音のない理容店 一色さゆり著 講談社2024年10月21日 1回目:瑞穂野地区市民センター、2回目:東図書館
1回目
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2回目
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音のない理髪店 P5~
第一章 コーダの娘 P10~
第二章 海の向こう P32~
第三章 聞こえない側と聞こえる側 P55~
第四章 明けない雪夜 P84~
第五章 白昼の月 P116~
第六章 秘密 P159~
第七章 つないだ人 P182~
第八章 幸せ P226~
第九章 言葉の要らない世界 P263~
エピローグ P289~
五森つばめ 2013年年初め、23歳。作家デビューから3年目(学習塾のアルバイトで生計)
老舗出版の駒形より面会を求められ、喫茶店で会う。次の作品のテーマとして、ろう者の祖父を題材にしたいと思う。
祖父が、ろうあ者で理容師をしていたのを思い出し、そのことを書こうと決意し。神戸に帰省して、父に祖父母のことを教え得てくれるように直接頼む。
親子間の連絡用にと母が連絡帳を初めたが、母は半年後にくも膜下出血で死去
父の話し中、徳島の店に来たという、青島のことを聞き、伯母の暁子を通じて連絡先を聞き、青島と会う。青島の手話教室に参加し、祖母に似た都筑講師を見て、祖母への恐怖心を思い出したが、その様子を見て辰野に、なぜ書こうとするのか問い詰められる。
徳島の五森理髪店に行き、暁子から話を聞く
昭和63年冬、暁子43歳のときのエピソード。
雪降日に一見の客が来て、仕上がった後に難癖つけて、支払わず店を出たという。更に二人で近くの定食屋で夕飯中に(あまりつきあいのない)近隣の同業者から、価格を同じにするように言われたのを拒否したと正一に言うと、明日謝罪に行ってうちも来月から料金を上げると行ってくるように言われて、暁子はボランティアの手話教室に行く正一を置いて先に帰ってしまうと、程なくして定食屋の女将が、正一が車にはねられたと知らせに来た。速度を出した車のフェンダーミラーに接触のはずみで転倒し、側溝のコンクリートに頭を強打したという。大学病院に搬送されたが、手当のかもなく、息を引き取った。
翌日、喜光子の入所する介護施設へ。喜光子は、ツバメの本を取り出した。海太から送られたという。
喜光子は、学年では正一の2つ下で、聾唖学校の裁縫科に寄宿舎から通い、正一は理髪科で自転車通学という。学校時代の接点はなかったという。
喜光子が卒業した3年後、当時20歳だった喜光子の家(鳴門市)に、正一の父・ツネ助が、正一が会いたがっていると訪ねてきたという。
後日一人で、正一の店に行く。聾唖学校の同期生も呼ばれていた。正一は5年前に開業したという。行政から営業日を減らすように指導され、海軍病院に理髪奉仕しているという。
学生時代の正一は絵がうまかった、喜光子を題材として阿波踊り野絵を書いており、それで、喜光子のことが気になっていたという。その半年後に結婚し程なく妊娠して、戦後すぐに暁子を出産
徳島から戻ってからは微熱がつづき、新年度ながら塾講師アルバイトも減らしてもらっていた。暁子から聞いた話をどうまとめるかなやみ、5月の連休明けには。うつ状態になっていた。
青馬が、連絡の上訪ねてきた。理髪科教官だった宮柱に既に取材依頼をしたという。
6月上旬に平塚に宮柱を訪ねた、高齢だが、今日全てを話す覚悟でという。
