みなさま新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
さて、前回の続きです。呉で一泊して2日目に江田島に渡りました。呉から江田島の小用港までのフェリーを利用しました。
目指すは第一術科学校・幹部候補生学校(旧・海軍兵学校)です。
いろんな意味で勉強になり楽しかったです。
学校の売店のおばちゃんと、もしかしたら息子が海の要員に選ばれて、4年経ったらここに来させてもらうかもとの話をしたりしました。
注目すべきは、この売店にチープCASIO、関数電卓、靴クリーム、白ハンカチなどが置いて売っていました。
やっぱりなぁ。
また、ここは戦前の建物が今も残っていて、入校式、卒業式が行われる「大講堂」は音響設備もいらないほどよく声が響きます。
床石は110数年前から変わっていないそうです。
黒の碁盤の石のような紋様の所に立っていくと綺麗に一列に揃うのだそうです
赤レンガの兵学校、「旧生徒館」はイギリスから貴重な外貨を使って購入され、一つ一つ紙に包まれて運ばれてきたそうです。
この建物は明治26年に竣工とのこと。いまだに明治時代のガラスが使われている箇所があり、また幹部にならねば正面から出入りできないそうです。兵学校は南向きに立っており、これは当時、天文航法を学ぶためもあったそうです。
ここの奥のガラスの5枚の何枚かは明治の頃のままのものだそうです。
息子は防大卒業後、果たしてここに来れるのか?そもそも防大でついていけるのか?
「教育参考館」は撮影禁止です。
なぜなら「東郷元帥遺髪室」があり、特攻隊員の遺書等も展示されており、「霊廟」と言っても過言ではない場所だからです。
奥に見えるのは「回天」ではなく、真珠湾口で発見引き上げられた特殊潜航艇「甲標的」。
赤絨毯の階段を上がって、東郷平八郎元帥の遺髪室の前で合掌してきました。
館内では特攻隊員の方の遺書などが展示されており、前日に続いてここでも涙しそうになりました。
これが候補生が登るという古鷹山。では、新しいのは?
そう、あの暗号電文「ニイタカヤマニノボレ」の当時の新高山(台湾の玉山)です。
巡洋艦「古鷹」の由来にもなっている兵学校を象徴する山です。
グラウンドの向こうに戦艦「陸奥」の主砲第四砲塔(改装の際、撤去されたのもの)が見えました。
前回書き忘れましたが、護衛艦「かが」が停泊しているこ呉のこの浮桟橋、Fバースは付け根から沖合までのところは、第4建造ドックで完成した「大和」の船体が係留されて、大砲などを積み込んで完成した場所だそうです。
2日目は江田島に泊まりましたが、宿「江田島荘」が非常に良かったです。足湯や露天風呂はあり、食事は地元の食材でおいしかったぁ。
またこれるかな?(4年後か !?)