荀諶
袁紹配下。初平2年、袁紹の命により、高幹・郭図と共に使者として冀州牧韓馥の下に赴く。荀諶は巧みな弁舌を振るって韓馥を説得し、冀州を袁紹に譲らせた。建安4年には、田豊・許攸と共に袁紹の参謀に任命される。しかし、袁紹陣営でこれほどの重要人物でありながら、以降は史書に一切登場しない。陳羣による「荀彧、荀攸、荀衍、荀諶、荀悦は、現代まったく匹敵する者がいない。」との論評が残るのみである。ただ、子の荀閎は魏に仕官していることから、最後まで曹操と対立する道はとらなかったと思われよう。
袁紹配下。初平2年、袁紹の命により、高幹・郭図と共に使者として冀州牧韓馥の下に赴く。荀諶は巧みな弁舌を振るって韓馥を説得し、冀州を袁紹に譲らせた。建安4年には、田豊・許攸と共に袁紹の参謀に任命される。しかし、袁紹陣営でこれほどの重要人物でありながら、以降は史書に一切登場しない。陳羣による「荀彧、荀攸、荀衍、荀諶、荀悦は、現代まったく匹敵する者がいない。」との論評が残るのみである。ただ、子の荀閎は魏に仕官していることから、最後まで曹操と対立する道はとらなかったと思われよう。