南津電気鉄道の買収国電 | まほろ市発なんでもありのブログ

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Kitchenの大井川鉄道303編成のキットを組立てて、私の中の架空私鉄、南津電気鉄道の車両を作ってみました。




ここからは架空のお話です。

昭和40年代、親会社である京王帝都電鉄は新たな時代を切り開いていた。
高尾線の開業、京王プラザホテルの設立など。

そんな中傍系子会社の南津電気鉄道は日連から先秋山温泉を経由し、雛鶴峠をトンネルで越え、富士山のお膝元都留市までの線路の建設に力を注いでいた。

当時、雛鶴峠のトンネルは西武正丸トンネル並みの長大トンネルで、京王グループ最大の難工事であったという。

昭和45年雛鶴トンネルは開通し、昭和47年南津電鉄は秋山から都留市までの線路を開業に至った。

また同時期に聖蹟桜ヶ丘駅の地下線も開通し、新たな南津電鉄の歴史が紐解かれた。


しかし、それら工事に多額の資金が掛かってしまい、肝心の新型車投入は見送られてしまった。
その為急遽京王から1700形と1710形を入線させたものの、車両不足を補うため、あちこちから買収国電を入線させたのがこの3000系車両だった。

まず元越後交通から旧富士身延鉄道のモハ5001を購入しデハ3001としたが、続いて大井川鉄道からモハ303+クハ503のカップルを購入したのがこのデハ3101とデハ3301であった。
2両とも国鉄飯田線の買収国電であった。






デハ3101

元豊川鉄道モハ30形。
傍系の田口鉄道にも同形車両がおり、日本車両で当時川崎造船所で作られた全鋼製の車両をモデルに製造された。

国へ買収された後は福塩線へ行き、大井川へ譲渡された。
昭和47年、車体のみ南津入り。
機器等を変更し、デハ3101となった。




 デハ3301

元三信電鉄デ300形。旧国鉄モハ1形で、三信へ譲渡の後木南車両で車体を更新した。
小湊鉄道キハ5800は同形車。
国鉄ではクハ5800となり、大井川へ譲渡された。
南津では再び電装しデハ3301となった。


この2両は相棒に元帝都電鉄のクハ3200やガソリンカー改造のクハ3400をぶる下げて本線や豊田線等で活躍。
末期は5000系や6000系とも連結したという。

しかし老朽化などから平成12年8月1日の1500V昇圧を機に廃車となり解体されてしまった。
同期の買収国電車両と比べるとかなり長生きしたようである。



キットはとりあえず素組。

クハ503のみ屋根にパンタグラフの台を置いてみました。

テールライトは京王風になるので、おでこにガイコツ形を追加。

京王風グリーンに塗装してみました。


せっかくなのでかつて作った南津グリーン車両と並べてみます。



これだけだったら、知らない人がみたら京王線としか見えないでしょうね。

夢がひろがります。