青馬から、正一の父の手記を託される。青馬とつばめの関係について、いつかは打ち明けようと思っていたとのことで、詳しくは手記を読めばわかるという。手記には、正一が聴力を失ったこと、その後どう接したか、教育、理髪店開店までがまとめられていた。最後に喜光子のことも少し書かれていた、。
五森理容店
店主が閉めた理髪店を正一の父が買取り、正一の同級生やその保護者などが改装し、手作りで増築していった。水道管が引かれておらず、バケツで水を汲みに行ったが、時々バケツが田んぼに捨てられているなどの嫌がらせをされたが、集落で一番早くテレビを購入してからは人が集まるようになり、嫌がらせもなくなった。
海太はある冬の日に(皆勤賞のために学校に行ったものの、水道管凍結で帰らされて)、母が神社のお地蔵さんにお参りしているのを見たが、母に聞いても「ごめんね」と返答されるだけで終わったのをずっと気にしていた。暁子から「母親にさせてもらえなかった」と聞かされた。
五森つばめ 神戸出身、平成元年生まれ
・海太(かいた) 父 は様々な職業を経て、今は「便利屋」
・母 公立学校の国語教師だったが、くも膜下出血で死亡。
・正一(しょういち) 父方の祖父 つばめの生まれる前年の冬に交通事故で死去。聴力はゼロ。2歳の頃までは聞こえたが、髄膜炎で高熱の後遺症で聴力を失った。
・喜美子(きみこ) 母。聴力少しあり、大きな声ならわかる。酔うと歌を歌う。
・暁子(あきこ) 海太の姉 8歳上、現在68歳。32歳まで教員をしていた。
・・安弘(やすひろ) 暁子の夫、20代前半に事故で中途難聴者になり、暁子のすすめで理髪科に入り正一の後輩になり後を継ぐ。
・ツネ助(つねすけ) 正一の父、教員。秋本校長とは師範学校以来の付き合いで、正一の小学校に上がるときに、聾唖学校に入れるべきと言ってきた。
青馬宗太(あおまそうた) ろうあ者研究で徳島の店を訪れたという。株式会社とNPO法人のデフキャンプ代表者、中学の時耳が不調になり、左耳は回復したものの、右耳の聴力は回復せず、大学卒業後に広告代理店に就職したが聞こえなくなる不安から手話を習い始める。
林智弘(はやしともひろ) 手話教室講師、健聴者
辰野亜夜(たつのあや) 手話教室講師健聴受付、ろう者。聾学校には通わず普通の学校へ。青馬とは大学のときに知り合った。
都筑(つづき) 手話教室講師 ろう者
田川 手話教室受講者、つばめとペアを組み仲良くなった。職場でろう者を雇用していたが突然やめてしまったので意思疎通を図るため手話を習うことに決めた。
佐々木 手話教室受講者
駒形淳子(こまがたじゅんこ) 老舗出版の編集者。
千晶 つばめの大学時代からの親友で学習塾のアルバイトで同僚。英語講師。神戸出身
宮柱栄次郎(みやばしらえいじろう) 徳島の聾唖学校の理髪科担当教員。98歳で存命。小松島市出身。小さな理髪店の次男として生まれた。15歳で理髪師養成所に入り免状取得、徳島市の大きな理髪店で修行していると、徳島県立盲聾唖学校長から理髪科専任講師募集の知らせが店にきたのは昭和7年だった。
古河太四郎(ふるかわたしろう) 明治一五年に日本発の聾学校の院長就任、近代盲唖教育の祖父
五宝翁太郎(ごほうおうたろう) 徳島生まれ、古河の教育を、明治三八年に徳島に広める、徳島盲聾唖学校初代校長
秋本忠雄(あきもとただお) 徳島聾唖学校二代目校長で昭和六年就任
田辺(たなべ) 聾唖学校教師、軽度のろう者。宮柱の授業の最初の頃生徒に手話通訳していた
まんじゅう 聾唖学校で喜光子と同じ学年だった女子生徒。まんじゅう好きでふっくらしていたので、サインネームが「まんじゅう」に。出征した兄は戦士した・
池 正一の理髪科の同級生。初等部入学直後に池に落ちたので「池」。両親もろう者でたいへん貧しく、入学当初は寄宿舎代金を払えず、早朝に荷車で父が送迎していた。