義父が亡くなってからはある程度トーンダウンしたが、それでもしばらくは口の悪さも気の強さも健在だった。
今は上記のとおりのお一人様別居だから、どうなってるのか知らない。
最近少々ボケ混じりということだから、結果的に多少は柔らかくなってるのかどうなのか。
妻や息子は、時々義母の様子を見に行ってるみたい。
まあ、血の繋がる肉親だからそれはいいとして。
ホントはそうした肉親からキチンと教えてあげなきゃならないんだけどね。
もうボケてきて歳だからってことで、義母へのダメ出しはしていない様子。
ということは、義母の中で婿である私は非難の的。ということ。嫌う対象ってこと。
それが続いている。こりゃまた堪らない。
コチラとしては、死病を抱えて、体も心も穏やかではない。そんな状況で昔のような我慢は無理なわけですな。
老女の一人暮らしは可哀想だけど、仕方ない。
どうせコッチが先に死ねば、妻子と義母が同居することになるんだろうとは思う。
が、自分の生きてるうちは二度と同居は無理だろね。
自業自得とはいえ、運の悪い老人だ。
そして、勘の悪い老人だ。
同居を決めた血の繋がらない婿にこそ感謝すべきではなかったのか?
歩み寄るべきではなかったか?
そうすれば、もっと幸福であった。
義母以上に自分は運が悪かった。
下手な親切心が仇になった。
なんだ、この人生は。
不幸極まりないこの人生。