自分の動画を見ながら思ったこと | 空を見上げて

空を見上げて

毎日の暮らしの中で、心に残った風景や言葉を綴ります。

ファッションマップコンサルの2回目のミーティングの動画をもう一度見た。


自分がしゃべっているところを見るのは、なんだか恥ずかしい。


もっとハキハキしゃべっているつもりなのに、思っていた私の姿とは違う。

これまでの里美さんとのセッションの動画を見てきているから、少しは慣れてたつもりだけど、まだ慣れない。


自分の演奏の録音を聞くのだって、慣れるのに結構時間かかるから、動画だとなおさらだと思う。


目の前でしゃべっている私は、私じゃないみたいな感じだけど、やっぱり私だった。

できない理由を一生懸命探している人だった。


このコンサルを受けて、早11ヶ月。

自分のファッションについて、リアルタイムで発信することが大事だと言われ続けているのに、なかなか出来ないでいる。


動画のなかでも、なんで出来ないのか?

いろいろ角度を変えて、さとみさんが質問してくれてるけど、自分でもよく分からず、とんちんかんなことを言っている場面もある。


canvaを使った画像の編集が出来ない、とか、

恥ずかしい、とか、

写真が撮れない、とか


canvaも、無料で使えるけれど、

背景を消したり、好きなデザインを使うには有料プランでないとダメで、

お金を払っただけ、自分が使いこなせるかどうか、のところでブレーキがかかっていたり、

どうせ有料にしたほうが、良いって自分でも分かっているのに、一歩踏み出せなかったり、


とにかく、


無駄になったらどうしよう、とか


ちっちゃいことでうじうじしてる。


小さい世界、

私の回り半径3メートルぐらいの世界のなかでちょこちょこ動き回っているような小さい世界で生きているような感じ。


もっともっと広い世界に行きたいと思っている割には、殻の中に籠っている。


動画の中の私がそんな風に見えた。


広い世界に行きたいと思っているのに、

こんなわたしが・・・・と、周囲の目が気になり、遠慮している。

活躍したいと思っているのに、

なんであなたが?みたいに思われるのでは・・・と気にしている。


劣等生だった学生時代の思いをまだ引きずっているのか。


口で言っていることと、

思っていること、それも無意識で思っていることが全然違っているかもしれない。


ピアノが弾けると、家で仕事ができるから良いね、女の幸せは、家庭をもって、子どもを育てることなのよ、と、子どものころ母親に言われ、

教室を始めて、生徒さんが10人ぐらいになったときに、

そのくらいでちょうど良いねと言われ、


違和感しか無かった。


それなのに、その呪縛に縛られている。


母親のせいにしているのかもしれない。

広い世界に飛び出していくのは怖いから、

母親に言われたせいで、小さく収まっていると思いたいのかもしれない。


言われようとなにしようと、

自分がしたいようにすれば良いのに。


頭で分かっているなら、行動すればいいのに。


動画を見ながら思ったのは、

自分を見てるのに、自分にイライラしてきた。


とっととやれ!


人は外見ではない、

とは言うけれど、
やっぱり外見だと思う。

外見に全てが現れると思う。

表情や仕草にも内面が現れるように、
その日選ぶ服、選ぶ全てのことが、
内面を表していると思う。

ファッションって本当に奥が深い
だから、面白いんだね。

このコンサルを受けて、もうすぐ一年というタイミングで、プロフィール用の写真が必要になった。

知り合いのカメラマンに頼んで撮ってもらった。

念願のピアノと一緒に撮るパターン。


なんだか気後れするほど、よく撮ってもらっちゃって、どうしよう・・・と一瞬ひるんでしまった。


その感覚。


それが私の世界を小さくしている理由なんだと思った。


堂々と、これが私です!

と言えるようになる。


もちろん、実力がなくちゃダメだろうから


また出た。

すぐこういう言葉が出てくる。

今の力でも堂々と、これが私ですと言おう。